社会学評論
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35 巻 , 3 号
選択された号の論文の14件中1~14を表示しています
  • 青井 和夫
    1984 年 35 巻 3 号 p. 248-259
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    本日ここに会長講演をさせていただきますことは、私の最も光栄とするところであります。しかしながら私は、歴代の日本社会学会会長と違いまして、まだ著書らしい本を書いていません。誠に恥かしい限りでございます。
    ただ数年前「小集団の社会学」 (1) という本を書きましたところ、多くの方々から多大のご批判をいただきました。批判のうち最も多かったものは、「あれは一体小集団に関する本であるか?」そしてまた「あれは社会学の本であるか?」というものでした。中にはニヤリと笑って、「大分神がかって来たな」という人もいました。と申しますのは、あの本の大部分は先学の方々の理論の孫引きでございまして、交換理論、バランス理論、小集団の深層理論、日常生活世界論のそれぞれについて他人の理論を紹介しては、「まだ不十分だ」とか「駄目だ」といって切り捨ててしまっているからであります。そして最後の章の「禅と社会学」では、今までの社会学理論の全体を否定し去って、何物も残らない「空無」の状態に陥れているかの如き書き方をしています。そこで本日は「禅と社会学」という同じ題目で、大部分は重複いたしますが、少し補足させていただきたいと思います。
  • 藤竹 暁
    1984 年 35 巻 3 号 p. 260-269,387
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 新 睦人
    1984 年 35 巻 3 号 p. 270-283,386
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 今田 高俊
    1984 年 35 巻 3 号 p. 284-295,385
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    一九七〇年代なかば以来、先進産業社会は豊かさと成長の限界とが併存する社会進化の天井のなかで、慢性の病理がもたらす陰鬱で展望の開けない状況に閉じ込められ、沈滞と閉塞のムードが蔓延し始めつつあった。こうしたなかで、一九八〇年代にはいって、マイクロエレクトロニクスに代表される新技術革命と高度情報社会の構想が急速にクローズアップされ、一つの社会運動にまで高揚してきた。そしてこの運動は産業社会が迷い込んだ閉塞状況を突破して、新たな産業社会の位相へとわれわれを導くに違いないとする希望的観測のもとに、技術革新主導型の社会パラダイムづくりが大きな社会的関心事となり、現在、産業社会が抱えている慢性の病理の問題が背景に退けられてしまいかねない様相を呈している。この小論では、こうした立場を避け、豊かな社会、成長の限界、新技術革命の三者の関連が、転換期にある産業社会の秩序再編問題にどのように位置づけうるかにかんする考察を試みてみた。新技術は高い社会的選択価値をもち、これまでの産業化を支えてきた工業化・民主化・大衆化の構図を転換させること。ミクロな社会的行為の水準ではクオリティ・ライフの実現として進められてきた静かな生活革命を促進すること。マクロな社会システムの水準では付加価値原理の構築と安定成長の確保を促進させること。これらが主たる論点である。
  • 副田 義也
    1984 年 35 巻 3 号 p. 296-307,384
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    Since the later half of 1960's, in the sociology of Japan the theory of life structure or life system has been developed. Using this theory, I will make the frame of analysis for the influences of the increasing informations on life structure and study some facts of those influences.
    I. I will mention the information behaviors between individuals such as conversations, keeping household accounts, writing the diary, taking photographs and fixing them in the album, making the movie, making the schedule and the last will and the testament, and conversations by telephone.
    II. I will study the information behaviors between the individuals and enterprises. The information coefficient is the rate of the expense for informations in the total household expense. As the income of household becomes higher, it's information coefficient grows higher. Recently the informations for life offered in the catalogue style tend to increase, and people tend to want the full explanation from profession. These two tendencies are observed in using the data bank. The customers list is made from the informations offered by customers to enterprises.
    III. I will deal with the information behaviors between the individuals and the nation. In the family policies such as the family register policy, the resident registration policy and the final income tax return policy, people provide a great many informations about their lives for central and local governments. The governments accumulate those informations. There is the possibility that the governments use those to administrate the people effectively in their own covinience. The nation sends many informations for people, too. But, they tend to be negative to accumulate and to use these informations.
  • 中野 収
    1984 年 35 巻 3 号 p. 308-318,383
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    社会の情報化に伴って、文化の各領域での変容が進行する。しかし、情報化は必ずしも原因ではない。文化の変容によって情報化が進行し、情報化が文化変容を促す。というか、むしろ、情報化と文化変容は、産業社会の変動のふたつの側面なのである。
    '60年代以降、人々の生活様式の変化が著しい-衣食住の形から社会的移動のパターンまで。特に、テレビの普及にはじまるさまざまなメディアの生活への浸透は、社会や生活の中での人間の条件を変えてしまった。人々は孤立し、メディアを擬人化し、メディアに知識情報を求めなくなった。
    この現象は、いわゆる価値の多様化と併行して進行した。さまざまな社会的規範が弛緩し、価値の多様化が進み、社会的逸脱が常態化した。その結果、社会的表象を解読するコードが、不安定になり、流動化した。
    こうした社会的規範の極度に弛緩した時代に、文化創造は、どのような形で、いかにして可能なのだろうか。新しい生活様式は、明らかに文化の創造であった。たしかに、, 60年代は文化的に多産な時期であった。しかし、現在、音楽、絵画、文学、映画、演劇における創造の主要な形態は、引用と模倣と剽窃とパロディにとどまっており、創造の名に値する創造は、極めてマイナーな領域で行われているにすぎない。
  • 今枝 法之
    1984 年 35 巻 3 号 p. 319-332,383
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    Both 'the postulate of adequacy' (A. Schutz) and 'double hermeneutic' (A. Giddens) can be considered as critiques of positivism. I think positivism has two main components, the 'unity of science' and the 'rationality of science'. The 'rationality of science' is my coinage. It refers to the belief that scientific knowledge is rational and objective and much better than any other forms of knowledge epistimologically.
    Traditionally some social theorists have critisized solely the idea of the “unity of science”. That has depended on the dichotomy of 'Geisteswissenschaften' and 'Naturwissenschaften'. Schutz and Giddens refute the “unity of science”, too. Their views can be seen as up-to-date styles of criticism on positivism. But I argue that their critiques do not necessarily succeed. So I will suggest that to gain the post-positivistic self-understanding of sociology, sociologists must criticize not only the 'unity of science' but also the 'rationality of science' by reference to Feuerabend.
  • 森 元孝
    1984 年 35 巻 3 号 p. 333-348,382
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    ユルゲン・ハーバマースはコミュニケーション行為 (kommunikatives Handeln) という考えを二〇年近く主張してきた。本稿は、このコミュニケーション行為論にかんする若干の考察である。ハーバマースの最大の関心は、近代科学と人間行為との関係を考察することにある。したがってコミュニケーション行為論は、社会的行為論でありかつ科学論でもある。
    以下の論稿において、ハーバマースがこれまで展開してきた科学論上の研究を、パーソンズのシステム論的行為論を分析するために適用する。ハーバマースは真理の合意説 (Konsensustheorie der Wahrheit) と呼ぶ立場から社会的行為論を考察している。その結果、ディスクルス論 (Logik des Diskurses) と呼ぶ対話論理学を社会的行為論の理論的支柱に据えることになった。この試みを踏まえて、パーソンズの社会的行為論を問題にする。そうすることにより、ハーバマースのコミュニヶーション行為論がもつ固有性を見出し、批判理論としての働きをとらえることができる。
  • 田中 滋
    1984 年 35 巻 3 号 p. 349-365,381
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    従来の役割論は、象徴的相互作用論のそれであれ、また構造・機能主義の役割論であれ、役割にたいする「自己」の関係を中心に分析を展開し、「他者」は自己と役割との媒介者としてのみ位置づけられてきた。しかし、役割論が本来個人と社会とを接合するという課題を担う以上、媒介者という副次的意義をもつだけの「他者」ではなく、それ独自の理論的意義を与えられた「他者」が要請されている。マルクスの物象化論およびこの物象化論の原基的論理を構成する価値形態論は、こうした要請に応えるのに好適な論理構造をもっている。本稿は、この論理構造を役割論に援用する手掛りとして、G・H・ミードの「意味」の議論を取り挙げる。意味と経済的カテゴリーとしての「価値」とは、いずれも社会的関係の相互作用的側面と深く係わるという共通性をもち、マルクスの価値形態論とミードの「意味」論との間にアナロジーを働かせることができる。本稿は、このアナロジーに基づき、「他者」と意味・役割との関係が「自己」とそれらとの関係にたいして「独自性」をもつことを明らかにすることによっての、役割論を再構成しようとするものである。またこの試みは、直接にマルクスのマクロ・レベルの分析とではなく彼のミクロ・レベルの分析とミードの理論とを接合しようとするものであるがゆえに、すなわち同一レベルでの接合を企図するがゆえに、より整合的にマルクスの理論とミードの理論さらには社会学とを接合させる可能性を生み出すものとみなすことができよう。
  • 金子 勇
    1984 年 35 巻 3 号 p. 370-371
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 飯田 良明
    1984 年 35 巻 3 号 p. 372-374
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 四方 寿雄
    1984 年 35 巻 3 号 p. 374-375
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 和田 修一
    1984 年 35 巻 3 号 p. 376-378
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 篠崎 正美
    1984 年 35 巻 3 号 p. 378-379
    発行日: 1984/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
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