社会学評論
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55 巻, 2 号
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
  • 中村 和生, 樫田 美雄
    2004 年 55 巻 2 号 p. 80-97
    発行日: 2004/10/25
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    本稿は, 論理文法分析に根ざした会話分析の技法を用いて, 電話相談という相互行為そのものを分析的に解明することを目的とする.第1に, 分析素材とした医療系の電話相談全体の概観を記し, 相談における個々の活動の順序がア・プリオリな性質を持つことを示す.第2に, 電話相談の参与者のカテゴリーとして〈助言者-相談者〉に着目し, このカテゴリー対が相談事項の知識主張の資格に関して非対称的な配分を参与者に付与する装置であることを確認する.そして, この非対称性への参与者の規範的志向がトラブルを回避させたり引き起こしたりすること, さらには, トラブルが引き起こされた場合には, それを処理する, 役割限定によって責任を軽減する手続きがあることを例証する.第3に, 先の資格に関して対称的な配分をもたらすカテゴリー装置を助言者がわざわざ参照するという現象を取り上げ, この一見すると助言を困難にするようなカテゴリー装置の参照が, 同じ成員資格の内部において差異化をもたらすようなシークェンスの組織化によって, むしろ有効な助言となることを例証する.そして最後に, こうした分析的例証と, 当の相談という営為との接点を探る.
  • 新秩序体制下のゴトン・ロヨン (相互扶助) と都市住民組織 RT/RW の夜警をめぐって
    小林 和夫
    2004 年 55 巻 2 号 p. 98-114
    発行日: 2004/10/25
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    インドネシアのスハルト新秩序体制は, インドネシア共産党 (PKI) の徹底的な物理的解体のうえに築かれた.この解体は, 人びとに, 国家の暴力と死の恐怖を刻印した.そして, 新秩序体制は, 開発と安定の論理のもとで, ゴトン・ロヨンという「伝統」を所与の「道徳的事実」として, 開発政策への協力を正当化する機制とした.
    1970年代末から80年代初めにかけて, 新秩序体制は, パンチャシラの公定イデオロギー化とPKI元政治犯の釈放をほぼ同時に行った.この政策は, 地域住民に国家の新たな監視体制への参加と, 住民組織RT/RWでの夜警をとおした「助け・助けられ」というゴトン・ロヨンへの参加を促した.そして, この2つの異なる位相への住民の参加を制度化したものが, シスカムリンとよばれる地域監視警備体制であった.とくに, 暴力の恐怖の再想起と, 仮想の敵の想定というスハルトの政治的手練によって, 治安の問題は住民に迫真性をもたせていた.
    シスカムリンの導入は結果的に夜警を再整備した.これによって, 夜警は決定・指示・実践までシステム化され, 総選挙など特定の時期に限定して住民が動員された.しかし, 夜警の目的は, 犯罪一般の抑止ではなく, 新秩序体制に敵対しようとする社会諸勢力への政治的示威という象徴の呈示にあった.スハルトの巧妙な政治的手練と機制によって, ゴトン・ロヨンというインドネシアの「伝統」は, 実践され, 再生産されていた.
  • M.ヴェーバーの『経済と社会』草稿から
    松井 克浩
    2004 年 55 巻 2 号 p. 115-128
    発行日: 2004/10/25
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    本稿は, 「諒解」概念を手がかりとしてヴェーバーの『経済と社会』草稿を読解することにより, 彼の合理化論について従来とは別様の見方を示すことを目的とする.すなわち, 〈合理的な社会秩序はいかにして「妥当」するか〉というテーマの掘り起こしである.諒解概念は, これまで合理化された近代社会との関係づけが十分になされてこなかったが, 「草稿」の冒頭部諸章を検討してみると, 合理的なゲゼルシャフト関係の存立を諒解関係が支えるという論理を読みとることができる.そこでまず, 合理的なゲゼルシャフトがその目的の範囲を超えた諒解をともなう, という機制を確認する.ついで, この機制をふまえてゲマインシャフトの〈重層的〉な存立について論じる.家や近隣などの「原生的」集団も, 種族・国民という〈観念〉も, より高次のゲマインシャフトに組みこまれて「共属意識」を引きだす諒解を構成する要素として動員され, たとえば合理的な国家システムの存立を支える.ゲゼルシャフト秩序は人格的な諒解ゲマインシャフトとして人びとに受けとめられ, 相互行為によって確証されることを通して「妥当」するのである.ヴェーバーによる「合理化」の社会理論は, 時間的な継起・発展の面からだけでなく, 重層化してゆく側面, いいかえると現在の時点から過去を再構成し, 組みこんで存立する側面からもとらえることができる.
  • 右田 裕規
    2004 年 55 巻 2 号 p. 129-145
    発行日: 2004/10/25
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    本論文の目的は, 戦前期女性の皇室観の分析を通じ, 民衆の生活世界に根ざしつつ, 近代天皇制と「女性」の関係を捉え直すことにある.アプローチしたのは, 1900-10年代以降の女性に広く現れた, 「スターとしての皇室」への強い憧憬・関心という心性である.本論文ではこの心性につき, 男性の皇室観と比較しつつ, 歴史社会学的な考察が加えられる.具体的にはまず, 戦前期女性の上記の心性が, 近代天皇制の大衆化を推進していった過程を概観することで, 彼女らが天皇制の質的変容をもたらしたことが示される.さらに上記の心性形成の諸要因の解明を通じ, 戦前期大衆天皇制の形成と日本の近代化過程との関係性が, ジェンダー論的視座から提示されるとともに, 家父長制と天皇制の間に対立のモメントの存在した事実が明らかにされる.
  • 兵庫県村岡町D区の事例
    福田 恵
    2004 年 55 巻 2 号 p. 146-161
    発行日: 2004/10/25
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    日本社会では, 森林の過伐や枯渇に苦しむ世界的情勢とは対照的に, 過剰植栽によってもたらされた森林資源の維持管理が問題化している.本稿では, 日本社会特有の森林問題が生み出された歴史的経緯を確認するため, 森林管理の形成過程および推進論理の把握を実証的課題に据える.
    兵庫県村岡町D区の事例から, 具体的には次の点が確認された.明治後期, D区は林野に対する関心を急速に高め, 入会地を対象とした雑木の一斉伐採および造林木の植栽を開始した.造林化は, 緊迫した地域運営を引き金にした林野利用転換への住民の取り組みと, 過伐を懸念し公有林野への植樹奨励を強化した行政サイドの路線とが, 入会地という一定の着地点を見出したところに, 萌芽したものであった.当初, 両者の問には推進事由にズレが生じていたが, いったん確立された継続的植栽の方向は, 後戻りすることなく, 過剰植栽が顕在化するまで徹底された.「濫伐」「荒廃」を切り抜けるために, 行政と住民が苦心して作り出し体現してきた造林理念には, 過植という新たな森林問題を生み出す論理が内在していたのである.
    近代的造林は, 確かに一面では問題発生の火種を孕んでいたが, 他面では, 新たな社会組織の生成契機を有していた.住民生活を強力に後押しする村落は, 既存の林野秩序を継受しながらも, その仕組みを近代的土壌のなかで賦活していくことによって造林管理主体として創出されたものであった.
  • 樋口 博美
    2004 年 55 巻 2 号 p. 162-163
    発行日: 2004/10/25
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 浦野 正樹
    2004 年 55 巻 2 号 p. 164-165
    発行日: 2004/10/25
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
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