腹診は日本で独自に発達した診察法であり,日本漢方を特徴づけるものの1つである。江戸時代に流布した『腹証奇覧』は,『傷寒論』と『金匱要略』の処方を中心に,腹診図と所見を述べている。本研究では,現存する『腹証奇覧』の各種版本について調査を行い,版種の違いによって腹診図や所見が異なることが明らかとなった。各種の版本については,巻初の扉と巻末の年紀の違いによって,享和年間以前の版と文化版とに分かれる。現在一般的に通行している影印本は文化版に基づいているが,両版の間には腹診図と所見に大きな改訂がある。『腹証奇覧』には正編と後編が存在し,享和年間以前の版と文化版の違いは後編に顕著である。『腹証奇覧』の著者である稲葉文礼は,文化2(1805)年に没しているため,文礼が文化版の編纂に関わった可能性は少なく,文化版の校正に影響をおよ,ぼしたのは,文礼の弟子の和久田叔虎と推測される。
呑気症には気虚,気滞の改善を図る方剤が用いられてきたが,今回,脾陽虚,肝気滞に注目して治療することで軽快した症例を経験した。症例は75歳,女性。胃部不快感の精査により萎縮性胃炎と診断され,制酸剤,プロトンポンプインヒビターなどで加療したが改善しなかった。腹部膨満,曖気も出現,増悪したため,漢方治療を希望した。気滞とともに裏寒も存在したことから,理気,温補を十分に発揮できる当帰湯を投与し,順調に回復した。呑気症の病態は気滞を中心にして気虚の併発が一般的と考えられる。しかし,本症例のように陽虚をもつ場合には,温補をしっかり行える方剤が必要であり,当帰湯はその候補と考えられる。当帰湯は主治として絞痛が挙げられ,腹痛,胸痛に対してしばしば投与される。本症例も病態がさらに悪化した場合には腹痛をきたした可能性もあるが,疼痛に拘泥せず気滞,陽虚をきたす場合には本方の投与を考慮することも重要と考えられる。
起立性調節障害は思春期に罹患することが多く,立ちくらみ,朝起き不良,嘔気,食欲不振,全身倦怠感,頭痛などの症状を呈する。今回,就寝時間がやや遅くなり翌昼まで起きられなくなる睡眠相後退症候群が,温補治療によって改善するとともに,睡眠の深さも良好となった例を経験したため報告する。16歳女性。14歳時から起立性調節障害で漢方治療を受けていた。連珠飲の投与で病状が安定し通学できるようになっていたが,2年後の冬に症状が再燃し入院した。電気温鍼で高度の裏寒を認め,簡易的な睡眠解析では深い睡眠が得られていなかったため,裏寒と睡眠障害とに関連があると考えて,温補治療に特化して赤丸料を投与したところ,起床時間の改善とともに睡眠深度の改善がみられた。裏寒の存在が睡眠障害の原因となり得,また赤丸料による温補が睡眠障害の改善に寄与する可能性があると考える。
強迫症状に漢方薬が有効であった報告は少なく,苓桂朮甘湯の報告はない。今回我々は,苓桂朮甘湯が強迫症状に有効であった2症例を報告する。症例1は39歳女性,漠然とした不安があり様々な確認行為のために,家を出るまでに約40分を要し会社を度々遅刻するなど強迫症であった。苓桂朮甘湯を開始したところ約5分にまで改善した。症例2は57歳女性,主訴は朝,頭がすっきりしないことであり,ゆううつ感,日中の眠気にも困っていた。窓の施錠確認を約5回する強迫症状もあった。苓桂朮甘湯を開始したところ,主訴,ゆううつ感や日中の眠気は改善した。確認行為も約1回にまで改善した。苓桂朮甘湯は水毒,立ちくらみ,気逆を目標に用いるが,本2例は気逆よりも気うつが主であった。気うつが主体の強迫症状で水毒,立ちくらみがあれば苓桂朮甘湯は鑑別に挙げてよい方剤と考えられた。
抗菌薬投与により副作用が出現した既往のある7例に局所麻酔下での外科的歯科治療(歯周外科手術,外科的歯内療法,抜歯)において,手術部位感染発症予防の為に術前から排膿散及湯を服用した。その結果,全例で術後手術部位感染発症は認められず,炎症所見も改善した。また排膿散及湯による副作用も出現せず,全例で一年間腫脹や疼痛等の再発を認めない略治となった。排膿散及湯を投与した外科的歯科治療は,抗菌薬を使用できない場合の有用な治療法の一つになり得るのではないかと考えられた。
症例は6歳0ヶ月女児。38.0 ℃を超える発熱が遷延するため5歳10ヶ月時に当科へ紹介された。血液検査・造影 CT にて異常無く,解熱剤への反応も認められず,心因性発熱が疑われたが,心理的要因は不明であった。【生活歴】4歳11ヶ月まで父の祖国に在住(父外国籍/母日本人),帰国予定あり。【現症】身長117.5 cm,体重18.7 kg,体温37.4 ℃,心音および呼吸音に異常なし。【臨床経過】5種類の漢方方剤を順次試用した。加味逍遥散および抑肝散では体温が38.0 ℃を超える頻度が減少し,加味帰脾湯では38.0 ℃を超えることが無かった。家族関係および漠然とした不安感が背景にあると考え確認したところ,父の祖国への帰国がストレスになっていたと判明し,心因性発熱の診断に至った。【結語】症状の背景に潜む病因を探る場合,漢方方剤への反応性を参考にすることは有用と考えられる。
患者は83歳女性。体幹と上肢にかゆみと強い発赤を伴う紅斑が出現し皮膚科を受診した。尋常性乾癬の診断でステロイド外用剤が開始されたが症状は改善しなかったため,漢方治療を希望され当センター附属病院漢方内科を受診した。強い掻痒感と患部の強い発赤を目標に麻黄連軺赤小豆湯で治療をしたところ,紅斑は徐々に改善した。
尋常性乾癬等の皮膚疾患の漢方治療について若干の文献的考察を交えて報告する。
心的外傷およびストレス因関連障害群に対して,竹筎温胆湯及び温胆湯が有効だった5症例を報告した。
心的外傷後ストレス障害(PTSD)及び急性ストレス障害(ASD)は,いずれも過酷なストレスに対する反応として生じる精神的な障害で,障害の持続時間によって区別されている。竹筎温胆湯は,傷寒では少陽病期を過ぎ咳嗽・不眠をきたすものに適応され,雑病ではうつ病や睡眠障害等様々な精神疾患に応用されている。
本稿では,竹筎温胆湯を PTSD に応用した根拠を古典から引用し,PTSD に使用報告のある他の方剤との異同について,黄連を中心とした構成生薬の特徴から検討するとともに,漢方の治療メカニズムについて脳内炎症との関連を推論した。
心的打撃の軽重にかかわらず,本方剤の迅速な投与により治癒機転の画期を早めることが期待される。
酸棗仁湯単独または併用による不眠の改善が睡眠検査にて客観的に評価できたと思われる2症例を経験した。症例1は40歳男性で,数年来の夜間中途覚醒と日中の倦怠感があったが,酸棗仁湯と人参湯投与後に改善した。症例2は60歳女性で熟眠感低下と日中傾眠があったが,酸棗仁湯投与後に改善した。
今回治療前や治療後に行った在宅睡眠検査にて睡眠の質が改善していることが確認された。酸棗仁湯は不眠に対する漢方薬として代表的な漢方薬の一つであるが,治療効果が睡眠検査で客観的に明らかになった報告は今回が初めてと考える。
「国民の健康と医療を担う漢方の将来ビジョン研究会」は漢方にまつわる様々な問題の解決に向けて検討を進めることを目的として2016年に設立され,重要項目として6つの提言を発出した。これら提言の中で,臨床と直結する課題として強調されているテーマは「がん支持療法としての漢方」と「高齢者のフレイル対策としての漢方」である。日本東洋医学会は,これらテーマに関与する方針を決め,提言書検討委員会(後に政策提言委員会に吸収)を設立した。提言書検討委員会は,活動の第一歩としてがん支持療法およびフレイル対策それぞれの分野の専門家から研究の現況について提示を仰ぎ,次に漢方薬によるフレイル治療の臨床研究を主導して行くことを決めた。臨床研究では,治療効果を判定する評価基準が必要であり,既存の診断基準を組み合わせて,漢方フレイルスコアを作成した。本稿では,漢方フレイルスコアについて根拠となる文献を引用しつつ解説する。