社会学評論
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64 巻, 1 号
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投稿論文
  • ‹海外移住事業団出身› JICA元職員へのインタビューから
    崔 ミンギョン
    2013 年64 巻1 号 p. 2-19
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/09/10
    ジャーナル フリー
    本稿では ‹海外移住事業団 (以下, JEMIS) 出身› JICA元職員のインタビューをもとに戦後国際協力の担い手の連続性とその意味世界の変容のあり方を考察する. ここから高度経済成長期の社会変動の中, ‹外› と出会い, ときにはそこに自らが位置しながら, 日本という ‹内› の劇的な変化を経験することで, ‹内› からではなく, ‹外› から ‹内› を絶えず意識した社会集団のナショナルな認識を明らかにする. 本稿は社会全体を包含する ‹1つの› ナショナル・アイデンティティに焦点をあてるマクロな視点に批判的な立場からさまざまな属性や経験をもつそれぞれの社会集団によって多元的に再構築されたナショナルな認識の1つとして ‹JEMIS出身› JICA元職員の語りを捉える. インタビュイーは高度経済成長初期, まだ日本からの海外移動が大きく限られていた中, 移住事業に従事することで海外との繋がりをもち, 長年の海外勤務を行う. さらに彼らはその後, 国際協力関連行政組織の再編の中, ‹移住畑› の国際協力の担い手として斜陽化する移住とそのかわりに浮上してきた国際協力, 両者に関わることで固有のナショナルな認識を繰り広げることになるのだ. それは戦後日本における国際協力や海外移動, 国際化など, 国際的であるさまざまな事象の歴史的な理解に基づくものとしての特徴をもつ.
  • ポーランド, ノヴァ・フータ地区を事例として
    菅原 祥
    2013 年64 巻1 号 p. 20-36
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/09/10
    ジャーナル フリー
    本稿は, ポーランドのクラクフ市・ノヴァ・フータ地区を研究対象として, 社会主義ポーランドにおけるノヴァ・フータがかつてそこの住民にとってどのように体験され, また現在ポーランドの言説空間の中でどのように扱われているか, また, ポスト社会主義と言われる現在において, 社会主義的「ユートピア」建設という過去とどのように向き合いうるかを検討することを目的としている. かつて「社会主義のユートピア」として讃えられ, 現在では社会主義の負のイメージを全面的に背負わされているノヴァ・フータという場所は, 当時の社会主義体制がめざした「ユートピア」像に対して実際にそこに住む住民たちはどのように反応・対処したのかを考え, さらに, ポスト社会主義の現在において, 社会主義の「過去」の経験がどのようなアクチュアルな意味をもちうるのかを考える際に格好のフィールドである. 本稿は, 雑誌資料や出版物などの二次資料をおもに扱いつつも, 適宜筆者が行ったインタビュー調査を参照しつつ, ポスト社会主義の「現在」における生の中でかつての社会主義的「ユートピア」の記憶と体験がもつ意味と, そうした過去を今あらためてアクチュアルなものとして問い直すことがもつ可能性を探求することをめざしている.
  • 少年犯罪報道に見る「心」の理解のアノミー
    赤羽 由起夫
    2013 年64 巻1 号 p. 37-54
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/09/10
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は, なぜ少年犯罪において「心の闇」が語られるようになったのかを明らかにすることである.
    「心の闇」は, 1990年代後半から2000年代中頃にかけて社会問題化した戦後「第4の波」と呼ばれる少年犯罪を語るうえで重要なキーワードの1つとなった言葉である. この「心の闇」の語られ方には, それが, 一方で理解すべきものとして語られながら, 他方でどれだけ努力しても理解できないものとしても語られたという特徴がある. つまり, 「心の闇」は, 「心」を理解したいという欲望の充たされなさによって特徴づけられているものであり, ここからは, エミール・デュルケムが『自殺論』で論じたアノミーの存在を指摘することができるのである.
    そこで, 本稿では, 「心の闇」という言葉がどのような社会状況において人々に受容されるのかについて, デュルケムのアノミー論を援用しながら知識社会学的に考察する. 考察を進めるうえでの参考資料としては, 新聞と週刊誌の少年犯罪報道で語られた「心の闇」を用いる.
    本稿では, 以下の手順で考察を進めていく. 第1に, デュルケムのアノミー論について概説し, 「心の闇」とアノミーの関係についての仮説を提示する. 第2に, 少年犯罪報道において, どのようにして「心の闇」が語られていたのかを確認する. 第3に, どのようにして「心の闇」がアノミー的な欲望の対象となったのかについて考察する.
  • 山東省X村における農村都市化を事例として
    閻 美芳
    2013 年64 巻1 号 p. 55-72
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/09/10
    ジャーナル フリー
    本稿は, 農村都市化政策のもと, 村の移転を迫られた中国山東省X村の事例を分析することを通じて, 村人相互の間に立ち現れた共同性の作動するプロセスを明らかにし, 中国における村の自治の可能性について考察することを目的としている.
    これまでの中国村落に関する諸研究では, 日本の村との比較を念頭に置きつつ, 中国の村には村を基盤とする共同体 (共同労働組織を念頭においた共同性) が存在しないとする見解や, 共同性が見られる場合であっても, それは「差序格局」に基づいた「私」や「個」の輻輳として理解される場合が多かった.
    本稿で扱った事例では, 村の消滅を目の前にした村人たちが, 利害が錯綜するなか, 私利を抑えてまで「村の公」に基づく共同性を高めていった. そうしたことが可能になったのは, 村の消滅に危機感を抱いた人びとの組織的な働きかけによって, 一人ひとりが村の一構成員であるというメンバーシップの意識が高まり, さらにこのような働きかけ自体が私利に還元できない「村の公」に基づくものであることを, 村人相互が認識していたからであった.
    このように中国農村における共同性は, 村の枠組みが動揺するなどの非常時には, 平常時とは異なる構成原理を示すことが明らかになった. 農村都市化など大型プロジェクトが矢継ぎ早に実施されている中国の農村地域においては, 村の危機が意識され, 平常時とは異なる村の自治が行われる可能性が高いと考えられる.
  • 認知症家族介護への構築主義的アプローチ
    木下 衆
    2013 年64 巻1 号 p. 73-90
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/09/10
    ジャーナル フリー
    本稿は, 認知症を患う高齢者を介護する家族 (介護家族) から聞かれる, 「要介護者の本当の姿を知っていたのは自分だけだった」という発言を, 「特権的知識のクレイム」 (Gubrium and Holstein 1990=1997) として分析する. 介護家族による特権性の主張は, 近年の認知症理解とは一見矛盾する. 近年の医学的議論は, 認知症患者の相互行為能力を認め, その主体性を尊重することを求めている. 介護家族の発言は, 要介護者の相互行為能力を無視し, 一方的に自身の「リアリティ定義」 (天田2007) を押し付けているように見える. しかし本稿は, 介護家族のクレイムは, 「認知症」という概念を参照することで初めて成立すると指摘する. 認知症患者の病態は, 環境や周囲の人の対応によって大きく変化する. そのことはしばしば, 「要介護者の病態について, 関係者の判断が異なる」事態を招く. このとき介護家族は, 要介護者の (「昔話をする」といった) 反応を「病気の症状」として解釈することを求める. さらに介護家族は, 「家族の関係性」といった要素を織り込みながら, 自分たちの判断の正当性を主張する. つまり介護家族は, 「認知症」という概念を日常生活にどう当てはめ, 要介護者の病態を推論するかについて, 自分たちの知識の特権性を主張しているのだと読み取れる. ここには, 「新しい認知症ケア」 (井口2007) 時代の家族介護の秩序問題がみられる.
  • 菅野 摂子
    2013 年64 巻1 号 p. 91-108
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/09/10
    ジャーナル フリー
    胎児を独立して検査できる出生前検査の出現により, 胎児の疾患や障害のため中絶する, いわゆる選択的中絶が問題として浮上している. 通常の中絶に対してフェミニストはその正当性を確保するために ‹自己決定› を主張してきたが, 優生思想への危機感から選択的中絶を ‹自己決定› としては認めず, 中絶の特異点と措定した.
    本稿では, 筆者がこれまでに行ったフィールド調査から, 女性たちの出生前検査および選択的中絶の経験を記述し, 選択的中絶と日本のフェミニズム理論との関連を考察した. その結果, フィールドでの選択的中絶の問題点は望んだ妊娠にもかかわらず中絶への回路が開かれてしまうというところにあった. その際, 自分のためというより胎児のため, という母性的な言説が使われており, それは出生前検査の受検の際にも使われていた. 超音波検査によって胎児への愛情が喚起されたり, 思わぬアクシデントがある中で, その選択は状況依存的な決定にならざるをえない. そうした決定を支える, ‹自己決定› 概念の創出がフェミニズムにもとめられる. ここでいう ‹自己決定› は, 自分で決めたからという理由で無条件に選択的中絶を正当化するものではなく, 母性に収奪されがちな文化と優生思想に対する批判の双方を捉えながら, 可変で多様な「自己」に対応可能な概念である.
  • 是川 夕
    2013 年64 巻1 号 p. 109-127
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/09/10
    ジャーナル フリー
    外国人人口の増加は, 1990年代以降の日本における, 戦後日本の社会の構造変化を象徴する出来事であり, これまで多くの研究が行われてきた分野であるものの, 外国人女性の出生行動について行われた研究は, 思いのほか少ない. しかし, 出生行動は現地社会と結びつきの強い「移民2世」を生み出すなど, 移民の定住化の方向性を左右する重要な契機であり, 外国人人口の日本社会への定住化が進む現在, こうした点について明らかにすることは重要である.
    本稿では, これまで欧米の先行研究が明らかにしてきたように, 移住過程, とくに定住化が外国人女性の出生動向に与える影響について分析を行った. その結果, 外国人女性の出生行動は, 同一国籍内でもサブグループ間で大きく異なる可能性が高いこと, および定住化に伴う適応/同化効果が出生力にプラスの影響を与える可能性が示されたといえよう. また, 日本における外国人の定住化が, 世代の再生産という新たな局面に入っていくことが示されたといえよう.
    こうした結果は, マクロ統計から得られた知見であり, 今後, ミクロデータを利用したサブグループ間の出生力格差や, 定住化の影響の違いを明らかにする必要があるだろう. その一方で, 本稿の研究はこれまでこうした分野における知見が少なかった中, 今後の調査研究の作業仮説となる重要な知見を提供したものと考えられる.
第11回日本社会学会奨励賞【著書の部】受賞者「自著を語る」
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