社会学評論
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42 巻, 4 号
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  • --T・H・マーシャルの市民権理論を手掛かりとして--
    伊藤 周平
    1992 年 42 巻 4 号 p. 332-345,485
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    一九七〇年代以降、様々な批判にさらされてきた西欧の福祉国家は、一九九〇年代に入っても多くの問題を抱えつつ、その方向性を模索している。こうした中で、社会学の立場から現代の福祉国家の問題状況を解明し、その解決策を提示しうる福祉国家発展モデルの構築が求められているといえる。ところで、マクロな福祉国家の社会学的研究において、戦後、主流をなしてきたのは、産業化の概念を用いて福祉国家の発展を説明する機能主義理論であるが、この種の理論では、現代の福祉国家の抱える諸問題を充分に解明しえないように思われる。その一方で、福祉国家の発展を民主化、もしくは市民権の拡大という観点から捉える市民権理論のアプローチがある。本稿では、市民権理論の代表的論者であるT・H・マーシャルの所説を検討することを通じて、西欧における民主化の過程で市民権が主体的内容的に拡大していったこと、そのことが、資本主義的市場システムへの国家介入とそれを許容する合意を不可欠の要素とする西欧の福祉国家発展の推進力となってきたことを明らかにする。さらに、福祉国家化推進への合意が揺らぎ、福祉国家が、市民権の保障を理念として取り込んだがゆえに、多様な社会層の多様な諸要求の理念的包摂を迫られてきた問題状況を指摘し、その下での福祉国家の政治社会学の方向性を展望する。
  • --都市下層の調査から--
    青木 秀男
    1992 年 42 巻 4 号 p. 346-359,484
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    本稿は、都市下層調査による知見に基づき、また先行のエスニシティ研究を念頭におき、 (日本の) 外国人労働者の (都市) 社会学的研究のための仮説の構成と検証をめざす。
    本稿は、外国人労働者を次のように規定する。
    一、外国人労働者は、まず下層労働者である。
    二、外国人労働者は、都市のエスニック・グループである。
    この規定に基づき、外国人労働者問題と外国人労働者の階層構成の分析のための仮説を構成する。
    一、外国人労働者問題は、歴史的な在日韓国・朝鮮人問題に連続し、それに重なる。
    二、下層労働者は、エスニシティに基づいて互いに階層化される。外国人労働者は、その最下層に位置づく。
    三、エスニシティに基づく六つの階層化要因が、抽出される。それらは、 (1) 滞日資格の法的地位、 (2) 滞日の社会的基盤、 (3) 労働熟練度、 (4) 身体的・文化的な可視性、 (5) 文化的類似性、 (6) 文化的柔軟性、である。
    本稿は、これらの仮説の (暫定的な) 検証をめざす。以て、日本の外国人労働者の (都市) 社会学的研究の可能性を展望する。
  • --『私の履歴書』の分析より--
    尾中 文哉
    1992 年 42 巻 4 号 p. 360-373,484
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    これまでの明治期の試験は、制度史か、または「学校」を焦点とする社会史の中で捉えられてきたが、本稿では、「子供の交換」という視角を呈示することにより、「学校」外の社会関係と「試験」との関わりを考察する。資料としては、日経新聞の一三七人分の『私の履歴書』を資料とし、質的かつ量的な分析を行う。「子供の交換」とは、子供を「育て」の対象ではなく、大人同士の交換の媒介とみる視角である。これにより、レヴィ=ストロースやポラニーの図式が子供を論ずる際に使えるようになる。それによると、「預け」「養子」が、子供を引き渡し、何らかの見返りを得る中で家と家との関係がつくられる現象と捉えることができる。特に、母方オジへの「預け」「養子」には「限定交換」の図式があてはまる。また、「奉公」には市場交換の、「寺子屋」には再配分の要素が入っているが、いずれにしても、家と家とを結び付ける「子供の交換」と考えられる。それに対して「学校」は、子供を囲い込んでしまうことで家と家との媒介として作用させなくし、かわって子供の再配分的かつ市場交換的な形で国家と各家々を結びつけるような、子供の交換とみることができる。「生家-学校」コースは「他家-非学校」コースより試験についての関心を強める傾向がある。明治末期以降試験への関心が高まって行く背景には、このように、子供が、家と家とを結ぶ媒体から、家と家との競争の手段へと変質したことがあると考えられる。
  • --精神病患者会の会報の分析から--
    藤澤 三佳
    1992 年 42 巻 4 号 p. 374-389,483
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    精神病は、その病歴者に、あらゆる社会的規範を逸脱するという、非常に大きく、かつ特殊なスティグマを付与し、その結果、病者はすべての点で「社会」から排除される。そこには、いわば「予言の自己成就」ともいわれる過程がみられる。本稿では、病者当事者にとってのアイデンティティの問題やそこからの解放の問題をとらえるにあたり、患者会の会報への投稿文の記述から、 (1) 精神病のもつ、社会性にまつわるスティグマの性質について、従来からの諸研究を検討しながら考察し、 (2) そのスティグマ付与の結果として、入院中や退院後をとうして社会性をもつことが困難になるという、いわゆる「予言の自己成就」過程について示し、 (3) 精神病のスティグマを付与された当事者が社会性喪失というスティグマからの解放を試み、社会を再び模索する過程、 (4) その解放への試みにも内在するスティグマの増大に関して考察する。
  • --地域経済の新しい担い手づくり試論--
    田中 夏子
    1992 年 42 巻 4 号 p. 390-404,483
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    日本におけるイタリア労働者協同組合研究は、これまで労働組合運動と連動した、その運動的側面の紹介が主であり、したがってまた、対象となる地域も他に先駆けて協同組合運動に取り組んできた、産業化の先進地エミリア・ロマーニャ州、トスカーナ州始め、北部イタリアの諸都市が中心的であった。
    本稿では、こうした流れを相補する形で、経済的には「後進地」とされてきた南部イタリアに眼を向け、その一つサルデーニャ州において、協同組合がどう機能しているのか、すなわち協同組合が、その地域に固有の問題をどう捉え、どう解決を見いだそうとしているのか、また、その地域に生活する人々が、協同組合という手段を用いて何を求めようとしているのかについて議論を展開する。
    経済的にも、また協同組合運動という観点からも「後進地」と称される地域を対象とする所以は、拠点開発による地域振興の行き詰まりを経験する傍ら、小規模ながらも耐久力のある、地域経済の担い手づくりを模索しようとする地域に眼をむけることが、日本の地域的現実との照らし合わせに際しても参考になると考えるからである。
  • -アドルノをどう読むか-
    山越 正彦
    1992 年 42 巻 4 号 p. 405-418
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
    アドルノはその著『三つのヘーゲル研究』のなかで、「たしかに、偉大な哲学が数あるなかで、ひとりヘーゲルだけは、そもそも何のことをいっているのか、しばしばまったく判らず、的確に決めることもできない哲学者である。」といって、ヘーゲルを「どう読むか」の一モデルを提示しているが、世にはまれにもその著作の「読み方」じたいが問題と化す著作家が現れるもののようである。今世紀においてはアドルノがそのうちのひとりなのではないだろうか。そこでわれわれは、ここで「アドルノをどう読むか」の試みを提出してみたい。まず、アドルノの哲学をシェーンベルク楽派の無調の音楽に匹敵する「無調の哲学」と呼ぶことによってある種のイメージを喚起させたい。ベートーヴェンの音楽がヘーゲルの哲学に平行するとしたら、シェーンベルクがベートーヴェンじしんの晩年に見られる自己解体の過程を徹底化して無調音楽へ至ったように、アドルノはヘーゲルの哲学を諸力のせめぎあう場として読み、そこに見られる諸々の断絶や亀裂そして傷跡をおしひろげることをとおして、それを否定弁証法すなわち無調哲学へと転位させたのである。アドルノの「批判」とは、あらゆる理論 (システム理論等々) が暗黙のうちに定位している「同一性」へとはけっして溶解され得ない「非同一的なもの」としての単独性にあくまで固執し、ユートピアを救出しようとする、つねに一回的でつねに最後的な、くりかえし得ないものの「反復」の試みなのである。
  • --コミュニケーション論からみたライフヒストリー--
    小林 多寿子
    1992 年 42 巻 4 号 p. 419-434,482
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    本稿は、コミュニケーション論的な視角からライフヒストリーに注目し、語り手と聞き手の共同制作としてのライフヒストリーの特徴を考察する。まず、ライフヒストリーを、語り手と聞き手というコミュニケーション行為者の「関係」のレベルと、語り手の表現する「内容」のレベルという二つのレベルでとらえる。そして具体的なライフヒストリーを聞き手のコミュニケーション行為と、語り手がライフヒストリーで表現する話題に焦点をあてて分析する。この結果、聞き手はさまざまな発話のなかでもとくに「あいづち」を通して語り手とのあいだに<親密さ>を形成していること、そして「関係」のレベルで<親密さ>が増すと「内容」のレベルで話題にヴァージョンの展開がみられ、多様な<深さ>のあるライフヒストリーとなることがあきらかになった。<親密さ>と<深さ>の関係は、ライフヒストリーの「内容」のレベルが「関係」のレベルと連関することを示している。
  • --現代社会と意味の胎生--
    那須 壽
    1992 年 42 巻 4 号 p. 435-436
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • --スペンサー=ブラウンから社会システム論へ--
    今田 高俊
    1992 年 42 巻 4 号 p. 436-438
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 君塚 大学
    1992 年 42 巻 4 号 p. 439-440
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 千石 好郎
    1992 年 42 巻 4 号 p. 441-442
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • --生活共同と地域社会関係--
    大内 雅利
    1992 年 42 巻 4 号 p. 442-444
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 大本 晋
    1992 年 42 巻 4 号 p. 444-447
    発行日: 1992/03/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
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