我々の周辺環境には様々な生物が生活しています.そのような環境では植物をはじめ,昆虫,動物,微生物などがお互いに棲み分けを演じており,そのためには環境に適応する様々な戦略が必要となってきます.特に植物はいったんある場所で根をはり,生育を始めると,昆虫や小動物などと異なり,移動することができません.昆虫や動物は他の生物から攻撃された時に,移動する手段がありますが,植物にはそのような手段がありません.植物は周辺環境に適応するためにどのような戦略をとっているのでしょうか.そのような疑問に答えるべく研究成果が最近数多く発表されています.その一つとして植物は何らかの化学物質を生産し,放出し,周辺の生物に情報を伝達する手段としている事実が明らかになってきました.これらの知見は植物のもつ未知の機能や化学物資による生物調節の概略を知る上では重要なものとなります.本会は「におい・かおり」と「環境」に関わる分野を包括的に取り扱う学会ですが,この意味でも植物のもつ未知の機能などを理解することは本会の発展にとっても重要であると考えられます.そこで植物の生産する様々な化学物質の他の生物への影響について情報を整理し,活用するために本特集を企画しました.
最初の特集では様々な情報に対する植物の応答について解説しています.周辺からもたらされる情報(音,気温,乾燥の他,生物からの情報)に対して何らかの応答をします.特にここでは生物からもたらされる化学物質などの情報に答えるために植物が生産し,放出すると考えられている信号化学物質について概説的にまとめ,研究例もふまえて紹介しています.研究が進むにつれて,それらの化学物質の分類が細分化され,複雑になっています.一読しただけでは理解しがたい部分もありますが,実例もまじえたわかりやすい解説になっています.
次に植物のケミカルコミュニケーションについて解説しています.植物は周辺に存在する昆虫などに食害を受けます.その時に周辺の食害を受けていない同族植物に対して,危険を知らせる揮発性物質を発散する機能が紹介されています.一昔前ならば,似非科学扱いされかねない内容ですが,エビデンスの伴った研究例の紹介,機能の実証がされており,その機能の巧妙さには感動さえ覚えます.
さらに植物の化学物質,特にかおり物質のアレロケミカルズとしての働きについて解説いただいています.アレロケミカルズとしては他の植物や昆虫,微生物などへの影響が考えられますが,ここでは特に他の植物への影響に関するアレロパシーについて紹介しています.アレロパシーとは,植物が放出する化学物質が他の植物に阻害的あるいは促進的な何らかの作用を及ぼす現象のことですが,ここではそれらの現象に関与する化学物質,特に揮発性のかおり物質についての研究例を解説いただいています.
最後に「みどりの香り」を介した生物間相互作用についてであります.「みどりの香り」とは炭素数6のアルデヒド,アルコール,アセテート類の総称であり,それらは陸上植物に普遍的に見いだされています.最近の研究で「みどりの香り」には人に対しては抗ストレス効果が,植物自らには生息する生態系をモニターし,制御する役割がそれぞれ見いだされています.植物が周辺の生物と情報を交換するための手段として,植物自らが生産する化学物質を使用していることを示す研究例を拝読すると,それらの機能の精密さにはたいへん驚かされます.
「植物のかおり物質」は様々な働きがあります.ここで紹介した内容はそのほんの一部にすぎません.本特集を機に,多くの読者が「植物のかおり物質の不思議な働き」について認識を深めていただければ幸いである.
最後に,ご多忙中にもかかわらず,執筆をご快諾いただいた方々に,本紙面を借りて厚く御礼申し上げます.
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