社会学評論
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43 巻, 4 号
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  • 一九一〇年代・二〇年代日本におけるその「自己との関係」
    高橋 準
    1993 年 43 巻 4 号 p. 376-389
    発行日: 1993/03/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    独自の生活様式を持つ存在としての新中間層は、現代社会のさまざまな問題群の一つの焦点となっている。本稿では、日本でのその出現期 (一九一〇年代から二〇年代にかけて) において、新中間層が家族・教育という領域でいかなる再生産戦略を行使したかを検討しつつ、その戦略の中に見いだされる「自己との関係」 (M・フーコーの問題設定) を摘出する。新中間層の「自己との関係」は「避妊」や「家庭教育」「新教育」の中で明らかになる。それは「近代科学」と呼ばれ得る知と密接に結びついた権力関係を自分自身の生や身体へ折り返すものであり、専門家やマス・メディアに従属するものであり、「自己陶冶」「自己統制」という形で資本や国家の搾取の増大と支配の安定に資するものである。二〇世紀の後半に日本社会全体に広範にひろがるこの原理は、支配-権力関係の基盤を形成するものであるが、人々の生活や身体に内在するがゆえに支配を強固で安定したものにしている。
  • その範型としての「機械」
    遠藤 薫
    1993 年 43 巻 4 号 p. 390-405
    発行日: 1993/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は、時代の転換が叫ばれ、将来を見きわめにくいとされる現代社会に関して、その理解枠組を提示することにある。ただし、いかに著しい変容が指摘されようと、今日は昨日の続きである。そこでわれわれは、「現代」を生成する動態しての「近代」を再検討するところから始める。「近代」を規定してきたのは「機械」を経由した「普遍的真理」への指向といえる。が、これは自己解体へ通じるパラドックスを秘めている。「現代」は、この矛盾から生じた社会動態の一つの帰結であり、同時に過程である。本稿から導出されるこの認識から、今後更に精密に展開されるべき議論の基盤となる視点を提示する。
  • 社会学的新制度派組織論を中心に
    金子 雅彦
    1993 年 43 巻 4 号 p. 406-420
    発行日: 1993/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    従来の組織論の多くは、組織形態を技術的機能の観点からとらえてきた。このことはクローズド・システム論の場合でも、またオープン・システム論の場合でも同様である。それに対して、社会学的新制度派組織論は、組織は社会に広く浸透している意識を反映して組織形態を構成すると論じる。この見解に基づいた組織フィールド内における制度的同型化の現象はさまざまな種類のフィールドで観察することができる。しかし、新制度派組織論は従来の組織論と全く関係なく生じてきたのではない。制度的環境への注目はセルズニックの影響を受けている。ただし、文化的影響力がどのように作用すると考えるかという点で、両理論は異なっている。この相違は両理論が依拠している社会学一般理論、つまり知識社会学と機能理論とが、それぞれ社会的現実をどうとらえているかの相違に由来する。新制度派組織論は制度化された組緯形態がどのように伝播ないしは再生産されるかという議論に今まで集中してきた。そこから制度化された組織形態の発生あるいは消滅過程にまで視野を広げることが課題となる。そこで、学習過程を環境に適応するための行為過程としてとらえるマーチの組織学習論に接合して展開していく可能性を示唆する
  • 藤川 賢
    1993 年 43 巻 4 号 p. 421-435
    発行日: 1993/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    高田保馬は、日本において社会学理論を確立させた学者として知られている。しかし、他方では、彼が戦前から戦中にかけて行った一連の民族論に関して言及されることも多い。その場合に、多くの議論は、その内容以上に、高田の現実への対応の姿勢をめぐってなされており、また、その評価の間には、大きな賛否の違いがある。
    本稿は、高田の理論展開と民族論的言及とを追うことによって、彼の民族論の中で問題視される部分が社会学理論の展開との関連性を持っていることを示そうとし、その中で高田の目指した普遍的理論について検討し直そうとするものである。そこでは、高田の理論における「結合」の位置づけを中心に置いて考察している。
    高田の社会学理論は、「結合社会学」とも名付けられたように、「結合」を社会学の中心対象と考えながら構築された。だが、それが分析理論としての抽象性を高めていく中で、「結合」は中心的な位置から外され、諸個人に共通な、いわば「非合理な」傾向が彼の分析の対象になっていく。その時に、社会集団の成立と存続、そしてさらにその拡大と衰耗が、いかに連続して扱われうるか、という問題が指摘される。それは、高田が民族の団結を説く際にもあらわれている。その指摘の後、高田の理論展開の初期にまで戻って、それが「合理的に」捉えられ得たことを示した。その上で、理論に対する態度と関連させつつ高田の郷村への思いについて検討を加えている。
  • 白鳥 義彦
    1993 年 43 巻 4 号 p. 436-450
    発行日: 1993/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    デュルケームの生きた第三共和政下のフランス社会は、「国民教育」が確立される教育改革に見られるように実質的な国民国家形成期にあたる。そのなかでかれは自己の国家論を論じていた。一方デュルケームは、晩年に第一次世界大戦に直面するが、それはかれの一貫したテーマであった安定したフランス社会の確立にとって大いなる危機であった。
    本論文では、デュルケームが一九一五年に発表したパンフレット『世界に冠たるドイツL'Allemagne au = dessus de tout』を取り上げて主題とした。このパンフレットは、デュルケームの理論的関心と実践的関心をつなぐテクストでありながら、これまでほとんど論究されていない。本論文では、このパンフレットの内容を明らかにした後、それをデュルケーム国家論の展開過程のなかに位置づけた。デュルケーム自身の国家論を踏まえて、「異常形態」としてのトライチュケ国家論が批判されている。またデュルケーム国家論の展開過程では、ドレフユス事件が重要な意味を有していることも示した。このテクストの重要性は、 (1) それがかれの国家論の本質を明らかにするものである点、 (2) 当時、国家の問題が重要であった点、 (3) フランスにとって、また書評論文数にも示されているようにデュルケーム自身にとっても、ドイツの存在が重要であった点、 (4) このテクストが第一次世界大戦という時代状況に即したものである点、に求められよう。
    デュルケームは実践的な関心をもとに理論的な考察を行ったが、かれは結局現実の国家を越える社会的枠組は構想し難かった。それがいかに構想されうるかは、まさに今日的な課題でもある。
  • 占領下の都市町内会
    奥田 道大
    1993 年 43 巻 4 号 p. 451-453
    発行日: 1993/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 「家」の連続と不連続
    鳥越 皓之
    1993 年 43 巻 4 号 p. 454-455
    発行日: 1993/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 木下 謙治
    1993 年 43 巻 4 号 p. 455-457
    発行日: 1993/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 三重野 卓
    1993 年 43 巻 4 号 p. 457-458
    発行日: 1993/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 三上 剛史
    1993 年 43 巻 4 号 p. 459-460
    発行日: 1993/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 牟田 和恵
    1993 年 43 巻 4 号 p. 460-462
    発行日: 1993/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 多文化社会オーストラリアの社会変動
    吉野 耕作
    1993 年 43 巻 4 号 p. 462-463
    発行日: 1993/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    ある社会に関する知識が他の社会で伝播するためには、その社会で使われる言語を理解し情報収集できる紹介者が必要なのは言うまでもない。英語は様々な地域で用いられ、日本においても最も普及した第二言語であるにもかかわらず、戦後日本の社会科学ではアメリカ合衆国の紹介が圧倒的な割合を占め、他の英語使用社会に関する知識水準が見劣りするというアンバランスな状況が続いてきた。オーストラリア社会の研究も長い間取り残されていた。本書執筆の背景として、著者の大学において現代オーストラリア論設置のためにオーストラリア留学を命じられて以来追求してきたテーマであると述べているが、日本におけるオーストラリア社会研究の発展に大きく寄与することは間違いない一冊である。
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