流体力学ほど様々な状況に適応できる物理理論も珍しいであろう.もともと流体力学は,水のような文字通り流体の動きを記述するための理論としておよそ200年ほど前に提唱されたが,現在では多体物理系が,粒子間距離のようなミクロなスケールと比較して大きなスケールで変化している場合のダイナミクスを有効的に記述できる道具として認識されている.このような驚くべき普遍性は,多くの物理系の熱化の機構が同じであることと密接に関わっている.
流体力学とは一言で言ってしまえば,系が上記の条件を満たしながら発展している場合,系は局所的に熱平衡状態にあるとみなせる(右図参照),と主張する理論である.熱平衡状態は系の保存量に対応した数個のパラメターで特徴付けられるので,それらが局所的に変化するとみなすと,連続方程式がそれらのパラメターについて書き下せるわけである.もちろん,系のそれぞれの性質は方程式の構造に反映されなければならなく,例えば異なる2つのパラメターがどのように関係しているか,などといった情報(状態方程式とも呼ばれる)を与えることにより実現される.散逸の効果も取り込むと式はより複雑になるが,多体系の非自明なダイナミクスがいくつかの微分方程式で記述されてしまうという事実には変わりない.このような驚くべき普遍性により,流体力学は単純にミクロな性質が異なるというだけでなく,スケールさえも全く異なる(例えばグラフェン内の電子輸送と銀河形成のプロセスが同様の微分方程式で記述できるとは,驚くべき事実である)ような物理系のダイナミクスを統一的に記述する道具として活躍してきた.
ただ,ここまで読んで,思慮深い読者の方は次のような疑問に至ったのではないだろうか:流体力学の普遍性が熱化の機構のそれによって担保されていることはわかった.では,熱化がもし通常と異なる,あるいはそもそも熱化が起きないような系では,流体力学はどう書き換えられるのだろうか? このような問題は20年ほど前まではほとんど問われることはなかった.そもそもそのような系が知られていなかったので,考える動機がなかったのである.
ところが,1次元に近い状態にトラップされた冷却原子系において,熱化がどうも観測できない(原子系の非自明なダイナミクスが極めて長いタイムスケールで続く)という画期的な実験が2006年になされて以降,平衡化はするものの熱化しない物理系の非平衡ダイナミクスににわかに注目が集まるようになった.このような不思議な物理は系の可積分性ゆえであるということは理論的にすぐに明らかにされたものの,可積分性が系の非一様なダイナミクスにどのような影響をもたらすかについての統一的な理解は,一般化流体力学(可積分系に拡張した流体力学)の誕生を待つ必要があった.
一般化流体力学は2016年に創始されて以降,様々な方向に発展し,様々な実験結果を正しく予測することが確認されてきた.この理論の驚くべきところは,可積分系のダイナミクスを普遍的に記述する道具を与えるだけでなく,今まで発見されてこなかった興味深い現象を予測できる点にある.本解説では,この新しい流体力学理論がどのように創始され,多体系輸送一般に関わるどのような数多くの新しい知見をもたらしてきたかを概観したい.
生き物の中には,ムクドリやイワシ,ユスリカのように,その群れが特徴的な時空間パターンを持つダイナミックな集団運動を示すものがいる.このような集団を構成する要素をアクティブマターと呼ぶ.興味深い例として,ある種のバクテリアや生体分子は,要素同士が衝突した時や,それが閉じ込められている容器の壁にぶつかった時に,左右どちらか一方の決まった方向に運動する傾向があり,その結果,集団として渦巻き運動を起こすことが知られている.
このようなアクティブマターが示す不思議な集団運動の研究は,ここ30年ほどの間に活発に行われてきた.しかし,これまでに知られていたほとんどの例は生物学的な起源を持つものであり,自己駆動機構を持たない磁性体や強誘電体などエレクトロニクスに活用されている物質や材料では,アクティブマター的な挙動や現象が観察されたことはなかった.
一方,現在のエレクトロニクス研究では,磁性体中に発現する磁気スキルミオンと呼ばれる磁気構造が盛んに研究されている(以下,単にスキルミオンと呼ぶ).スキルミオンはナノからマイクロメートルサイズの大きさを持つ磁気構造で,磁性体中で粒子のように振る舞う.さらに,その磁化配列は位相幾何学により特徴付けられ,「+1」あるいは「-1」の位相幾何学量(トポロジカル数)を持っている.スキルミオンは,熱揺らぎによってブラウン運動を示すことが知られており,それを活用した乱数生成やランダムな順序入れ替え,省電力な情報処理技術も活発に研究されている.
本研究では,磁性体試料の上に作り込んだ「キラルフラワー」と呼ばれる左巻きと右巻きの障害物の配置パターンにスキルミオンを閉じ込めると,そのブラウン運動がスキルミオンの「トポロジー(-1か+1か)」とキラルフラワーの「キラリティ(左巻きか右巻きか)」に依存した結果を生み出すことを理論的に実証した.具体的には,熱揺らぎによりランダムに動き回るスキルミオンが,キラルフラワー構造を構成する障害物にぶつかると,スキルミオンのトポロジーに依存して壁に対して右か左のどちらか一方の決まった方向に反射され,その結果として,スキルミオンがある方向に巻いているキラルフラワー構造からは脱出できるのに,逆向きに巻いているキラルフラワー構造には永久に閉じ込められるといった現象が起こることを発見した.
この結果は,スキルミオンと空間構造パターンがトポロジーとキラリティに依存した相互作用をすることで,ランダムなブラウン運動から右回りと左回りの対称性が破れた結果が生じることを意味している.この非自明な結果は,ポテンシャル勾配,つまり力の方向と直交する方向に動くというスキルミオンの特殊な運動形態に由来するものであり,力を受けた方向に運動する通常の(ニュートン力学に従う)古典粒子では起こらない現象である.このような現象を活用することで,異なるトポロジーを持つ磁気構造を選別するトポロジーソーティング技術の実現も可能になる.
従来,生物や生物起源の物質や材料のみが示すはずであったアクティブマター挙動が,磁化の配列パターンに過ぎないスキルミオンで見つかったことにより,この分野の研究に新しい展開が期待される.また,スキルミオンのような非生物起源の素材は,生物起源の素材に比べてエレクトロニクス応用に圧倒的に有利である.そのため,アクティブマターの持つデバイス機能を研究する新しい融合分野の創成が期待できる.
二酸化炭素排出量を削減するためには,蓄電池の高性能化が必要である.蓄電池の構成材料中のイオン伝導性は,蓄電池の大容量化及び高入出力化に直接結びつく.現在蓄電池の代表格であるLiイオン電池については,リチウム資源量やその産地が特定の地域に限られるという問題がある.このため,安価で世界情勢に影響されにくいNaイオン電池等の研究が活発に行われている.これらのイオン電池内部では,電荷担体としてLi+,Na+,K+などのイオンが拡散移動する.したがって,電池内でのイオンの動きを調べることは,電池全体の充放電速度を始めとする電気化学性能の律速要因を理解し,改良していくために重要である.
イオンダイナミクスの指標である化学拡散係数(DC)と自己拡散係数(DJ)を定量的に見積もる手法として,電気化学測定が広く用いられている.電気化学測定で計測されるのは電気化学反応面積Aを含んだ見かけの拡散係数(DC/A2, DJ/A2)である.一般にAを実測することは難しく,Aは電池動作時にも変化する.このため異なる材料間でのDの比較や,電池動作時の組成変化及び構造変化とDを対応づけることが困難である.
我々は,試料内部の局所磁場を検出する手法であるμSR法を用いて,電池内部で拡散するイオンの核双極子磁場の時間揺らぎを観測した.得られた結果に酔歩模型を適用することで,電気化学反応面積を含まないD Jの導出に成功した.この結果,これまでは困難であった,異なる物質間や異なる充電量でのD Jの比較が可能となった.当初は,特定の充電量にした状態の電池をグローブボックス内で解体して電極を取り出し,これをμSR測定専用の密封容器に移し替えるex-situ測定を行ってきた.このため,実動作条件でのD Jに関する情報はなかった.また,D Jと充電量の関係を知るためには,異なる充電状態の試料を多数用意する必要があった.
今回,動作状態の電池内のイオンの拡散を動作環境下で観測できるように,市販の電池評価用セルをベースに,試料にミュオンが止まるようにTi製の窓を持つセルを開発した(図(a)参照).まず,LiCoO2正極とLi金属負極からなる半電池,次いでNa0.75CoO2正極とNa金属負極からなる半電池を組んで,充放電過程におけるμSR測定を行った.実験は,大強度陽子加速器施設J-PARC物質・生命科学実験施設内のミュオン実験施設の汎用μSR実験装置ARTEMISにて実施した.得られた結果から酔歩模型により見積もったLi+とNa+イオンがジャンプ拡散する際のD JLi及びD JNaとLi濃度x及びNa濃度xとの関係を図(b)に示す.LiのD JLiは,x=1近傍以下では比較的急峻であるが,x<0.8ではxの減少とともにD JLiはゆっくりと増加し,Li秩序に起因する2つの小さな極小値がx~2 / 3と1/ 2に存在した.一方,NaのD JNaはxの減少とともにほぼ直線的に減少することが分かった.
本測定手法は,ここで紹介した電解液を用いるLi,Na,Kイオン電池のみならず,それらの全固体電池にも適用可能である.電荷担体であるイオンが核スピンによる磁場を有していれば,他の蓄電池にも原理的には適用できる.J-PARCのビーム強度増強により,今後は測定時間の短縮と更なる活用が進むことを期待している.
中性子星は,太陽の約10倍の質量を持つ恒星が重力崩壊と超新星爆発を起こした際に,中心核の残骸として形成される.その典型的な質量は太陽程度であるのに対し,半径は10 km程度と,超高密度天体である.その内部では原子核は融けて,主な組成は中性子である.その中心部では密度が原子核の数倍に達するため,超高密度物質の状態方程式を研究するための絶好の実験室となっている.
状態方程式は,圧力と密度の関係を表す.中性子星内部の状態方程式は,一般相対論的な星の静水圧平衡を解くことによって,質量と半径に対応させられる.中性子星の中心部のような超高密度状態でどのような相が実現しているのか,理論的にも実験的にも解明されておらず,天文観測からの制限も含めた連携がその探究に重要である.
2つの中性子星が連星を形成した場合,共通重心の周りを互いに公転しながら,重力波を放出し,エネルギーが持ち去られるため,軌道半径(2体間距離)が小さくなり,最終的には合体に至る(連星中性子星合体).中性子星は有限の大きさがあるので,潮汐効果として連星の軌道進化や重力波に影響を及ぼす.潮汐効果は状態方程式に依存するため,重力波から状態方程式の情報が得られる.状態方程式を重力波による観測量に対応させることができ,潮汐変形率と質量の関係によって主要な効果は表される.
2015年,連星ブラックホール合体から放出された重力波GW150914が,アメリカにある重力波検出器LIGOによって検出されたことによって重力波天文学が始まった.さらに,2017年,連星中性子星合体からの重力波GW170817と電磁波対応現象の同時観測というマルチメッセンジャー天文学により,天文学から原子核,そして宇宙論にわたる多くの研究課題で進展があった.重力波が絡んだ天体現象のおもしろさを実感させられた.
GW170817の解析によって,中性子星の潮汐効果が初めて測定された.この重力波を用いた測定は,中性子星のX線観測など他の天文観測による相補的な制限と合わせることで,より精密に状態方程式モデルを絞り込むことを可能にする.
検出器の感度の向上に合わせて,理論モデルの改良も重要である.筆者達は,中性子星の潮汐効果が重力波波形に与える影響について理論的なモデル化を行ってきた.最近の論文では,ポストニュートン近似の枠組みにおいて,主要な潮汐効果に副次的な効果も加えた,多重極潮汐波形モデルについて,データ解析に使いやすい表式を定式化した.これまでに導出されている潮汐波形モデルと比較すると,多重極潮汐波形モデルは,主要な潮汐効果のみの波形モデルよりも位相変化が大きく,最も精度が良いモデルである数値相対論較正波形モデルにより近い位相の周波数進化を示すことがわかった.また,GW170817の解析に応用した結果,潮汐変形率の事後分布における波形モデルの違いによる系統誤差は統計誤差よりも小さかった.一方で,波形モデルによる推定値の違いは,位相の周波数進化から予想される値と無矛盾であった.将来,信号雑音比がより大きな重力波イベントに対して,要求される波形の改良において,多重極潮汐効果は重要となるであろう.
2023年から2024年に実施されたO4a(第4次観測前半)でも,LIGOが高感度で安定運転し,重力波イベント候補が検出されている.KAGRAも一か月間参加し,初めてLIGOとの共同観測を実施し,安定稼働に成功した.2024年4月からO4b(第4次観測後半)が,LIGOとイタリアにある検出器Virgoによって実施されている.2030年代後半には,次世代重力波検出器による観測が計画されている.今後も続く重力波観測によって,中性子星の状態方程式の理解がますます進展していくことが期待される.