本稿はHDD産業における1980年代から2000年代にかけての東アジア生産ネットワークの形成と最適化のプロセスについて経時的分析を行う。とくにこの間に起きた競争戦略の変化がアジア生産ネットワークの構造にどのような影響を及ぼしたかを明らかにする。HDD業界では、1980年代にPCとの接続部の標準化が進み、HDDユニットのモジュラー化が進んだが、それにともない、東アジアに向けて生産オペレーションが外延的に拡大した。量的拡大とともに業界の寡占化も進み、この間に参入企業の多くは淘汰された。しかし、このような競争は、2000年代に入ると質的な変化を伴いはじめる。いわゆる垂直統合型の企業群と垂直分業型の企業群の間で相互的な寡占競争が展開され、そうした競争のプロセスで、アジア生産ネットワークの合理化と最適化が進んできた。そして、かかる競争の結果として、東アジア地域の生産ネットワークの競争力はより頑健性の高いものとなった。
新旧二つしか技術がないとき、技術はロジスティック曲線を描いて進化する。要素価格の変化は技術の淘汰過程に影響を与えるが、特に多くの技術が存在するとき、その影響は技術の分散に比例する。経済学的インプリケーションとして、前者は、発展途上国と先進国の差異を説明し、後者は、技術の多様性による生産性の改善を示唆する。
本稿では重要度が増している知的財産マネジメントを、クローズドとオープンの観点から論じる。まず、キヤノンの知財マネジメントを考察し、企業活動を「3軸 (ビジネスモデル、知的財産権、技術進化の自由度)」で捉えることを提案する。次に、IBMとサムスン電子について、ビジネスモデルと知的財産の観点から考察し、IBMの「強みをカネに変える仕組み」と、サムスン電子の「プリンタ事業への新規参入」について、3軸の観点から分析を行う。また、オープンの方向に進んでいる社会環境に適合したビジネスモデルの重要性についても議論する。最後に「ストーリー性のある積分型ビジネスモデル」で成功を収めたIBMとサムスン電子の事例を分析し、日本企業に必要な、今の環境に合うビジネスモデルについて考察する。