社会学評論
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57 巻, 3 号
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  • 障害者の自己決定/介入する他者
    前田 拓也
    2006 年 57 巻 3 号 p. 456-475
    発行日: 2006/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    1970年代以降, 「新しい社会運動」の一部として実践されてきた日本の障害者運動と, その成果を積極的に織り込んでいこうとする「障害学」の中て目指されてきたことは, 「障害/健常」の差異の相対化であり, また, 健常者に対し, 特権的な立場の相対化を迫ることであった.本稿で焦点を当てるのは, そうした潮流の最も重要な成果の1つである障害者の「自立生活」と, その中で最も身近な健常者として介助者を措定した上で用いられる「介助者=手足」というテーゼである.
    「自立生活」を志向する障害者が, 「感情の交流」を介助の本質とする健常者のフレームに距離を取り, 介助者の存在を匿名性のうちに留めておこうとしたこのテーゼの意義はいまだ有効である.しかし同時に, 介助者を手段として使うことで「できないこと」を「できる」ようにするという介助の技法のうちには, 「障害者の自己決定」に対する介助者という他者の介入が構造的にはらまれているのてある.
    本稿では, 筆者自身の介助現場への参与観察から得た知見をもとに, 介助者の存在を透明化することの不可能性を論じることを通じて, 「健常者/障害者」関係と「介助者/利用者」関係という, しばしは同一視されがちな2項軸の相違を指摘する.また, その指摘によって, ともすると「介助」を巡る議論に埋もれがちてあった「介助者のリアリティ」を前景化して論じる意義を示すことを目的とする.
  • 長松 奈美江
    2006 年 57 巻 3 号 p. 476-492
    発行日: 2006/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    近年, 雇用調整や労働強化などにみられるように, 被雇用者の管理のあり方が変化している.被雇用者がもつ仕事の自律性の「水準」と, 被雇用者間での仕事の自律性の「規定構造」の変化に注目することで, 近年の雇用関係の変化を検証した.被雇用者がもつ仕事の自律性の「水準」は, 業務遂行において, 被雇用者と雇用主のどちらの意思がより貫徹されやすいかを表す.仕事の自律性の「規定構造」は, どのような特性をもつ被雇用者が, 雇用主との関係においてより有利な立場にあるかを表す.
    1979年の「職業と人間」調査, 2001~02年の「情報化社会に関する全国調査」を用いて, 仕事の自律性の「水準」と「規定構造」が変化したのかどうかを, 仕事の自律性の多母集団同時解析による検証的因子分析と, パス解析によって確認した.その結果, 男性被雇用者の仕事の自律性の「水準」は低下し, 「規定構造」に関しては, 学歴の効果の低下, 職業威信と年齢の効果の増大がみいだされた.職業威信の仕事の自律性への効果は, 職業威信による技能 (仕事の非単調性) の違いと, 解雇されやすい立場を表すパート・アルバイト率の違いによって媒介されていた.被雇用者の管理のあり方が変化し, 被雇用者の仕事の自律性の水準が低下するなかで, より解雇されにくく, 専門性の高い仕事をする被雇用者が, 仕事の自律性を奪われない有利性をもつようになったといえる.
  • 林 真人
    2006 年 57 巻 3 号 p. 493-510
    発行日: 2006/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    構造的矛盾や階層的問題であるはずのものが, 個人的ないし内面的なレベルへたえず移転されることで, 「自発的」な若年野宿者の形成/現存が促されている.本稿の主な目的は, この若年野宿者の形成/現存のプロセスを具体的に示すことである.
    まず量的データによって若年野宿者と中高年野宿者を比較した.若年野宿者が野宿を始めるうえで, 「個人的理由」が関与している可能性が浮かんだ.さらに生活史を用いて若年野宿者の形成/現存を具体的に検討した.主な知見は3つである. (1) 家族や友人などの親密圏から切り離され, 不安定な雇用や住居を転々とするなかで, 不安感や焦燥感を強めていく. (2) たび重なる失職と生活の不安定化をやり過ごすために覚悟・諦め・狼狽といった内面形式を獲得し, 野宿と非野宿の境界を踏み越えていく. (3) 生活上の過酷な環境に加, えて, 内面形式の持続に後押しされ, 野宿からの「自立」が困難となる.
    最後に個人化論と下層の再編成の議論を結びつけることで, 経済的・社会的・内面的の諸次元から構成される説明のシェーマを提示した.若年野宿者では, 中高年層に見られる環境要因だけでなく, 内面的要因が顕著に働くのはなぜか.下層の再編成を通じて新たな個人化のモード (再埋め込みなき脱埋め込み) が出現し, 意識や生活の個人化に拍車がかかっているからである.
  • プレーパーク活動を事例とした「子ども」と「大人」の非対称性に関する考察
    元森 絵里子
    2006 年 57 巻 3 号 p. 511-528
    発行日: 2006/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    本稿は, 東京都世田谷区の「プレーパーク」活動を事例としながら, 子どもの自由を実現するということがどういうことであるのかを, 社会学的観点から考察するものである.
    近代社会において, 「子ども」という観念は, それに配慮する「大人」という観念と深く結びついている.にもかかわらず, 大人の介入からの子どもの自由をと求めた場合, 大人が不断の配慮という不自由さを背負わなくてはならないか, どこかで大人の恣意が発見されてしまうかといった隘路に陥ってしまう.その結果, さらに「今度こそ真の子どもの自由を」という言説, 運動が繰り返されると考えられる.
    ところが, プレーパークは, 第1に, 子どもの遊びにおいて子どもが自らの配慮の主体となれるように独自の論理を構築し, 第2に, 大人も同様の論理を行動原理とすることで, 大人と子どもの非対称性を局所的に失効させ, 子どもの自由を実現している.
    もちろん, このような特殊な空間は, まさに大人の不断の努力によって作り出され, 支えられている.しかし, 責任主体としての「大人」という近代社会の擬制が未だ解除できないならば, 責任主体たりえない「子ども」に対して固有の配慮をする場は必要とされ続ける.その中で, 限定的であっても, 「子ども」や「大人」の非対称性を宙吊りにし, 双方の息苦しさを消滅させるプレーパークは, その可能性を見守られるべき事例ではないだろうか.
  • フィリピン系アメリカ人にとってのフィリピン
    木下 昭
    2006 年 57 巻 3 号 p. 529-545
    発行日: 2006/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    現在, 西海岸を中心にアメリカ各地でフィリピンの民族舞踊が行われている.この踊りのもつ意味を, その主な担い手である学生たちの組織とコミュニティの舞踊団を事例として検討するのが, 本稿の趣旨である.この芸能がアメリカで行われる意義を問うことは, これがもともと国民国家フィリピンを体現する役割を担ってきたが故に, 現代移民にとっての祖国, そしてグローバル化のなかにある国民を理解する上で重要な手がかりを与える.
    これら2つの場での踊りには共通するところが多い.ともにメンバーの多くは移民2世であり, フィリピンを代表する民族舞踊団の様式を踏襲し, この舞踊が彼らの抱くフィリピンと自らについての否定的なイメージの超克をもたらしている.一方で, 2つの組織の踊りの相対的な相違も明らかになった.コミュニティにおける踊りはフィリピンへの遠隔地ナショナリズムを表示しているのに対して, 大学におけるそれはアメリカ人としてのナショナル・アイデンティティを前提とした自らの独自性 (エスニシティ) を表示していると考えられる.
    こうした相違を生み出す要因を論じることで, 現代の「国境を越えた」現象の一面を浮き彫りにする.
  • 徳島県下の林業経営者の取り組みを手がかりに
    大倉 季久
    2006 年 57 巻 3 号 p. 546-563
    発行日: 2006/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿では, 経営存続の危機に直面する林業経営者の対応を, 経済社会学の視点から考察し, 深刻化する荒廃林問題の構造的背景を明らかにする.
    最初に, これまでいわれてきた林業問題の背景要因について検討し, 安価な外国産材の輸入拡大や村落社会による森林管理の衰退という説明が, 問題の背景要因の説明として不十分であることを指摘する.そのうえで, 問題の理解のためには「新しい経済社会学」の視点が不可欠であることを論じる.
    次に, 1980年代に林業経営が経験した危機の変質について, 木材の売買を支えるネットワークの変化に焦点を当てて検討する.危機の変質とは, 製材業者が林業経営者との協力関係が前提となっていた伝統的な木材売買のネットワークから脱埋め込みされた結果, 林業経営者と製材業者のあいだの社会関係が分断され, 林業経営が既存の方法では経済的危機に対処できなくなったことを指す.それをふまえて製材業者と林業経営者の経済行動を対比的に検討し, 林業経営がグローバルな価格競争に巻き込まれ, 製材業者から切り離されつつ抑制の効かない生産拡大を強いられている実態を示す.
    最後に, 現代日本が直面している林業問題の本質は, 市場競争と経済効率のみに準拠する経済学よりもむしろ, 経済行動がいかなる社会関係に埋め込まれているかに焦点を当てる経済社会学の視角に立つことで, より的確に解明しうると主張したい.
  • カスプ・カタストロフ・モデルによる形式化
    鈴木 努
    2006 年 57 巻 3 号 p. 564-581
    発行日: 2006/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    山岸俊男は『信頼の構造』 (1998) において, 見知らぬ他者を信頼する人は単なる「お人好し」ではなく, 相手を信頼することで, 社会的不確実性と機会コストに対処しているのであるという信頼の解き放ち理論を展開した.その論証には主に実験心理学的方法が用いられたが, その後の社会調査による検証では必ずしも理論を支持する結果は得られていない.その原因として, 信頼の解き放ち理論は実験室状況を越えた実際の社会状況に適用するにはいまだ理論的整理が不十分であること, また実証研究において用いられたモデルが理論を適切に形式化しえていないことが考えられる.本稿では, 社会ネットワーク分析とカタストロフ理論を用いた数理モデルによって個人の社会環境とその個人が示す不特定の他者への一般的信頼の関係を形式化し, 信頼の解き放ち理論とそれに向けられた諸批判を総合した理論仮説を提示する.
    本稿のモデルは, 個人のエゴ・ネットワークとその属するホール・ネットワークの特性により個人の一般的信頼がどのように変化するかを示すカスプ・カタストロフ・モデルである.そこでは個人のもつ多層的なネットワーク領域を想定することで, 高い一般的信頼と緊密なコミットメント関係の両立が可能となっており, それにより実験的方法と社会調査から得られた対立的な知見を総合的に理論化する1つの枠組が提出される.
  • 山北 輝裕
    2006 年 57 巻 3 号 p. 582-599
    発行日: 2006/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    昨今, さまざまな「ホームレス対策」が取られる一方で, 野宿者はいまだ公共空間から排除される存在である.本稿では当面の野宿生活を, 支配的価値への同化と異化の狭間にある葛藤状態と位置づけ, そのうえで大阪市X公園で暮らす野宿者同士の「もめごと」に注目する.「もめごと」をめぐって, その当事者たちが野宿者同士の関係性と野宿生活とを密接に関連づけながら語るときにこそ, 再び野宿生活を維持しようとする実践が読み取れる.これらの記述をもとに, その視点から昨今の「ホームレス対策」における自立観と, 野宿者の生活感覚との齟齬を検討する.行政の支援政策の中で大半の野宿者が「社会生活の拒否者」として位置づけられ, 「不法」の名のもとに, 排除が行われてしまうという状況において, 野宿者たちは他者との関係性を取り結び, 規範を維持しつつ, 社会生活を実践しているのである.
  • N.ルーマンの「パーソン」概念との関係から
    渡會 知子
    2006 年 57 巻 3 号 p. 600-614
    発行日: 2006/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿では, 相互作用過程における「排除」の問題が, しばしば問題の存否そのものを争点とせざるをえない点に注目し, そのような排除問題の特質を生み出す論理的構造を, ルーマンの「包摂/排除」論を応用することによって解明する.
    相互作用過程における排除を分析することの困難は, 対面的な排除が, 必ずしも露骨な加害行為や言語的暴力を伴うわけではないということにある.すなわち, 実証主義的に観察可能な行為の事実性にのみ基づくならば, 排除という経験のリアリティに迫りがたく, 他方, その経験を個人的な認識の問題に還元するなら, 排除の社会的側面を捉えにくい.
    本稿では, N.ルーマンによる「包摂/排除」の定義を, 「パーソン」, 「理解」, 「ダブル・コンティンジェンシー」の諸概念とともに検討していく.それによって, コミュニケーションの成立を基底で支える「意味をめぐる包摂/排除」という関係に焦点を当てる.相互作用システムをこの次元で捉えることにより, 包摂と排除が単純な二項対立図式では捉えられないこと, また, 包摂は必ずしも排除の解決を意味せず, むしろ問題は包摂の在り方を主題化することで解決が図られるべきであることを指摘したい.
  • 「ポストモダンの社会学」から「責任と正義の社会学」へ
    長谷 正人
    2006 年 57 巻 3 号 p. 615-633
    発行日: 2006/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
  • 国際社会学の第2ラウンドにむけて
    樋口 直人
    2006 年 57 巻 3 号 p. 634-649
    発行日: 2006/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
  • “共生”を巡る秩序構造研究に向けて
    広田 康生
    2006 年 57 巻 3 号 p. 650-660
    発行日: 2006/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
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