社会学評論
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56 巻, 4 号
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  • 認知的・道具的合理性から理解可能性へ
    竹中 克久
    2006 年 56 巻 4 号 p. 780-796
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿では, 組織戦略という概念に焦点をあて, 社会学的な見地からアプローチを試みる.組織戦略概念は組織を軍隊に喩えることから提起された概念であり, 市場という環境のなかで組織がほかの組織と合理的に争う側面を分析するために提起されたものである.ただ, 戦略概念の登場とその発展とともに, それを専門とするディシプリンとして戦略論という学問分野が独立したため, 組織戦略について論じつつも, 組織が主題となることは少ない.また, この概念は組織の経済的な競争という側面を重視するものであるために, 自ずと経済学や経営学からのアプローチが支配的であり, 社会学からのアプローチはほぼ皆無であるといっても過言ではない.ところが, 今日の社会状況に鑑みれば, むしろ社会学的な見地から, この組織戦略概念を再考することの意義ならびに社会からの要請があるように思われる.
    そこで本稿では, 戦略概念に代替可能な概念を模索する.その1つは企業倫理であり, もう1つはアカウンタビリティである.とりわけ本稿では後者を支持し, その概念の有効性を合理性ではなく<理解可能性>という基準で立証することを試みる.その際に参考となるのが, 近年着目されている組織アイデンティティや表出的組織という概念である.
    このような視座に立つことで, 現代組織にとっての新たなレゾン・デートルを提起できるとかんがえられる.
  • アイヌ民族による権利獲得運動を事例として
    伊藤 奈緒
    2006 年 56 巻 4 号 p. 797-814
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    集合目標へ同調した個々人が, 運動参加/不参加へと分岐する要因はどこまで探ることが出来るのか.資源動員論以降の運動研究はフリーライダーの不参加理由を詳細に検討する必要性を訴えてきた.近年では, この選択過程に対し心理的要因を再導入して分析する傾向がある.これらの動向は, 運動を集団内在的に捉えず, 周辺の不参加者や傍観者にも注目し, 運動と社会の関係そのものを考察する必要性を示している.
    こうした先行研究を受け, 本稿は運動参加/不参加理由の再検討に質的調査を通じて取り組む.事例としてアイヌ民族の権利獲得をめざす非アイヌ民族の運動を取り上げ, 運動参加者と不参加者の双方にインタビューを行った.また安立清史による問題提起に着想を得て, 集合目標への賛意や敵対に回収されない意味構築の場面を考察した.
    両者による意味構築は, 以前のアイヌ民族の権利運動で支援者が依拠した自己否定の規範意識に関連している.自己否定の理念は, 一般に現在有力な動員資源だと認識されていないが, さらにこの規範意識が参加障壁をも形成している点が明確になった.つまり「軽い参加」を懐疑する不参加者, そして文化的関心と集合目標への共鳴という二重の運動参加動機を保とうとする参加者の姿勢が見出されたのである.ここから, 両者とも自己否定の理念を動員資源として認めていない一方で, 自分と無関係なものとして無視しているのではないという状況が明らかになった.
  • 額賀 淑郎
    2006 年 56 巻 4 号 p. 815-829
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    近年, 生物医学や先端医療の問題に対して, 科学社会学のアプローチを医療社会学に導入した「医科学の社会学」が起こりつつある.本稿の目的は, 医療社会学と「医科学の社会学」の交錯を理解するため, 医療化論から生物医療化論へ展開してきた過程を分析することにある.1970年代の医療化概念は, 1) 日常生活の問題から医学の問題への再定義, 2) 医療専門職の統制強化, を特徴とする.医療化論は「生物学的事実としての疾病」と「逸脱としての病い」という分類を前提とし, 前者を所与と見なし後者の分析のみを行ってきた.その結果, 1980年代には, 社会構築主義者は, 生物医学の社会的側面のみを分析し, 明確な定義がないまま「生物医療化」の術語を導入した.1990年代には, ゲノム研究などの進展により, 「遺伝子化」概念が生物医療化の1つとして提唱されたが, 遺伝医療の内容の分析は行われなかった.しかし, 2000年代になると, 科学社会学者は, 生物医療化をイノベーションによる生物医学の歴史的変動として定義づけた.そのため, 近年の生物医療化論は, 1) 科学的知識と社会的知識を共に含む包括的な研究, 2) 実証的な事例研究, 3) 内在的な立場からの内容の分析, という新たな展望を開く.
  • 高橋 由典
    2006 年 56 巻 4 号 p. 830-846
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    体験選択とは, 行為選択の第三の規準 (感情性の規準) を適切に表現するため筆者によって案出された概念だが, これまでのところ, 体験選択の種差をめぐる議論は十分になされてはいない.この稿では, 体験選択一般についての議論から歩を進め, 開いた社会性と結びつく体験選択を取り上げることにする.開いた社会 (société ouverte) とはいうまでもなく, ベルクソンに由来する概念である.開いた社会性につながる体験選択は, その後の行為選択へ甚大な影響を与える.それゆえこの種の体験選択について考察を進めることは, 行為選択の第三の規準を考える上できわめて有意義であるにちがいない.
    最初に具体例およびベルクソンのテキストに依拠しながら, 開いた社会性それ自体の意味が検討され, それが動性に関係する概念であることが明らかにされる.ついでこの意味での社会性と体験選択のつながりについての言及がなされ, 開いた社会性と結びつく体験選択の位置が明確にされる.開いた社会性はどのような行為選択を結果するのだろうか.行為論的な観点からは, この問いは大きな意味をもつ.そこで多元的現実論などを参照しつつ, 動的な意思決定の可能性が示唆されるに至る.最後に開いた社会概念の応用の先例としてコミュニタス概念が取り上げられ, この稿の方法論的な意義が確認される.
  • 「均等処遇」のジレンマ
    西野 史子
    2006 年 56 巻 4 号 p. 847-863
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    パートの「基幹労働力化」の議論において, これまでの分析対象は職務の内容を中心としていた.しかし職務の重なりがかなりの程度進行した現在, 次なる段階として職務以外の部分, すなわち責任の範囲や職務経験の幅, 拘束性における基幹パートと正社員との接近を明らかにする必要がある.
    本稿では, 月間労働時間が120時間以上の「基幹パート」と正社員とでは何が異なるかについて, 筆者が行ったインタビューとアンケートから検証した.その結果, (1) 職務内容の面では基幹労働力化は進行しているものの, (2) 責任の点では, 同じレベルの社員とパートでも売上げ責任やプレッシャーの強さなどが異なる.また (3) 職務経験の幅でも限界があり, (4) 拘束性についても契約労働時間の違い以上に, 残業や早出など正社員の側の拘束性が高い.つまり, 基幹労働力化は職務内容の重複を超えて進行しているものの, 未だ限定的であることが示された.
    またインタビューによれば, 今後, 正社員は少数精鋭化される方向にあり, 正社員とパートとの間の「再分離」が進行する可能性がある.そのため均等処遇政策の推進において, 職務の同一性を基準とする現在のアプローチは有効性を失う恐れがあり, 正社員と非正社員の賃金体系の統合再編による職務給の推進のような全く別のアプローチが必要となる.
  • 「日本帝国」占領下小笠原諸島の「帰化人」をめぐる自律的諸実践
    石原 俊
    2006 年 56 巻 4 号 p. 864-881
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    小笠原諸島では, 1830年以来移住していた出身地も経歴も雑多な人びとが, 寄港する捕鯨船との交易等を中心に自律的な社会的・経済的実践を繰り展げ, この島々は海の移動民による生活世界の結節点となっていた.だが同諸島の移住民たちは, 「日本帝国」による占領の過程で帰化させられ臣民の一員となる.
    本稿は, 「帰化人」と呼ばれたかれらが, 主権的な法とわたりあいつつ, 移動民の生活世界で培ってきた諸実践をどのように組み替えながら生き抜いていったのかを検討する.
    かれらは19世紀後半以降, 小笠原諸島を例外的領域とする「日本帝国」の法にも後押しされながら, 寄港する「外国」船員との間で, 国境を越える無関税の交易を引き続き展開していた.また捕鯨船での漁労や島での狩猟などで培ってきた銃手としての技法を活かして, 「外国」籍のラッコ・オットセイ猟船に季節雇用され生計を立てていった.かれらはオホーツク方面の猟場に移動する過程で, しばしばロシアや「日本帝国」自身の「国境侵犯」にも加担するという, 複雑で越境的な軌跡を辿った.
    こうした「帰化人」をめぐる諸実践は, 近代帝国 (以下で国民帝国として詳細に定義する) の「周縁」における例外的な法によって一定程度掌握されつつも, 「中心」から「周縁」に向けて放射状・階層状に拡大する帝国の運動からも逸脱的・自律的な, <脱周縁化>の力を孕んでいたのである.
  • 集団規模と平等基準
    石田 淳
    2006 年 56 巻 4 号 p. 882-897
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は, 社会的ジレンマ状況を資源分配とその社会的評価という観点から分析し, 社会的ジレンマ状況に対する新たな解釈可能性を提示することにある.このことは, これまで社会的ジレンマ研究の前提であった合理的選択理論の枠組みを一旦カッコに入れるということを意味する.その上で, 社会的ジレンマ状況における社会的平等性という評価基準が, 集団規模の増大によってどのような影響を受けるのか, ということに注目する.
    分析の結果, ある条件のもとでは, 集団規模の増大が社会的ジレンマ状況における社会的平等性を全体的に改善し, さらに資源 (利得) の社会的総和を全体的に改善することが明らかになった.一方で, 集団規模の増大はパレート最適な社会状態の割合を減少させる.この結果より, 社会的平等性を考慮するプレーヤーを仮定した場合, 集団規模の増大はプレーヤーの非協力行動に対する心理的障壁を構造的に軽減させ, 全員非協力状態への移行を容易にする働きをもつものと解釈することができる.つまり, 集団規模の増大は「ジレンマの激しさ」をますます高める作用を持つ.こうした結果の解釈は, 「オルソン問題」についての1つの解答の可能性を示唆するものである.
  • 女性野宿者の日常的実践から
    丸山 里美
    2006 年 56 巻 4 号 p. 898-914
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    近年, 野宿者の存在が社会問題化している.これまでの野宿者研究では, 野宿者の生活に見られる自立的で主体的な側面を描き出すことによって, 野宿者は更生すべきだとするまなざしに対抗しようとしてきた.そのときには一枚岩の男性労働者を想定しながら, 野宿者の勤勉性を主張するというやり方がしばしばとられてきた.しかしこうした主張は, 勤勉な男性野宿者以外の存在を排除するものとなっている.
    本稿は, ある公園と施設において行った調査に基づいて, 女性野宿者の生活世界に焦点をあてるものである.野宿者の中で女性の割合は2.9%にすぎず, 従来の研究では女性はほとんど存在しないものとされてきた.しかし彼女たちの実践から見えてくるのは, 男性野宿者の場合とは異なる, ジェンダー化された女性野宿者の世界である.さらに彼女たちに特徴的に見られたのは, 周囲との関係性に拠りながら, 状況に応じて野宿を続けたり, 野宿から脱出することを繰り返す姿だった.
    こうした断片的な生のあり方は, 女性に顕著にあらわれているが, 女性野宿者に本来的に固有なものでも, 女性野宿者だけに見られるものでもない.これまでの研究では一貫した意志のもとに合理的な選択を行う主体像を想定し, 行為遂行的な実践は見落とされてしまっていたが, それは, このような女性野宿者たちの実践に接近することに先立って, 野宿者に抵抗や主体的な姿を見ようとする欲望が存在していたためだろう.
  • おどけとあきらめ
    山崎 晶
    2006 年 56 巻 4 号 p. 915-930
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    明冶維新期に路上でのふるまいを規制した風俗統制令, 違式?違条例への民衆の反応を通して, 当時における「公共」の捉え方を考察する.
    維新期の政策は, 日本社会の近代化の骨格となった.従来の維新期研究は, 当時の民衆の政策への反応形式として順応/反抗のいずれかに重きを置いて論じる傾向にある.しかし, 新政への不満が反抗という形に結実することは極めてまれであり, 民衆の日常的な反応を照射しきれているとは言いがたい.本稿は順応ても反抗でもない反応を「やり過ごし」と称し, 明冶初年にどのように現れていたかを明確にすることを目的とする.それに際し, 当時の庶民の生活慣習を禁じた違式?違条例に関する新聞記事の分析を行う.分析の結果, (2) 取締りの様子を茶化して報じる記事が多数存在し, その記事が (2) 取り締まる側のみならず, 取り締まられる側も笑いの対象としていることから, 「やり過ごし」の形式としてのおどけが確認された.おどけとは, 何がおもしろおかしいのかを客観的にとらえている状態である.ゆえに取り締まりをおどけてやり過ごした民衆は, ただ無意識のうちに〈迷蒙〉状態にあったのではなく, 政府と自らの思惑のズレを自覚していたといえる.この後, おどけが新聞に現れなくなることから, おどけは維新期に特徴的な「やり過ごし」のスタイルであり, 政府と民衆の「公共」の捉え方の違いから生したものと考えられる.
  • イタイイタイ病, 熊本水俣病, 四日市喘息を事例として
    立石 裕二
    2006 年 56 巻 4 号 p. 931-949
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    科学委託とは, 行政が科学者に研究を委託し, その結論をもとに政策を実施する仕組みである.これまでの環境社会学は, 科学者を被害者と加害者の対立構造の中で捉えがちで, 科学者がそこから自律して動く可能性が十分に捉えられていなかった.本論文は, イタイイタイ病, 熊本水俣病, 四日市喘息を事例に, 科学と社会が自律しながらも相互作用するという観点に立って科学委託を分析することで, 科学委託を批判的に検討するための枠組みを提供することを目的とする.
    科学委託は, 研究内容が研究者に委ねられる自主型, 行政が特定調査を研究者に委託する限定型, 既存知見のとりまとめを委託する審議型の3形態に分けられる.科学委託の持つ意味は, 科学的知見が蓄積される前後で異なる.当該問題で知見が蓄積される前の自主型委託では, 学術的業績を挙げられる見込みが高く, 学術動機から研究者が積極的に取り組みがちである.業績を挙げた研究者は, 被害者側に立って積極的に研究・発言するようになる.これに対し, 蓄積後の委託や, 蓄積前でも研究内容の限られる限定型・審議型の委託では, 業績を挙げられる見込みが低く, 研究者は消極的に振る舞いがちであり, 意見が途中で変化しにくいため, 最初の人選が重要となる.
    こうして進められた科学委託は, 行政の姿勢や研究者のとりまとめ志向, 世論などに影響されつつとりまとめられ, 世論と相互作用しながら政策実施につながる.
  • 田渕 六郎
    2006 年 56 巻 4 号 p. 950-963
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 産業・労働社会学の現状と課題
    小川 慎一
    2006 年 56 巻 4 号 p. 964-981
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 2006 年 56 巻 4 号 p. 982
    発行日: 2006年
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
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