学科再建の一翼を担うためにワシントン大学地理学科へ赴任したGarrisonは,地域科学を創始したIsardと知り合う過程で,立地論のアメリカ地理学への導入を図った.他方,自らが関わった高速道路インパクト研究は,立地論の限界も彼に知らしめた.この隘路を切り開くために彼がとりこんだものは,地域のダイナミクス,個人の行動,地図変換といった問題に回答を与えるHägerstrand地理学であった.彼のこうした試みは,結果的に,地域科学による「領域侵犯」から地理学を救う一方,斯学の理論化・計量化を促した.
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