社会学評論
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49 巻, 4 号
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  • 蓮見 音彦
    1998 年 49 巻 4 号 p. 488-497
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
  • 政治的機会構造と誘因構造に注目して
    樋口 直人, 中澤 秀雄, 水澤 弘光
    1998 年 49 巻 4 号 p. 498-512
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
    本稿のねらいは, 1960年代後半から70年代にかけて盛り上がりをみせた住民運動が, 80年代から90年代にどのような軌跡を描いたかを示すことにある。こうした作業は, 近年注目されているNPOや住民投票の特質を明らかにするために不可欠である。ここでは特に, 政治的機会構造論を応用する形で, 住民運動の変遷を捉え直す。その際, Kriesiの組織類型を援用することで組織戦略を幅広く捉え, 住民運動の「停滞・変容」期にみられた組織の多様化を組み込んだモデルを提示する。具体的には, (1) 地方における政治的機会構造の変動, (2) 組織が構成員に供与する誘因の構造という2つの説明変数を用いて, 住民運動の組織戦略の変化を分析したい。
  • 自治会・町内会規約の考察
    大内 田鶴子
    1998 年 49 巻 4 号 p. 513-530
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
    「自治会」と呼びながら自治の要素の弱まっているのが, 現代の自治会・町内会の特徴である。米国のネイバーフッド・アソシエーションは個人の主体的参加によるボランタリーな組織であるのに対して, 日本の町内会は行政端末的で組織運営の方法も米国と異なるといわれる。このような相違点にもかかわらず, 現代社会の最小単位として住民の日常生活に果たす役割はきわめて類似している。本稿では, 日本の自治会・町内会が, 米国のネイバーフッド・アソシエーションから, 行政参加を促す「草の根レベルの自治の技術」として組織運営上の技術を学ぶために, 近隣団体の規約 (ポートランド市のサンプル・バイローと東海自治体問題研究所編纂のモデル規約) の比較考察を行なった。
    比較の結果, バイローは合意形成, 調整の公開性, 公平性を確保しようとする手続きの規定に重点が置かれるコミュニケーション型であり, モデル規約の方は「何をどう行うか」を規定している事業執行型であることが明らかになった。モデル規約には合意形成や公平性確保の技術 (広い意味での政治技術) が不足している。日本の近隣団体が自治の技術として, 米国のネイバーフッド・サンプル・バイローから学ぶべき要素は, 1. 活動会員という考え方, 2. コミュニケーション重視, 3. 役員が会員に奉仕する機構, 4. 少数意見の重視である。
  • 在日韓国・朝鮮人集住地区を事例に
    竹ノ下 弘久
    1998 年 49 巻 4 号 p. 531-548
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
    近年注目を集める多文化教育は, 日本社会では, 定住外国人の集住地域を中心として, 一部地域でしか行われていない。こうした多文化教育が, マイノリティの子どもたちにいかなるインパクトを与えているのか。本稿は, このような問題設定から, 以下の2点を考察する。第1に, 多文化教育が行われている空間において, マイノリティの子どもたちはいかなる生き方を可能にしているのか。第2に, 多文化教育が行われていない空間に移行することで, 彼らはいかなる問題に直面するのか。筆者は, 考察のために, 在日韓国・朝鮮人の集住地区であり, 人権尊重教育と呼ばれる多文化教育の要素を持つ教育が行われているM地区を選定し, 聞き取り調査を行った。
    考察の結果, 以下の点が明らかになった。第1に, 人権尊重教育が行われている空間において, 在日韓国・朝鮮人の子どもたちは, 自己のエスニシティを肯定的に捉える生き方を可能にしていた。その反面, 人権尊重教育を通じて, 生徒たちに在日韓国・朝鮮人に関する知識が伝達されても, 学校内の友人関係において, 在日韓国・朝鮮人としてのエスニック・アイデンティティが他者と共有されないとき, 自己のエスニシティを肯定的に捉えることが困難となることが示された。さらに, 人権尊重教育が暗黙のうちに前提とする固定的な在日韓国・朝鮮人像は, 日本名を身体化した子どもたちを抑圧する可能性も示唆された。第2に, 人権尊重教育が行われていない空間への移行にともない, 子どもたちは在日韓国・朝鮮人という存在が社会的に承認されていないと感じていた。そして, 「他者化」される視線を受けることで, 彼らは, 自己をスティグマを負う存在として認識するとともに, 自己のエスニシティを自覚的な管理の対象としていた。
  • 櫻井 義秀
    1998 年 49 巻 4 号 p. 549-567
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
    本稿では, タイ社会において農村からの出稼ぎ者, 移住者が農民から工場労働者となる活動の変化に伴う自己認識の変化を, 労働者のアイデンティティ形成と捉え, これを構造化する労働・生活過程の考察を行った。労働の内実を把握する研究は, タイ社会における日本的経営の現地化という日系企業の労使関係, 労働者の行動様式の研究に見るべきものがあるが, 労働者の生活構造は看過されてきた。その結果, 労働者の職場内人間関係よりも賃金を優先した転職率の高さ, それ故の技術移転, 人材形成の難しさが, 機会主義と呼ばれる文化的パーソナリティで解釈されてきた。しかし, 問題は行為の類型化, 命名ではなく, 形成要因の分析にある。第一に, 具体的にどのような労働過程と生活過程から機会主義的労働志向が, 在タイ日系企業という場において生み出されたのか。第二に, どのようなタイ社会経済的条件及び日系企業の組織的条件によって, 労働者自身が労働・生活過程において再生産されているのか, が問題となる。結論として, 1) 長時間・高密度の労働, 賃金の比較優位による職場の移動を選択する労働志向は, 家族の再生産のために収益の増大を最優先させる戦略から生み出された。2) しかも, 熟練形成の基礎となる労働者の定着を促進し, 将来展望を可能にする日本型雇用システムの欠如によってその志向は強化された。本論ではこれらの労働者のアイデンティティを構造化する客観的諸条件と労働志向の連関を詳述する。
  • ブルデュー〈場〉の理論の応用展開
    南田 勝也
    1998 年 49 巻 4 号 p. 568-583
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
    本稿は, 20世紀後半を代表する音楽文化, 若者文化であるロック (Rock) を, 諸個人の信念体系や社会構造との関係性の分析を中心に, 社会科学の対象として論述するものである。
    ロックはその創生以来, 単なる音楽の一様式であることを越え, ある種のライフ・スタイルや精神的態度を表すものとして支持されてきた。それと共に, 「ロックは反逆の音楽である」「破壊的芸術である」「商業娯楽音楽である」といったように, さまざまにその “本質” が定義されてきた。ここではそれらの本質観そのものを分析の対象とし, 諸立場が混合しながらロック作品を生産していく過程について考察する。
    そのような視点を用いた論理展開をよりスムーズに行うために, ピエール・ブルデューの〈場〉の理論を (独自の解釈を施したうえで) 本論考に援用する。「ロック」という名称を共通の関心とする人々によって構成され, [ロックである/ロックでない] という弁別作業が不断に行われ, ロック作品がその都度生産されていく (理念的に想定した) 空間を「ロック〈場〉」と呼び, 〈場〉の参与者の社会的な配置構造とそこに生じるダイナミズムを論述することを主たる説明の方法とする。これらの考察を基にして, 最終的に汎用度の高いモデル図を作成し, 社会と音楽の関係性を総合的かつ多角的に把握するための一つの視座を提出する。
  • 不完備情報ゲームによる数理モデル分析
    籠谷 和弘
    1998 年 49 巻 4 号 p. 584-599
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
    うわさに対する否定行動は, 多くの場合望ましい成果をもたらさない。逆に否定そのものが原因で, 陰謀論との結びつきなど, うわさの背後にある「物語」の強化が起こることがある。本研究ではこの問題に取り組むために, 「不完備情報ゲーム」を用いた数理モデル分析を行う。まずうわさの伝播に影響を与える要素について検討し, 三要因 (不確実性, 心理的緊張, うわさへの信用度) を取り出す。次に伝播行動に対するうわさを信じる者の利得について, その二側面, 「選好」と「大きさ」を考え, その意味を考察する。そしてこれら三要因と利得の二側面とを考慮に入れた数理モデルを構築し, 分析を行う。その結果, うわさの否定が功を奏するための, いくつかの条件が導出される。ほとんどは自明なものであるが, 一つの興味深い条件が存在することが明らかになった。これはうわさを信じる者にとっての, ゲームの価値に関するものである。その内容は, うわさが虚偽である (否定が正しい) ときに, うわさを伝えることから被るリスクが大きい, というものである。これに対し, うわさが本当であるときに問題の重要性が高い場合, 人々はうわさを伝え続ける。これはうわさが, 陰謀論と結びつきやすいことを説明するものである。
  • 川田 耕
    1998 年 49 巻 4 号 p. 600-619
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
    十七世紀は, 日本社会において, 民衆の世界観に極めて大きな変化のあった世紀であった。それは, 「他界」観念によって構造化された仏教的宗教的な中世の世界観から, 他界を否認し現世的な諸価値を重んじる近世の世界観への急速な世俗化の過程であった。この過程において, 特別に強く強調されたものが「心」とよばれる観念である。当時, この観念は, 朱子学的な教訓書をはじめとして, 仏教, 神道, さらには恋愛物から怪異譚にいたるまできわめて幅広い民衆的な物語群のなかに, 他界観念と入れかわって, 新しい世俗的世界観を支える中心的な役割をはたすものとして登場する。この「心」は, 私的な欲望や個性などといったものとは異なり, 道徳的な諸価値を意志する審級の表象である, といえるだろう。そして, この十七世紀における世界観の変換を通して形成されたいわゆる「通俗道徳」は, 人間の実現するべき諸価値として, 普遍主義的な公共的道徳だけではなく, 勤勉, 倹約による経済的利益の追求と社会的権力関係の尊重という通俗的な諸価値を導入した。人間は, 道徳的公共的な意志を本来的にもった存在として, こうした通俗的な諸価値をも実現すべく, 自己とまわりの社会環境とを統御する責任をもった, 主体化された存在として位置づけられる。十七世紀とは, このような, より世俗的で近代的な世界観と人間像とを生み出した世紀なのである。
  • ルーマンにおける社会変動論の一視角
    高橋 徹
    1998 年 49 巻 4 号 p. 620-634
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
    本稿では, 近代西欧の歴史的な社会変動に対するニクラス・ルーマンの分析視角を明らかにしたい。ルーマンは, 社会の成層的分化から機能的分化への移行を近代社会変動の中心的なメルクマールと考えており, とりわけそこにおいて生じた複合性の増大がコミュニケーションを方向づける歴史的一文化的形成物 (ゼマンティク) の変化を刺激したことが, 近代におけるコミュニケーション的変動の媒介条件をなしているという仮説を構築している。この仮説は, 彼独自の社会システム理論の枠組みを基礎としている。「ゼマンティク」というタームには, ドイツにおいて蓄積されている歴史的意味論の研究との批判的接続を保持することが含意されており, 本稿では, この歴史的意味論の研究の文脈をも視野に入れつつ, ルーマンの「ゼマンティク」的変動の分析枠組みを彼の所説から再構成して明示化し, 歴史的な知識社会学的研究の枠組みとしての特質を明らかにしたい。
  • Schutz動機論からLuhmannの道徳理論への展開
    北田 暁大
    1998 年 49 巻 4 号 p. 635-650
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
    われわれはごく日常的なコミュニケーションの場面において, 他者の行為を記述することによりその行為をその行為者へと帰属させ, 「責任」の所在を指示しているといえようが, そうしたなかで, 行為者の意図 (目的) とは齟齬をきたすような行為記述がしばしば「適切」であるとされることも少なくない。行為者自身が自らの行為の記述に関する「権威」でありえない状況のなかで, われわれはいかにして行為記述の適切性を見定め, また行為の責任を帰属させているのであろうか。
    本稿では, こうした行為の同定 (identification) や帰責 (attribution) のメカニズムをめぐる問題に照準しつつ, A.Schutzの提示した理由動機/目的動機の概念的区別を導きの糸として, 「行為を解釈すること」と「行為 (者) の責任を問うこと」がどのような関係にあるのかをまずI・II節で分析し, 行為者責任 (行為と行為者の関係) と行為の責任 (行為とその結果の関係) との相違を明らかにする。そして次に, N.Luhmannの「道徳」についての知見を参照しながら, 道徳コミュニケーションにおいて問われる責任が, 行為者責任/行為の責任のいずれとも異なる位相にあることを示し, そのようにして捉えられた道徳が現代社会において孕んでいる両義的な性格をIII節において論じていく。「責任」や「道徳」の社会学 (コミュニケーション論) 的な位置づけを与えることが, 本稿全体を通しての目的である。
  • 正村 俊之
    1998 年 49 巻 4 号 p. 651-656
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
  • 濱口 惠俊
    1998 年 49 巻 4 号 p. 657-661
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
  • 駒井 洋
    1998 年 49 巻 4 号 p. 662-663
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
  • 広田 康生
    1998 年 49 巻 4 号 p. 663-665
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
  • 小林 一穂
    1998 年 49 巻 4 号 p. 665-667
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
  • 佐藤 成基
    1998 年 49 巻 4 号 p. 667-669
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
  • 永野 由紀子
    1998 年 49 巻 4 号 p. 670-671
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
  • 大野 道夫
    1998 年 49 巻 4 号 p. 672-673
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
  • 秋元 律郎
    1998 年 49 巻 4 号 p. 673-675
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
  • 平田 周一
    1998 年 49 巻 4 号 p. 675-677
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
  • 1998 年 49 巻 4 号 p. 678-728
    発行日: 1999/03/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
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