蔵内数太博士は一九二〇年代のドイツ社会学の影響を受けて文化社会学を著わした。これはマックス・シェーラーの知識社会学と共感論に示唆を受けて、日本の社会と文化の理解を深めようとしたものである。
博士の文化社会学は社会学の一部門として位置づけられ、扱われている文化はいわゆる社会文化を除いたものである。博士によると、文化は物質文化、精神文化、社会文化、運命の文化と区別されるが、社会文化は人々の間柄において実現している行為の型であり、人々の共同生活に要求されてくる文化である。社会生活そのものの一面をもつ社会文化は「社会の社会学」で扱われるべきで、「文化の社会学」とは区別するという立場をとっている。これはまさにドイツ流の文化社会学であり、文化人類学と強く結びついて生活様式を重視するアメリカ文化社会学と立場を異にするものである。
文化社会学が扱う文化をこのように狭く限定したことに批判もあるが、博士はこれによって文化社会学内に芸術社会学、知識社会学、宗教社会学などを個別に研究する根拠を見出したといえる。
本稿では博士の芸術社会学を取上げて、日本芸術がゲマインシャフト的性格をもつという博士の主張を示した。博士がこの結論を導き出したのは、社会は個人の体験においてとらえられているという現象学的方法を基礎にして、体験様式において人と人、人と自然が全体的に融合している特徴を見出したからである。
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