本稿では, 女性誌に載せられた恋愛ハウトゥから純粋な関係性を志向する自己知を探索し, さらに分類・整序することによって如何なる助言をめぐる言説から成り立っているのかを明らかにした. 女性誌の恋愛ハウトゥ記事の中でも, (a)「(あなたは) ~のために~の状態・行動パターンに陷っていないか」「~の思考状態になると恋は上手くいかない」, (b)「恋愛関係を築いていくには~の思考の仕方・行動のあり方が必要である」といった自己発見・自己変革を促す助言が載せられた記事を分析資料としている.
分析の結果, 女性誌の恋愛ハウトゥには(a)「自己否定意識・拒否される恐怖感が強いために, コミットする積極性を失っている状態になっていませんか」「独占欲・嫉妬心・依存心の強さからオーバー・コミットメントを行っている状態になっていませんか」「自己欲求 (自分の気持ち) を抑圧し, 相手の欲求を満たすことに没頭する状態になっていませんか」「自己欲求 (自分の気持ち) を満たすことのみを優先し, 相手の欲求に無関心・無配慮な状態になっていませんか」などの言説が存在していた.
一方, (b)「恋愛関係を築いていくには~の思考の仕方・行動のあり方が必要である」という自己変革を促す言説は, 多くの相反する様相を呈する助言で氾濫するようになっていた.
本稿の目的は, 犯罪者を家族にもつ人びとが, スティグマをいかにして内在化していくのかを, 生起される恥の感情に注目しながら明らかにすることである. そこで, 犯罪者を家族にもつ人びとを対象にインタビュー調査を行い, Rachel Condryの「恥の網の目 (web of shame)」を用いて分析を試みた. Condryの研究は, 重大な罪を犯した人の家族らに限定し, その恥の感情を類型化することにとどまっている. これに対して本稿では, 軽微な犯罪も分析の対象に含め, いかにして恥を感じるのかをプロセス的に捉えることを試みた.
分析の結果, 犯罪者を家族にもつ人びとが抱く恥の感情は, 他の家族成員の犯した罪の大小に接近するよりもむしろ, 事件前後においての社会における自己の位置づけの落差を認識することによって生起されていたことが明らかになった. 家族らは刑事司法システムにおける警察などとの相互行為のなかで「犯罪者の家族」としてのまなざしを認識しながら, 置かれている状況の変化を自覚していくことになっていた. 以上の分析によって, 犯罪者を家族にもつ人びとの恥の感情は, スティグマをもたない時期の社会的経験によって影響を受けるという示唆が得られた.
本稿は, 井上俊の著名な青年文化研究に含まれる理論的な脆弱さに着目し, 行為論の角度から彼の遊び論を批判的に検討しようとする試みである.
周知のように, 井上は1970年前後の青年層を「遊びの精神」によって特徴づけた. 井上の「まじめ―実利―遊び」の区分は, R. カイヨワの「聖―俗―遊」というアイディアを行為論の枠組みに転用したものである. それゆえ井上のいう「遊びの精神」にはカイヨワの影響が色濃い. 首尾一貫した行為論的認識枠組みを構成するためには, カイヨワから離れ, 理念や利害とは異なる第三の動機が何かを徹底して考え抜く必要がある. 本稿はその第三の動機の本体を体験選択とみなし, 井上のいう「遊びの精神」は体験選択動機の一つの表現型であると考える. 井上が遊びの精神という言葉で示そうとしていた内容を, 井上の前提 (行為論の枠組み) を共有しかつ論理的一貫性に注意しつつ突きつめていくと, 体験選択ないし体験選択動機という用語に行き着く. これが批判的検討の結論である. この議論を受けて, 最後に, 人物ドキュメンタリーを素材に体験選択動機の現在が語られる. 体験選択価値が上昇するとともに体験選択自体が変質したというのが, そこで提示される認識である.
本稿の目的は日本社会におけるファッション・デザイナーの, 〈芸術家としてのデザイナー〉の形象の生成と瓦解について析出するとともに, その変容の社会的意味について明らかにすることである. とくにここではデザイナー自身の発言と活動, ならびに彼らを取り巻く産業とメディアの双方の視点より分析を行う.
まず1970年代から80年代にかけて, 彼らは自らのデザインへの言及とその作品化を試みるとともに, 組合の結成とファッション・ショーの開催を果たした. 一方産業ではこれらを可能にする多品種少量生産と短サイクル化が実現し, 評論家や哲学者による批評空間も成立した. 〈芸術家としてのデザイナー〉の形象は, こうした彼ら自身と環境の連関のなかで形成された.
だが1990年代以降, SPA企業と高級ブランドのコングロマリットによる産業再編が生じ, 批評空間も社会学者やマーケターによる消費者の分析へと移行していく. また彼らはこの状況に批判的でありながらも, 企業組織としてグループ化やコラボレーションを実践する. そこにはブランドへと包摂される, 〈企業組織人としてのデザイナー〉の姿がある.
このようにファッションの現在は新たな形象のもと, デザイナーによるモードの創出を困難にする一方, マーケティングの世界とそれに戯れるコーディネートの感覚が拡がっている. だがこれはモードの貫徹した姿であると同時に, ファッションの歴史を描く今後の課題を呈示している.
「社会」用語法の経緯を現時点から捉え直すとき, 日本の経験は西欧の経験とともに世界史的含意をくみ取るべき先行事例に属する. 「社会」用語法の世界史的特徴を析出するには, 先行グループの経験から考証するしかないが, 日本の経験はその考証対象の1つである. 本稿は日本における「社会」用語法を検証しているが, それは日本的特殊性や後進性を見出すためではなく, 「社会」用語法の世界史的な経緯を解釈する参照事例にするためである. 「社会」の語で表象されてきたのは, あるときは具体的任意団体や交流範域であり, あるときは統治秩序へ働きかける作為の側の規範的拠り所であった. そして19世紀終盤以降に「社会国家」 (福祉国家) を希求する論調のなかで, 国家的再分配システムが包摂すべき生活領域を含意させるために前接用法 (または形容詞用法) が増加する. 「社会」用語法は特定の国や地域の内部で個別に発展してきたというよりも, 世界史的なスケールで諸表象が覆い被さるように混在するかたちで展開してきた. そして20世紀初頭以降に名詞形での「資本主義」による表象が定着しはじめていくなかで, 「資本主義」批判の言説と共鳴しながら「社会」用語法はよりいっそう普及した.
本稿は, 安全安心まちづくりの全国展開から10年を経た現在, 全国初の民間交番を開設した仙台市宮町地区防犯協会を事例に, 「地域セキュリティの論理」を分析枠組みとして地域防犯体制の構造転換を明らかにする. その際, 都市計画道路として開発が進められてきた北四番丁岩切線に着目し, 中心・周辺・郊外のマクロな都市構造の変化と, 区制の導入および警察管区の再編というメゾ次元の地域構造の変化によって, 地区防犯協会と地域社会がどのように影響をうけてきたのかという観点から論じる. 仙台市の拡大に伴い北四番丁岩切線は拡張を繰り返し, 市の区制移行を契機として中江交番は幸町へと移転した. 中江・小田原地区から分離・新設された幸町防犯協会は, 地区の再開発のなかで新たな活動をはじめた. 他方で, 中江がインナーエリアとしての様相を強めるなか, 中江・小田原地区防犯協会は宮町地区防犯協会に編入され, 宮町民間交番が開設された. 当初, 民間交番は地域の「居場所」として応用的な活動をみせた. しかし, 町内会連合会は民間交番の運営の不備を巡り紛糾した. アノミー状況をのりこえるために, 民間交番は合理的組織構成を正統性に据えた組織に刷新された. これにより脱領域的な広域の活動が可能となる一方で, 安全安心まちづくりにより地域セキュリティの論理の疎外が生じた. これを対象化しつつ地域に根ざす活動の可能性を見いだすことが今後の課題となる.
都心衰退地区に形成される芸術家街は, ジェントリフィケーションの契機となることが知られてきた. 芸術家の存在は, 不動産開発や飲食業・文化産業の集積を促し, その過程において地価は高騰し居住者階層は移り変わる. 先行研究では, ジェントリフィケーションのメカニズムを分析するにあたって, おもに不動産業者や消費者としての中産階級に注目してきた. ところが, 重要なアクターであるはずの美術作品の展示・売買を行う画廊については十分な分析がなされてこなかった. 本稿の目的は, 芸術家街を契機とするジェントリフィケーションのメカニズムを, 画廊の集積過程に着目して分析することである. 具体的な検討事例は, 1965年から71年の間に芸術家街から画廊街へと転換した, アメリカ合衆国ニューヨーク市SoHo地区である. 芸術家街であるSoHo地区に画廊が集積した要因は, 安価な地価や広い室内空間を備えた未利用の工場建築物の存在だけではなかった. むしろ, ニューヨーク市における美術業界の構造変動の中で, 画廊経営者が自身の美術的立場を明確にする際に準拠した, 芸術家街の表象という文化的要因が重要であったことを明らかにする.