日本教科教育学会誌
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26 巻, 2 号
選択された号の論文の8件中1~8を表示しています
  • 佐藤 明宏
    原稿種別: 本文
    2003 年 26 巻 2 号 p. 1-10
    発行日: 2003/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    「世界一美しいぽくの村」という文学的文章教材を使って,附属の教官と大学教官とで比較研究授業を行った。この二つの授業を比較・検討することにより,「文学的文章の読みにおいてどこまで自由な想像を許容できるのか。」という中心課題を追求し,併せて(1)事実・史実とテキストの読み,(2)挿絵の読みとテキストの読み,(3)作者の解釈とテキストの読み,という読みを規定する条件について考察した。その結果,A作者小林豊のこう読んでほしいという意図,B「世界一美しいぼくの村」に描かれている作品世界から生まれる読み,C教師榧及び佐藤の読み,D子どもたちが自ら生み出す読み,E事実としてのアフガニスタンの国の様子からとらえられる読み,という読みが授業の中で交錯しながら成立しているという実態と,BとDの読みを結び付けることの重要性が明らかになった。
  • 原田 大介
    原稿種別: 本文
    2003 年 26 巻 2 号 p. 11-20
    発行日: 2003/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    本論は,国語科教育実践に関する,原理的なレベルでの新たな方向性を提示するものである。現代の若者の多くは,学校というものに学びの可能性をほとんど求めていない。休憩時間には気が合う仲間と前日に見たドラマや映画やマンガや流行りの音楽CDについてとりとめもなく語り,授業が始まればその教師がもつ独自の雰囲気に調子をあわせ,授業が終われば先に中断された話を終わりなく続ける。その繰り返しの日々であり,若者もそのことに自覚的であり,また,それでよいと考えている。そのような状況の中,それでも学校という制度的な場において,個々それぞれの学びが生まれる可能性を求めるとすれば,どのような方向性が考えられるだろうか。「現代」という視点から国語科の実践案を仮説的に提示し,そこで提示された方向性が,現在「メディア・リテラシー教育」と呼ばれている枠組みの中でどのような位置づけが可能なのか,考察を試みる。
  • 平川 幸子, ザレナ ビンティ・アハマド
    原稿種別: 本文
    2003 年 26 巻 2 号 p. 21-29
    発行日: 2003/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    この研究は,教員へのアンケート調査結果をパス解析によって分析し,様々な要因が教員のコンピュータでの指導に因果関係をもつかどうかを明らかにすることによって,効果的な情報教育の推進方策を示そうとするものである。小学校教員のコンピュータでの指導を促進するためには,教員の技術より,むしろ情報教育の重要性に対する意識を高めることが効果的である。また,具体的な方策としては,他の先生による指導助言が最も効果的であり,次いで積極的な校長も有効性が見られる。研究授業や他校の見学,教育センターでの研修などの研修も効果がある。コンピュータの苦手な教員には,他の先生による指導助言の効果が高い。これは,各学校のリーダーとなる教員が教育センターで研修を受け,学んだことを学校の他の教員に伝えるという,都道府県教育センターの研修担当者が意図している二段階の戦略が有効に機能していることを示している。しかし,教育センターでの研修は,コンピュータの苦手な教員に直接的な効果をもたらしていない。今後,苦手な教員にも効果がある研修の内容・方法を工夫することが求められる。
  • 阿濱 茂樹, 松浦 正史
    原稿種別: 本文
    2003 年 26 巻 2 号 p. 31-37
    発行日: 2003/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    情報社会に生きていく生徒にとって,コンピュータリテラシーだけでなく,コンピュータのしくみ,および情報のしくみを理解が重要であると考えられる。そのことは,生徒の学習内容に対する意識の向上は欠かすことのできない要素だと考えられる。そこで,本研究ではロボット教材を用いた「コンピュータのしくみ」の授業実践をおこない,授業における生徒の意識および態度の変容,知識の習得に関する調査を行った。その結果,生徒はコンピュータのしくみの学習において,操作する自信や授業に対する態度がコンピュータに対する意識の形成に影響を与えていることが明らかになった。
  • 高垣 マユミ
    原稿種別: 本文
    2003 年 26 巻 2 号 p. 39-47
    発行日: 2003/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    本研究では,大学生の生活科の認識を測定する尺度を作成し,生活科の授業を受講する前の大学生151名を対象として,どのような因子構造が見られるかを検討した。分析の結果,以下の点力1明らかにされた。(1)生活科に関する学生の認識の構造は,2つの因子で説明できる。第1因子としては「生活科の学習指導上の効果」が抽出され,「日常生活に役立つ」「教師以外の関わり」等の10項目から構成される。第2因子としては「生活科の学習指導上の課題」が抽出され,「指導の困難さ」「評価の困難さ」等の6項目から構成されることが明らかにされた。(2)2因子における16項目のプロトコルを分析した結果,学生たちは,マスメディア等から獲得した間接的経験に基づいて,自分なりの生活科の知識を構築していること,「学び」のスタイルに関して,自分の小学生時代の個別の経験を一般化して意味づけようとしていることが明らかにされた。以上の結果を踏まえて,生活科教育の教授・学習方法の方向性について考察を行った。
  • 山崎 敬人
    原稿種別: 本文
    2003 年 26 巻 2 号 p. 49-58
    発行日: 2003/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    本研究の目的は,小学校教育実習を経験した教員養成学部学生の観察・実験観の様態を探ることであった。そのために,理科授業における観察・実験に関するする比喩生成などを用いた調査問題を作成し,質問紙調査を行った。その回答を分析し考察した結果,おもに以下のことが指摘された。(1)小学校教育実習を経験した学生では,「体験」と「興味・関心」という観点が,理科授業における観察・実験のねらいや役割に関する考えを構成する主要な要素となっている。(2)「予想や考えを確かめる」ことが理科授業における観察・実験のねらいや役割の一つとして重要であることは,彼らに十分認知されているものの,観察・実験のねらいや役割に関する考えを構成する中心的な要素とはなっていない。(3)小学校教育実習における理科の授業観察や反省会などでの学習機会の多少,及び理科の教壇実習の経験の有無による,理科授業における観察・実験観の違いは,ほとんど認められない。
  • 渡辺 通子
    原稿種別: 本文
    2003 年 26 巻 2 号 p. 59-68
    発行日: 2003/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    本研究の目的は,明治後期に刊行された国定国語教科書第一期と第二期とを内容分析の手法を用いて人間関係の観点から分析を行い,当時の教科書教材が受け手である子どもに対して,どのようなコミュニケーションのありようを想定していたのかを明らかにすることである。これまで第一期は,検定期教科書に高まりつつあった文学性を減退させた極端な言語教育的教科書であるとされ,第二期はその修正であり,以後の国語教科書の基盤と位置づけられてきた。分析の結果,第一期の方がスピーチや討論教材など多様な言語コミュニケーション教材が採録されていること,第一期から第二期への過程で年齢や地位による上下関係のコミュニケーション・スタイルが定着していくことが明らかになった。
  • 片上 宗二, 角田 将士, 久保 啓太郎
    原稿種別: 本文
    2003 年 26 巻 2 号 p. 69-78
    発行日: 2003/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    本稿は,全国社会科教育学会,日本社会科教育学会,社会系教科教育学会,日本教科教育学会などから近年発表された社会認識教育学関係の論文を,研究の方法論的視点から分類し,その紹介をすることにより,研究動向と展望を探るものである。その際の分類視点については,森分孝治編著『社会科教育学研究一方法論的アプローチ入門-』明治図書,1999年,を参考にした。同著によると,社会認識教育学研究は,事実研究,理論研究,史的研究,外国研究,関連研究に大別でき,さらに事実研究,理論研究は,それぞれ創造研究(づくり研究)と分析研究に分類できるという。こうした視点から論文を分類,紹介したところ,近年の社会認識教育学研究の動向として,事実研究と理論研究に分類されるものが多いという結果が得られた。今後も,引き続き事実に立脚した実証性の高い研究が求められよう。
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