日本教科教育学会誌
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14 巻, 2 号
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
  • 丹治 一義, 萱野 貴広, 古橋 義彦
    原稿種別: 本文
    1990 年14 巻2 号 p. 35-40
    発行日: 1990/01/10
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    「自己評価力」の評価を,教材の特質に即した適切なものにするために,単元「化学変化とイオン」の学習で得た自己目標文,自己評価文より生徒の学習観を抽出し,それらを自己学習能力の評価基準(理科)と比較し,特徴を検討した。その結果,化学教材では生徒は,(1)目標時には向上目標に属する内容を,評価時には達成目標に属する内容を取り上げる傾向を持つこと。(2)「科学の方法を習得したい」,「学習内容が説明できる」など,認知領域が自己評価内容の60%を占め,「学習の意義の理解」を取り上げにくいことが明らかになり,中学生に共通した特徴である。これらは,評価者が生徒である以上,教師が自己学習能力の評価基準を化学教材に適用する場合に,考慮すべき必須の要因と考えている。
  • Yoshinori NUIBE
    原稿種別: 本文
    1990 年14 巻2 号 p. 41-48
    発行日: 1990/01/10
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
  • 永島 利明
    原稿種別: 本文
    1990 年14 巻2 号 p. 49-54
    発行日: 1990/01/10
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    家庭科という用語は1939年の青年学校教授及訓練科目要旨ではじめて使用された。しかし,家庭科の研究者,教員および教材研究受講者のなかには家庭科という名称は戦後使われたという事実誤認をするものがいる。この諭文はこの事実誤認を考察することを目的としている。1893年に実業補習学校規程が公布された。当時の公立学校の裁縫科の作品は父母から信用されておらず,女子は仕立屋,お針屋,裁縫塾で修業するものが多かった。また,実業補習学校女子部は高等女学校が設立されると,廃止されるものもあった。1935年より青年学校女子教員の養成が本格的に行われるようになったが,青年学校教員養成所女子部でも家庭科は使用されなかった。1944年の青年師範学校規程では家政が使われていた。青年学校教員養成所や青年師範学校の女子部は6大都市をもつ都府県では設立が遅いか,設立されなかった。このことから事実誤認が発生したと推定される。
  • 松本 伸示, 廣瀬 正見, 秋吉 博之
    原稿種別: 本文
    1990 年14 巻2 号 p. 55-61
    発行日: 1990/01/10
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    本研究は,理科学習に於ける生徒の「やる気」の要因を同定しようとする基礎的研究である。そこで,まず「やる気」に影響を及ぼすであろう項目を抽出し,理科における「やる気」に関する調査票:QMSCを開発した。調査は,昭和63年11月,兵庫教育大学附属中学校3年生126名(男子74名,女子52名)を対象として行われた。調査票の信頼度係数は0.85であった。分析の結果,本調査票の43項目中の31のものが,「やる気」に彫響を及ぼしていることが認められた。そこで,この項目をさらに因子分析にかけたところ5つの因子が抽出された。第I因子は「科学的興味」,第II因子は「科学的活動」,第II因子は「数学的作業」,第IV因子は「測定的作業」,第V因子は「内容不消化」の因子と解釈することができた。この内,第I,II因子はプラス側に,第III,IV因子はマイナス側に働くことが明らかになった。
  • 西園 芳信
    原稿種別: 本文
    1990 年14 巻2 号 p. 63-70
    発行日: 1990/01/10
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    本小論では,音楽科においてカリキュラム構成単位として「題材」という用語を使うようになったのはなぜか,またそれはカリキュラム構成単位の用語としては適切なものか,ということを問題にした。そこでまず「単元」の歴史を概観し,次に我が国の音楽科教育の変遷での単元や題材の扱い方を見ることによって,これらの用語がどのような概念で使われていたかを探った。結果は次のように要約される。(1)音楽科においてカリキュラム構成単位として「題材」という用語を使うようになったのは,戦後の経験主義教育への批判,反省が概拠になっている。(2)カリキュラムの構成単位としての用語には,教科の側面と学習者の経験を思考過程の中で統一・統合し,まとまりのある思考をもたらすような概念を備えていなくてはならず,「題材」という用語にこのような概念を持たせるには無理がある。
  • 福田 隆廣, 永井 久美子
    原稿種別: 本文
    1990 年14 巻2 号 p. 71-76
    発行日: 1990/01/10
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    本稿は美術科教育の教科特性のひとつとして,視党教育の必要性を述べるものである。今日の私達の日常生活ではメディアの拡大による映像などの視党的情報が過剰になってきている。こうした状況において,美術科教育は表現や鑑賞の活動に伴いながら,ヴィジュアル・コミュニケーションのための視覚教育の必要に迫られている。その教育方法のひとつとして,造形要素と視覚言語の構造的把握による造形的習得が考えられる。視覚言語はその構造において,言語の構造と比較して考えることが可能であり,本稿では構造の把握のために記号学を援用し,ランク,パロール,ランガージュの位置づけを再確認した。さらに,その構造を基に,美術科における視覚言語の意義と内容を明らかにし,視党言語能力の教育の可能性について述べた。
  • 東岸 克好
    原稿種別: 本文
    1990 年14 巻2 号 p. 77-83
    発行日: 1990/01/10
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    現代社会の見逃がせない問題の一つに利己性と大衆性とがある。それは,因果的,経済的立場を,目的的,桁神的,道徳的立場よりも重視する傾向を作りだした。この問題を克服するためには,教育に関して異なる専門研究者が協力しなければならない。それは,その研究者たちの協力によって子どもたちが全人へと教育され,人間力育成のための「ものの見方,考え方」の基木(構成要素)が明確にされなければならないからである。今日は,学歴が能力よりも要求される危険さえ感ずる。このような立場から,改めて教育とは何か,教育内容として教科は何かを問いなおし,子どもの能力を育てる教育を考えてみるべきではあるまいか。子ども各自の人間力,人間的生活力を育てる教科教育,教科教育による人間化,つまり教科教育学の建設が促進されなければならない。
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