体育の教科目標に関連して,学校文化や健康概念のとらえ直しから議論を展開した。体育授業にかかわって教科の目標とか,単元目標とかも,具体的な素材としてのスポーツを対象化しながら論じていくしかないと思われた。なお,その際でも,直接的には「健康」も一義的な意味をもちえず,したがって,直接の目標には設定しえない。スポーツそのものの中に「教える意味」と「学ぶ意味」を正当に,かつ過程的に位置づけられることが求められていると考える。その正当性とはどこからどのような論理で導かれるかといえば,現時点では,次のように考えざるを得ない。1)体育授業の実践家達の成功事例から実現可能な目標を導出すべきである。そして,成功という時の「内容」「方法」「条件」ともに「成功」といわしめる基準の確認も重要な観点になる。2)「自己学習力」は,われわれにまず存するものであって,<ある>とか<ない>とか,ないから<育てる>とかの論理ではない。われわれ自身の「内」と「外」との相互作用に加えて,自らの「内なる自己」とのコミュニケーションと相互作用を問題にすることになる。3)したがって,「選択制」という授業の方法の検討よりも,どれだけ教師にも子どもにも「意味」のある「関係」を授業のなかに位置づけていくかとする個々の特殊な課題を再把握する方が,遥かに普遍的で重要な課題解決につながる。4)そういった関係性の重視という観点から,われわれは,学校文化・生徒文化というものも,授業の論理に引き寄せていくことを要求されるだろう。
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