Annales学派の「革命」観,とくにブローデルの「事件」「複合状況」「長期持続」の概念を参照しつつ,科学における「革命」概念の再検討を提案し,ハイゼンベルクの「再解釈論文」を中心に量子物理学の歴史における1925年という年の意義を検討して,より長期的な観点からみた量子物理学史記述の展望について論じる.
原子核は量子力学に従う系である.原子核を構成する陽子と中性子(総称して核子と呼ぶ)の間に働く核力を理解し,核力から出発して,数十,数百,無限数の核子で構成される原子核を記述することは,原子核物理学の長年にわたる大きな夢である.近年の研究から,3つの核子間に働く三体核力が原子核の記述には欠かせない,という視点が生まれた.三体核力にアプローチするためには,まず核子の三体問題を解かなくてはならない.本稿では,厳密理論計算と高精度実験の両輪によって進められた3つの核子で構成される量子系への挑戦,および最近の三体核力研究にまつわる話題と今後の課題について触れる.
純粋に量子力学的効果から生じる超流動・超伝導は物理学で最も劇的な現象の一つである.系を構成する数多の粒子が,巨視的なスケールにわたってコヒーレンスを保ち,巨大な量子力学的な波として振る舞う.量子力学特有の不思議な現象が巨視的スケールに増幅されて現れるため,直接的に観測したり,操ったりすることが可能となる.本稿では,量子渦とジョセフソン効果を中心にして,超流動・超伝導に現れる巨視的量子現象の一部を紹介する.
超高速現象とは光物性物理学の中の一分野であり,物質を光励起した際に生じるアト秒(10-18 s)・フェムト秒(10-15 s)から,ピコ秒(10-12 s)・ナノ秒(10-9 s)程度の範囲で起こる現象を明らかにし,それを制御しようとする分野である.光と物質の相互作用が起こるまさにその時間スケールで現象を観測し,その物理を探究する点が特徴的である.また,様々な物性を超高速に制御するという観点での研究は,光デバイスや太陽電池等の動作原理の解明や化学反応制御につながるなど,応用に近いことも分野の特長としてあげられる.本稿では,このような超高速現象の研究が100年前頃に確立した量子力学や光物性物理学の中で,どのように発展してきたか,筆者の観点から概観し今後の展望を述べる.光と物質が織り成す動的で興味深い物理の魅力をお伝えできればと考えている.
「ナノメカニクス」という言葉を初めて耳にされた方がいるかもしれない.「ナノ」は10億分の1を指す言葉であるから,“極めて小さな”といった意味で捉えていただければ良い.「メカニクス」は機械的要素を取り扱うものと広く解釈できるが,ここでは“振動を用いたもの”の意味で使われており,“機械共振器”と呼ばれる特定の周波数で共鳴振動する素子を取り扱う研究を指している.本稿では,量子力学と密接に関わりながら今日まで発展してきた「ナノメカニクス」研究分野の潮流と今後の展望を概説する.
この自然界は左右非対称である.一般に,物体の左右の非対称性を特徴づけるのが,自身のパリティ変換と重なり合わないカイラリティという性質である.自然界の最もミクロな階層では,素粒子の標準理論の枠内でニュートリノは全て左巻きのカイラリティをもつ.また,自然界の基本的な相互作用の一つ,弱い相互作用は左巻きの粒子にしか働かず,パリティ対称性が100%破れている.より上の分子の階層では,地球上の生命を構成するアミノ酸はほぼ左巻きである.
私たちの身の回りの物質は,右巻き・左巻きのクォークや電子などの素粒子によって構成されている.初期宇宙の電弱プラズマや,相対論的重イオン衝突実験で生成されるクォーク・グルーオン・プラズマのような超高温の非平衡状態では,素粒子のエネルギーは質量に比べて十分大きく超相対論的であり,左右のカイラリティの粒子数に不均衡性が生じうる.また,ニュートリノや弱い相互作用がダイナミクスに重要な役割を果たす重力崩壊型超新星爆発では,コアで左巻きのニュートリノ物質が実現する.
このような「相対論的カイラル物質」は,高エネルギー物理学にとどまらない.物性系においても,右巻きや左巻きのフェルミオンが創発する物質であるワイル半金属が理論的,実験的に研究されており,高エネルギー物理学の試験場となっている.
相対論的カイラル物質では,パリティ対称性の破れのために,通常の物質では生じない量子輸送現象が現れる.その代表的な例が,磁場に比例した電流であるカイラル磁気効果である.このようなカイラル輸送現象は,相対論的場の量子論の普遍的な現象であるカイラルアノマリーとも密接に関係しており,カイラリティに起因するトポロジカルな性質によって輸送係数が量子化されるという顕著な性質をもつ.また,カイラル輸送現象の存在は流体の非線形時間発展を質的に変え,新しいタイプの量子乱流現象を引き起こすことがわかってきている.
一般に,非平衡状態の系を記述する有効理論が運動論であるが,2012年になって初めて,カイラルアノマリーやカイラル輸送現象を再現するような運動論的方程式(ボルツマン方程式)が定式化された.このカイラル運動論は,重イオン衝突実験の文脈では,質量のあるディラックフェルミオンの量子論的運動論に拡張され,クォーク・グルーオン・プラズマのカイラル輸送現象やスピン偏極の問題に応用されている.
超新星の文脈では,従来のニュートリノのボルツマン方程式は弱い相互作用のパリティの破れを無視しているという問題点があり,対称性に基づく「低エネルギー有効理論」としては適切でない.最近になって,パリティの破れやニュートリノと物質の相互作用,曲がった時空の効果を全て取り入れたニュートリノのボルツマン方程式が導出され,爆発ダイナミクスだけでなく,中性子星の中でも特に強い磁場をもつ天体であるマグネターの磁場の起源の問題などに応用されつつある.
さらに,素粒子のカイラリティは,物質反物質の非対称性などの初期宇宙の時間発展の問題とも関係している.このように,ミクロな素粒子のカイラリティがマクロな宇宙や超新星の非平衡進化をどのように変えるのか理論的にまだよくわかっておらず,今後その理解が待たれている.
クォーク・ハドロンの物理,すなわちQCDは,多体系において劇的な様相の変化を示す.低密度では原子核のように核子(陽子や中性子)が物質を構成する基本的自由度となる.一方密度を上げると,核子同士は重なり合い,核子内に閉じ込もっていたクォークが系を支配し始める.そしてやがてはQCDの漸近的自由性により,自由クォークのフェルミ面が作られ,クォークの多体系が高密度で形成される.したがって低温有限密度系は,ハドロン的自由度からクォーク的自由度への変遷の様子を解明する上で,最良の試験場であるといえる.
低温有限密度系QCDの様相の解明は,中性子星状態方程式の決定に繋がるため,天体物理学の観点からも重要テーマとしてその進展が望まれている.しかし現状は加速器実験が難しく,さらに格子QCD計算による第一原理数値シミュレーションも符号問題により実装が困難であり,低温有限密度系は未だ謎に包まれている部分も多い.
一方,擬実性を持つSU(2)ゲージ理論で記述される2カラーQCD(QC2D)では,符号問題が現れない.すなわちQC2Dでは,第一原理シミュレーションである格子計算により,低温有限密度系の数値的探索が可能となる.これはまさに加速器実験に取って代わる,数値実験である.このQC2Dの利点に着目して,現在日本・ロシア・イギリス・アイルランドなど各国で,高密度系QC2Dの数値実験が進められている.
QC2Dでは,クォーク2個の束縛状態であるダイクォーク自身がハドロンとなるため,QC2D物質中ではそれらがボース–アインシュタイン凝縮を起こした,バリオン超流動相が発現する.格子計算によるハドロン質量スペクトル結果は,この超流動相においてπ中間子質量が単調増加する一方で,η中間子質量が軽くなるという,特異な結果を示していた.しかし従来のハドロン有効理論はη中間子を記述できず,低エネルギーQC2D物理の有効理論による理解は不十分であった.
そこで我々は,η中間子や,さらにその他励起状態ハドロンも含む有効理論を新たに開発した.そして超流動相中でのη中間子質量の減少は,負パリティの(反)ダイクォークとの状態混合効果に起因するという,定性的理解に成功した.さらに我々の有効理論を用いて,η中間子が重要な寄与を与えるトポロジカル感受率の振る舞いを調べ,格子QCDとの比較を行った.これらの解析結果により,ハドロンへの軸性アノマリー効果は有限密度系で増大する可能性がある,ということがわかった.
我々が開発した有効理論はその後,スピン0に加えスピン1のハドロンも含むものに拡張された.その拡張された有効理論では,空間回転対称性を破る(軸性)ベクトル型のボース–アインシュタイン凝縮が高密度領域で発現する可能性なども,議論されている.したがって今後のさらなる格子計算との連携により,より多彩な低温高密度系での物理現象の理解が期待される.さらに我々の有効理論は,格子計算で観測された音速ピークの出現を再現できた.この事実は,本有効理論の広い密度領域での有用性を示しており,今後も様々な物理量に着目した解析が可能であろう.
以上のようなQC2Dの数値実験と有効理論の連携により,ハドロン物質からクォーク物質への変遷の記述など,カラー数に依らない低温有限密度系QCDの理論的理解の進展が期待される.さらにQC2Dでは,ダイクォークが直接測定可能という特長を持つ.ダイクォークのダイナミクスは,我々のQCDの世界では重いハドロン(Λc粒子など)の振る舞いを決めるため,QC2Dでのダイクォーク研究を通した重いハドロン分光物理の進展も期待される.