社会学評論
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46 巻 , 1 号
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  • 土場 学
    1995 年 46 巻 1 号 p. 2-15
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    本稿は, ハイエクの自生的秩序論を, 「個人主義的秩序はいかにして可能か」という正義論的秩序問題に対する解答として捉える視点から分析し, その問題点を析出する. ハイエクの自生的秩序論は, 個人の「自由」と社会の「進歩」が整合的に進展していくプロセスを証示することを最大のねらいとしている.しかしそこで重要なポイントは, ハイエクの論証は, 「ルール・システムに従属した〈主体〉」を公理とする「自生的秩序」の論理と「ルール・システムから独立した〈非主体〉」を公理とする「文化的進化」の論理という二つの異なる論理的位相のもとで成立している, ということである.したがって, いずれにせよそこには「ルール・システムから独立した〈主体〉」は存在せず, ゆえに結局, ハイエクの自生的秩序論のもとでは個人主義的秩序にかんする正義論的秩序問題は意味をなさないのである.
  • 石戸 教嗣
    1995 年 46 巻 1 号 p. 16-28
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    教育システムが自己準拠的な機能システムであるためには, 学歴主義をいかに反省するかが大きな問題として存在する.本稿は 1980 年代に顕著になった悪循環型の学歴主義, すなわち, 学歴効用の低下と逆行する形での学歴獲得熱の高まりについて, ルーマンのメディア論に依拠しつつ考察するものである.それによれば学歴メディアは, 自己と他者の差異と同一をめぐるパラドックスを含んでいることが示される. 他方で, 日本型学歴主義の重層的拘束力のゆえに, 教育システムとパーソナリティ・システムとの関係は, 両者の「相互浸透」ではなく, 後者から前者への「一方的浸透」から成立っている. その「一方的浸透」 を通じて学歴メディアのパラドックスはパーソナリティ・システムの動機レベルでのパラドックスに転移する. そのパラドックスに自足するのはアイデンティティ獲得の方策が他に見いだせないためである. このような疑似アイデンティティを与えることが今日の学歴主義の機能である.
  • 城 達也
    1995 年 46 巻 1 号 p. 29-45
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    近代の古典的「教養」の空洞化と絶対的「精神」への不信は, ドイツの教養階層に自分たちの行動の指針となる新たな規範を探求させた. アーノルト・ゲーレンの理論はこの問いへの一つの回答である.
    人格の陶冶という自発的, 自律的な規範形成に代えて, ゲーレンは行為と認識の究極的基準を行為の慣習たる、「制度」に求めた.これを国家と同一視し, 戦前はナチス国家を支持するに至った.戦後, 民主主義的国家の法秩序に加え, 専門科学的知識と産業社会の機能連関を一つの「制度」と見なし, 近代的価値を維持する規範として受け入れた.戦後の教養階層に共通するこの「現実主義的」な路線修正により, ゲーレンは現存秩序だけに規範性を認め, それを批判する知識人を脅威として弾劾するに至ったのである.
    ゲーレンの制度論に見られるこの創造性と主体性の欠如を乗り越えて, 彼の理論的後継者たちは今日新たな規範を探求している.
  • 白鳥 義彦
    1995 年 46 巻 1 号 p. 46-61
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2010/01/29
    ジャーナル フリー
    デュルケームの生きた第三共和政期のフランスは, 「非宗教的・無償・義務的」という原則に支えられた初等教育制度が確立されたことに端的に見られるように, 近代的な国民国家を目指した歩を進めようとしていた.同時に, 普仏戦争の敗北から出発した第三共和政には国家の再建ということが課せられており, その一環として, 初等・中等教育と並んで高等教育の改革もまた議論された。
    このような背景を踏まえ, 本論文では, デュルケームの教育論のなかでも初・中等教育の問題の陰にかくれ, これまで検討されることの少なかったかれの大学論に注目した. かれは, 高等教育の問題についてもまた深い論述を行っている.実際デュルケームは, 1900年前後の「新しいソルボンヌ」を代表する人物の一人でもあった。
    デュルケームの論述の検討を通じて, 改革に至る当時の大学の諸問題や, 改革の理念における大学像が明らかにされる.大学は, 職業的な専門教育をおこなうグラン・ゼコールとは区別され, 社会的紐帯を高める役割を期待された「科学」の場として把握されている. またデュルケールの社会学は, そのような科学観を背景に大学内に制度化されたのであり, 高等教育改革の議論と関連づけることにより, かれの社会学の性格も浮き彫りにされるのである。
  • 伊藤 美登里
    1995 年 46 巻 1 号 p. 62-76
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    著書『イデオロギーとユートピア』に見られる K. マンハイムのペシミズムは, 彼が述べるような次の時代の真理としてのユートピアに導かれて社会を変革し, 形成するという, 「近代史の発展をつらぬく構造形式」が成立しなくなりつつあるという事態, ユートピアの消失という事態にたいする彼の危機感の表明であったが, それと同時にこのユートピアの創造者として, 近代社会において政治的・文化的に圧倒的な優位を誇っていた教養市民層が, 大衆社会の到来とともに没落の危機に瀕し, 「ユートピアの担い手」としての自己像すら危うくなりつつあることへの危機感の現れでもあったと考えられる。
    イギリス亡命後のマンハイムの理論の変化は, 上述の事態を解決しようとするなかで生じてきたものである. 彼は, 大衆社会において民主主義をうまく機能させる唯一の方法として「自由のための計画」を提唱した. 彼にとってそれは, 近代社会を形作ってきた「近代ユートピア」の存立が不可能となった時代において可能であるところの, 別の型の「ユートピア」であった.また, 「自由に浮動するインテリゲンツィア」にかわって, 「計画者としてのエリート」という役割を知識人に与えることで, 彼は知識人存在の新たな存在形式を創出しようとしたと見ることができよう。
  • 武井 愼次
    1995 年 46 巻 1 号 p. 77-78
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 柳瀬 佳子
    1995 年 46 巻 1 号 p. 78-80
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2010/01/29
    ジャーナル フリー
  • 佐々木 衛
    1995 年 46 巻 1 号 p. 80-82
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 柏岡 富英
    1995 年 46 巻 1 号 p. 82-83
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 富田 英典
    1995 年 46 巻 1 号 p. 84-85
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 沢田 善太郎
    1995 年 46 巻 1 号 p. 86-87
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 大橋 照枝
    1995 年 46 巻 1 号 p. 87-89
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 関 孝敏
    1995 年 46 巻 1 号 p. 89-90
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 小林 甫
    1995 年 46 巻 1 号 p. 91-92
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 宮原 浩二郎
    1995 年 46 巻 1 号 p. 92-94
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
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