本研究は,栃木県那須郡烏山町を事例に,近世における関東の一城下町の祭礼形態の変容を明らかにし,それをもとに町の特質を検討することを目的とした.烏山城下町の総鎮守,牛頭天王社(天王社)の戦国期から約200年間にわたる祭礼記録である『赤坂町祭礼記』を用いて,とくに祭礼の形態,場所,祭礼に関与する人々に注目した.
天王祭礼の形態は,17世紀半ばに神楽などから踊りに変容し,城内入りが始まった.しかし,18世紀初期には踊りとともに城内入りが消滅し,町人町での屋台興行が中心となっていった.また,17世紀半ばまでの祭礼を世話していたのは,登城する家格を有した「六人」衆であったが,18世紀初頭には,烏山周辺地域で生産された商品作物の集散を担う有力他所商人が台頭していた.烏山の祭礼の変容は,城主と結びついた「六人」衆を筆頭とした町から商人の町へという,町の機能的変化と連動した問題と考える.
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