この総説は,林業試験場十日町森林測候所(現在:森林総合研究所十日町試験地)の積雪に関する研究がどのような経緯で始まったのか,また日本雪氷学会の前身,日本雪氷協会の萌芽となった農林省積雪地方農村経済調査所(以後雪調と呼ぶ)の「雪の会」が如何にしてつくられ,日本雪氷協会ができたのかについて述べている.雪調は昭和恐慌によって飢餓状態に陥った東北地方の農村を救済するために1933年山形県新庄町(現新庄市)に設立された.雪国の農民の生活や経済を改善するには積雪の科学的な研究が必要であると考えた平田徳太郎(全国の森林測候所の前責任者で当時は嘱託,後の日本雪氷協会初代理事長)は発足間もない雪調を訪ね,山口弘道所長にその必要性を訴えた.これが縁で,平田は雪調から雪質に関する研究の委託を受け,十日町森林測候所における積雪研究の始まりとなった.一方,平田の訴えに賛同できなかった山口であったが,再三にわたる平田の説得を受け,その必要性を認識するようになり積雪の研究を行う決心をした.こうして1936年にできたのが「積雪研究会」で,各委員の責任のもと各分野の研究を進めると共に,各自分担して雪氷文献の抄録を作成することにした.この抄録作成のための会を「雪の会」と称したが,一般の研究者も加わり,雪に関する研究発表や意見交換の場となった.1937年1月と2月には雪国各地の視察に出かけた.その後,雪国のための試験農家を建設し,農家家族による居住実験を始めた.また積雪研究に必要な積雪の分類とその名称(雪調案)を作成し,雪に関連する機関や研究者による協議会を開催し,積雪の分類名称を決定した.この頃より「雪の会」を全国的な組織にしたいという機運が高まり,1939年に日本雪氷協会が設立された.
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