本研究は韓国の高校における選択科目「東アジア史」の教科書をSFL理論に基づいて分析し,その叙述構造が必修科目「韓国史」よりも多元的な視点が具現化されていることを検証するものである。SFL理論はHallidayが唱え,主語と述語の相関関係を分析することによって,話者の意図を論理的・検証的に把握できる可能性をもつ。分析対象は4社の「東アジア史」教科書と,同じ出版社による「韓国史」教科書の計8冊である。分析単元は「東アジア史」の「17世紀の東アジア戦争」で,「韓国史」では「壬辰倭乱」と「丙子胡乱」に該当する。分析の結果,「東アジア史」は,「韓国史」に比べ,より多様な行為主体者を提示し,行為の原因と動機を行為主体者の視点を軸に説く叙述構造をとっていた。これは,過去の行為者の観点を認知する経験が他者の観点を認知し理解する経験に拡張することを促す側面から,歴史教育における市民性育成の実現可能性にもつながる方向であると評価できる。
本研究は,社会科社会問題学習の中でも問題構築を扱う授業の開発研究である。社会問題学習において問題構築を扱う授業は,政策問題や論争問題を扱う授業に比べ,研究の蓄積が乏しい。 しかし,社会秩序を批判し問題構築に関わる能力や問題構築活動を批判できる能力は,公民的資質の重要な構成要素である。そして,社会科授業では広い視野から批判的考察を行い,自由を拡げる必要がある。そこで本研究は,先行研究の分析より問題構築を扱う授業の成果と課題を明確にし,その上で先行研究の成果を活かし課題を克服する授業として,広い視野からの「比較制度批判学習としての授業」および「異議申し立て活動批判学習としての授業」の必要性を示した。そして,それぞれ授業構成の論理を示し,授業開発を行い,中学校社会科の小単元「家族政策等」と小単元「水俣病の認知」の学習指導案を提示した。
平成29年小学校および中学校の学習指導要領改訂に伴って創設された「特別の教科 道徳」では,多様な教材の開発が求められ,スポーツを題材として活用することも示されている。国際オリンピック委員会(IOC)による,Olympic Values Education Programme(OVEP)は,道徳的価値を学ぶことを目的として作成され,オリンピックの価値には,「特別の教科 道徳」の学習内容にかかわるものが多く含まれる。本研究ではOVEP 日本版の「フェアプレー」を中学校1年生の道徳に導入して授業を行い,授業を通して生徒が価値意識を変容させるかどうかを明らかにすることで,道徳科教材としての可能性を探ることを目的とした。さらに授業の評価を受けて,教材の修正について検討した。その結果,以下のことが明らかとなった。
1 )授業を通して,生徒の「フェアプレー」,「敬意・尊重」に関する価値意識が肯定的に変容し, 生徒はこれらの価値に関する考えを深めることができた。
2 )指導計画は,映像や画像などを提示して生徒が教材をイメージしやすいようにすること, グループワークの機会を増やすこと,学んだことを日常生活につなげられるようなまとめの方法を工夫することなど,学習指導に関する修正を行うことでより良いものになる。
3 )OVEP を元にした授業計画を道徳科の授業に導入することによる成果を示し,道徳科にお ける多様な教材の開発として,オリンピック教育教材を活用できる。
本研究の目的は,国語教育において,「国語」がその対象とされてきたことの問題を指摘すると共に,国語教育の学びの目標や実践の対象として〈学習者の母語〉という視座を設定することである。この目的を達成するための方法として,国語教育研究/実践における「母語」観を言説分析の手法を援用して検討した。その結果,国語教育における従来の「母語」観は制度や学問の枠組みからの影響が強く,学習者の多様性へのまなざしが乏しいことが明らかとなった。 また,一部の先行研究においては,従来のような学問規定に基づく「母語」観から脱却し,学習者の言語経験の蓄積から「母語」を見とることの必要性が指摘されていることが明らかとなった。以上を踏まえ,本研究では従来の「母語」観に代わる視座として〈学習者の母語〉概念を提案した。これは,学習者の言語経験に基づくことばの総体であり,学習者の多様な背景を包摂するための視座になると考える。
本稿は,学会主催のシンポジウムにかかる鏡文に当たるものである。三名の登壇者,一名の指定討論者およびコーディネータ(本稿著者)からなる当シンポジウムでは,教科教育学研究者の専門性を問うこととした。日々の取り組みをはじめとする教科教育学研究者の動向からは,これからの教科教育学研究の形が浮かび上がってくる。
教科教育学研究者として,特定の教科を研究対象として据えていないものはいないだろう。 そのことで既に我々は自身の研究対象とする教科を突き詰めようとする専門性への欲望と,教科教育学としての総合性との相克の中で価値や意義の自覚や表象と向きあい続けている。教科教育学研究者としての専門性もしくは総合性に特化していくことは学術的には重要であり真摯な方向性であるが,そのことで我々が研究対象とする教科の先にいる子どもたちの健全な成長をないがしろにすることは許されない。このような多層的・重層的な欲望と相克と宿命との折り合いをつけながら学術的研究を進めていくことこそが,教科教育学研究者としての構えであり矜持である。
本稿では,教科教育学研究者の専門性について,特に理科教育学研究者の視点から,研究・教育・社会貢献の3つの活動域について検討し,次の3点にまとめた。①研究では,隣接の専門諸科学への「問合せ」を通して,研究の問いに答える方法や答えの模索・検討を行い,理論の提案を行う。そして,この流れを通して得られた知識や経験の積み重ねが研究者の専門性となる。②教育では,学生・院生等への①の流れを軸とした研究指導を通して,研究者自身の研究領域が拡大し,専門性が向上する。③社会貢献活動では,研究者の専門領域のみならず,社会的ニーズに応じた,専門関連領域の社会貢献も求められ,その活動を通じて,研究者の専門性が磨かれる。
本稿は,2022年度日本教科教育学会学会主催シンポジウムのリサーチクエスチョンである「教科教育研究者の持ちうる特有の専門知とはなにか」に対して,筆者の経験に基づいて述べるものである。研究者として教科教育学研究に向き合う姿勢とは,教科教育学に関わるテーマを明確に持ち,それに向けて絶え間なく研究を遂行すること,そのような精神が研究者としてもっとも大切な専門性につながっていく。教科教育研究者の持ちうる特有の専門知の必要条件を,3つのカリキュラムとそれぞれのカリキュラムの歴史的変遷を理解した上で研究活動を行うことができることとした。この必要条件を満たすために,同一,同傾向の問題意識で研究をしている国内外の数学教育研究者との情報交換と協働を行うことが求められることなど,どのような研究活動や教育活動を行えばよいか,また,専門家として付随した活動を例示した。
本稿は,第48回全国大会シンポジウムでの提案発表を受けて,教科教育研究者のアイデンティティを明らかにすることを目的とする。日本において教科教育学が独立した学問大系として認知されて以来,教科指導から教科教育カリキュラム開発,教師教育,社会貢献に至る広範な研究活動領域をカバーすることを研究上,職業上の役割とする私たちは,どのような存在なのか,また何を追究すべきなのか,今日的そして未来の課題として考察する。
本稿では,日本科学教育学会第48回全国大会開催校企画シンポジウムについて報告する。本シンポジウムは,愛媛大学において本学会員に有意義な情報提供を検討したとき,定員を充足できている教職大学院について取り上げることに行き着いた。そこで理論と実践の往還を体現する教職大学院における教科教育の価値について検討することで教職大学院のさらなる発展の視点を示すことができると考えた。