農民サイドからみて, 直接的には農薬 (毒) 問題が引き金になったとはいえ, 基本法農政以来の農業近代化論, 国際分業論への疑義が, 彼らと都市の消費者を直接結びつけ, 「提携」という独自のシステムを発展させたといえる。有機農業の出発は, 論理ではなく, 自らの自立を願い自らの感性を信じた試行錯誤の実践であった。その運動は, 権力や資本が一瞥だにしない「場」を創り出し, 自らの力を蓄えて, 今新たな段階に入った。
生活論を踏まえた生活環境主義の立場に, 調査主体の客観化を徹底する視角を加えることで何が見えてくるのか, という問いを立てた。しかし, その問いそのものを有機農業の「場」は融解してしまう。
住民運動や反原発運動などとは異なり, 有機農業運動は敵手を容易に定められない, 言うならば, 敵手を自らの中にも探り当てる「自省」の運動である。そうした主体的「運動」であるがゆえに, 「先人木を植えて, 後人その下に憩う」という言葉に見られるように, 互酬的でも共時的「対話」でもなく, 「世代間の相互性」を可能とする「運動」へ発展する可能性を秘めているのではないだろうか。この「運動」に, 研究者は「介入」するというより, 多辺田の「のっぴきならないものに係わる」という言葉が相応しい。
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