社会学評論
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53 巻 , 1 号
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  • 塩原 勉
    2002 年 53 巻 1 号 p. 2-12
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    近代化の科学であった社会学は, 近代からポスト近代への転換期を通じ, どのような自己革新をへて, 21世紀においてどのような役割を担うべきか.
    社会学はつぎのような独自性をもっている. (1) 社会についての基礎理論の提供, (2) 社会調査による情報の組織化, (3) 関連諸科学間の橋わたしとネットワークづくり, (4) 方法論上のバランスのよさ, がそれである.
    今後諸科学は「人間と社会のための科学」として社会的責任をとることが強く求められるであろう.そこで, 社会学はその独自性を活かして, 諸学が連携するように橋わたしをし, 21世紀対応の横断的・俯瞰的なネットワーク型の知の創造に対してコア・サイエンスの役割を演ずるべきであろう.
    そのために, いま社会学は歴史認識と社会空間認識において, いくつかの発想の転換が必要である.
  • アルベルト マルティネリ
    2002 年 53 巻 1 号 p. 13-38
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本論文において筆者は, 21世紀初頭のグローバリゼーションが急速に進行する世界において, グローバルガバナンスと権力のアカウンタビリティの問題が焦眉の課題であることを論ずる.
    その問題に回答をだすために, 本論文は, まずはじめに, 現代世界において進行しているグローバリゼーションを如何なるものとして把握するのかを明らかにする.筆者はグローバリゼーションを, 広い視野から, 複数の原因をもつ極めて多層的な過程と捉える.その過程から, グローバルガバナンスがもっとも重要な問題として浮上してくる.何故ならば, グローバルな舞台において, かつて国民国家や民主主義が果たした機能を担うものが形成されていないからである.筆者は, グローバルな舞台における主要な行為者を検討し, 民主的なガバナンスを担うスーパーナショナルな制度形成の重要性を指摘する.またその文脈において, 具体例をヨーロッパ連合に採り, どのようにして民主的なグローバルガバメントを形成するのかを検討する.その検討から明かになることは, そうした制度の基盤になるものは, エトスとエポスをおいて他にないということである.国際学会は, この両者を共有しており, グローバル時代においてグローバルガバナンスを確立するために少なからぬ貢献をする可能性を秘めており, より積極的な活動を展開することが期待されている.
  • 後藤 実
    2002 年 53 巻 1 号 p. 39-53
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿では, N.ルーマンの法理論に着目し, その有効性を吟味した.法理論の蓄積は圧倒的に法学にあるが, ルーマンはその成果を摂取し独特の理論を構築した.一見独特なルーマンの法理論は近代法システムを説明する有効な視座を提供していると思われる.
    本稿では, まずルーマンの法理論の基本的性格を検討した.ルーマンの社会システム理論は, オートポイエーシス理論の導入により転回しており, 法理論も概念装置を試す場に選ばれているため, その経緯の分析を行った.ルーマンの法理論にとっては, 法システムの分立化・自律, 法の自己準拠, 法のオートポイエーシスなどの概念が導入されることで, 可能態としての任意の法創造と現実態としての漸進的法改正といった近代法秩序の特質が一層明確になった.
    ただし, ルーマンは法システムの開放的な学習という視座を提供しながら, 法システムへの信頼という方向に議論を収斂させているので, 一定の困難に直面した.ルーマンは法システムの過重負担といった社会診断を適切に行い, オートポイエティックな法システムがシステム外的要因によって撹乱される可能性に言及しながら, それに対応した理論を充分に構築していない.
    そこで法システムの複雑化と社会の多元化の並行性に着目し, 近代法システムの両義性を「法システムの軽減・行為主体への負荷」, 「法システムへの負荷・行為主体の自由」の組み合わせに見出した.
  • 和泉 浩
    2002 年 53 巻 1 号 p. 54-69
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    音楽という芸術を, 合理化の視点からとらえることはできるのであろうか.もしそれが可能であるとすれば, 音楽の合理化の西欧近代における固有の特性とはいったいどのようなものなのであろうか.未完の草稿として残された『音楽社会学』においてマックス・ウェーバーが探求しようとした, この西欧近代音楽の合理化の過程を, 西欧音楽における二重の合理化という視点から読み解くことが本稿の試みである.
    ウェーバーが音楽を社会学の対象にしたのは, 音楽に用いられる音組織が歴史的に構築されるなかで, 理性がきわめて重要な役割をはたしてきたことを見出したためである.ウェーバーは, この音組織を歴史的に構築してきた原理を, 間隔原理と和声的分割原理という2つの原理に区別する.この2つの原理にもとづき, 音組織は間隔的に, あるいは和声的に合理化されてきたのである.この2つの合理化は互いに対立するものであり, 他方のものに非合理, 制約, 矛盾をもたらす.ウェーバーの議論は一見, 近代の西欧音楽を和声的合理化においてとらえ, それ以外の音楽を間隔的合理化において特徴づけているようにみえる.しかし, 西欧近代の音楽の合理化の特性は, この対立する2つの合理化の交錯においてかたち作られているのである.この西欧近代音楽の合理化の矛盾した関係を明らかにすることこそ, ウェーバーの音楽社会学の試みである.
  • 保坂 稔
    2002 年 53 巻 1 号 p. 70-84
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿は, 『権威主義的パーソナリティ』を踏まえて, 権威主義的性格と環境保護意識の関係について検討することを目的とする.権威主義的性格の多くの側面のうち, どのような側面が環境保護意識と関係しているのだろうか.検討にあたっては, 権威主義的性格の「過同調と潜在的破壊性との共存」といった特徴に着目する.まず「過同調」と「破壊性」が, 環境保護意識とそれぞれどのような関係にあるかを検証した.結果は「過同調」については負の, 「破壊性」については正の相関関係が, それぞれ環境保護意識と見られた.次に, 「過同調」と「破壊性」が共存した場合の権威主義的性格と, 環境保護意識の関係をみた結果, 権威主義的性格の人々が高い環境保護意識を持つことが判明した.最後に, 権威主義的性格の人々が持つ環境保護意識について, ナチズムにおける環境保護への取り組みを参考にして検討した結果, 「権威主義的な環境保護意識」が今日存在することが明らかになった.
  • 篠木 幹子
    2002 年 53 巻 1 号 p. 85-100
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    環境配慮行動の実行に前向きであるにもかかわらず, 環境配慮行動に取り組んでいない人々が現実には少なからず存在する.本稿では, リサイクル行動の中でも, ビン・缶のリサイクルと牛乳パックのリサイクルに焦点をあて, 態度と行動の間に矛盾を抱える個人のリサイクル不実行のメカニズムを検討する.ここでは, Diekmann and Preisendöfer (1998) によって提唱された3つの正当化の戦略 (注意変更戦略, 高コスト戦略, 主観的合理性戦略) を修正し, 新たに「行動貶化戦略」を加えて, 正当化に関する修正モデルが一般的な合理的選択理論のモデルの観点から捉え直せることを示した.次に, 各戦略に関する予測を導出し, 仙台市において実施した調査データを使用して分析を行い, 予測を検証した.その結果, 態度と行動の間に矛盾のある人の中で, 行動貶化戦略をとる人はほとんどいないことが明らかになった.また, 注意変更戦略に関しては, 正当化が行われる可能性を推測できるが, 明確な傾向は得られなかった.これに対して, コスト戦略, 主観的合理性戦略は, リサイクルの種類にかかわらず正当化が行われる傾向がみられた.
  • 荒川 康
    2002 年 53 巻 1 号 p. 101-117
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    「公共性」をめぐっては, 現代市民社会をいかにとらえるかという課題と密接に関わりながら幅広い議論が展開されている.こうした公共性論のもつ視角は「まちづくり」の場面にも反映されており, 国家・行政機関に専有されてきたこれまでの公共性に代わって, 「住民」や「市民」に軸足を据えつつ, 具体的な政策の場面においても有効性のある公共性をいかに構想できるかが課題とされている.
    しかし, 従来の議論では公共性を「市民性」をもつものの間に囲い込んでしまうために, 日常の生活行為そのものから離れてしまう「あるべき公共性」になりがちであった.そのため, そこで語られる公共性は理念としては説得的であったとしても, まちづくりの具体的な場面においては必ずしも有効性を発揮することができないというジレンマを抱えてきたのである.
    そこで本稿では, 新興住宅地における公園づくりを事例としながら, これまでの公共性論が看過しがちであった「関係性」そのものに光をあてつつ, 「関係性に対して開かれた公共性」に言及することで, 上のジレンマの克服を試みた.そしてその上で, 従来の「市民的公共性」の追求とは異なった形によるオールタナテイヴな社会を展望してみたい.
  • 澤井 敦
    2002 年 53 巻 1 号 p. 118-134
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    現代社会は死をタブー視する社会であると度々指摘される.しかしメディアにおいて死が頻繁に話題になるようになり, 死はタブーから解放されたとする見方もなされている.本稿の目的は, 「死のタブーからの解放」とは何を意味しているのか, また, 依然として死がタブー視されているとすれば, それはどのような意味においてなのか, という点を検討し, それを通じて「死のタブー化」の概念の実質を明確にすることにある.
    本稿ではまず, P.アリエスやG.ゴーラーによる古典的定式化の再検討, および, 死の「公的な不在, 私的な現存」というテーゼの批判的検討を行い, 死のタブー化という概念の実質的な意味が, 死にゆく者や死別した者との「関係」の忌避という点にあることを明らかにする.そして次に, メディアにおいて流通する, 死をめぐる多様な情報の質的差異について考察し, それらの情報が, ゴーラーのいう「死のポルノグラフィ」としての性質を有すると同時に, 死や死別の受容の仕方を教示する「死のガイドライン」としての性質を有することを確認する.そして最後に, 死のタブーからの解放という見方は, この「死のガイドライン」としての情報がメディアを通じて流通するという現象を指し示すものであるということ, しかしながら, そうした「解放」にもかかわらず, 死を身に帯びた者との関係の忌避という意味での死のタブー化は, 依然として存続していくことを指摘する.
  • 富永 健一
    2002 年 53 巻 1 号 p. 135-138
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 蘭 信三
    2002 年 53 巻 1 号 p. 138-140
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 栗岡 幹英
    2002 年 53 巻 1 号 p. 140-141
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 大谷 信介
    2002 年 53 巻 1 号 p. 141-143
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 宮坂 靖子
    2002 年 53 巻 1 号 p. 143-145
    発行日: 2002/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
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