本研究では,知覚・認知と身体運動の関係を考察するため,消滅あるいは反転を伴うトラッキング課題を設定した.これらの課題の学習過程と学習の転移を分析し,内部モデルの階層性やモジュール性についても検討した.
我々の熟練野球指導者に関する研究結果は,投球動作そのものに対する考え方に,指導者間で違いがあることを示唆した.指導法を整理する一環として,この違いにより指導者の類型化を試みているので紹介する.
和英辞典(小学館のプログレッシブ和英中辞典)を「身体」で引くと,the body,(身体の)physical; bodilyとそっけない.熟語も身体検査や身体障害のみの引用しか掲載していない.しかし,日本においては,からだについて,「身体」を「身」と「体」の両方の意味を載せて私たちが理解していることに 異論はないだろう.「身体」の文字通り,日本人は「身」と「体」を使い分けてきた.和英辞書で,「身(み)」と「体(からだ)」をひくと,ともにthe body, oneselfという語を用いた説明がされているが,日本語の例においては,「体」からは,大きい体,小さい体など形態の大小や,生理的生物学的な体の状態を示すときに用いることが分かる.health, automatic, physical body,つまり物質としての形(解剖学的なリアルな体)が,イメージされてくるが,「身」に対する説明には,healthやautomaticな語は使われず,本人の意識や決心などを含む「全体の自己」の行動を表す語として用いられていることが分かる.場の理論で有名な清水博は,最近,人間の存在を「二重生命」としてとらえることを提唱している.近代科学は,自己を科学の対象から除くことで急進展させてきた.しかし一方で現実社会においては,「生活習慣病」のように個人の生きる態度そのものが病名として使われるようになって久しい. しかし,自分自身を含む科学や教育は,はたしてこの日本において行われているのだろうか.前回,東京大学の教養課程の必修授業の教育プログラムとして導入した「自分を知る」5つのプログラムを紹介したが,プログラムの中味をどのように位置づけるか,あるいは背景となる科学の領域をどう形成してゆくかについての問題の視点についてはまだほとんど論議されていない.今回は,重要な視点の一つとして,二重生命・離見の見・幽体離脱のあいだの関係性について,脳科学・生命科学から考えてみたい.
対話型ロボットを,いくつかのシチュエーションで動作させそのときの小さな仕草の違いが,ひとに与える印象をどのように変化させるかということについて,実験結果の例を紹介し,意見交換させて頂きたい.
病院における看護師の日常業務は手術準備,患者のケア等々多様な種類のものが含まれている.ここでは,看護師がそのような多様なサービスをどのような手順で処理するかについて解析し,その支援システムについて述べる.
本研究では,看護師の身体知を探求する方法として研究者が看護実践に参加し,嚥下障害者への食事介助場面ではビデオ撮影し,後に看護師に視聴し語ってもらった.結果,看護師の言動や行動が変化し,その変化に身体知が見えてきた.