1980年代以降, 日本の製造業では, 欧米で一般的な組織合理化の原理とは異なり, 技術者と現場労働者の間で「柔軟な分業」が行われていることが指摘されてきた。近年, この柔軟な分業と社会的条件の間にみられる歴史的関係に注目する立場があらわれてきている。この立場によれば, 戦後に生まれた平等主義的な職場環境という社会的条件が, 柔軟な分業の社会的基盤を提供し, その萌芽的形態は戦前期にもたどることができるという。本稿は, この課題を歴史的に検証することを目的とし, 戦前期における技術者と現場技能者の分業を考察する。戦前工作機械五大メーカーのひとつである池貝鉄工所を対象とし, 関係者への聞き取り調査をもとに, 職種間分業を規定する要因として, 組織合理化と社会的条件 (企業内身分制) を取りあげ, 検討する。
考察結果から, 大量生産体制が必要となった第二次大戦期には, 技術者主導の下に, 組織合理化が一定の水準にまで進められたものの, 当時の技術的制約と「現場主義」のため, 組織合理化には限界があったことが明らかとなった。また, 技術者と現場技能者の協力関係が, 特に情報交換の領域で確認でき, 今日の柔軟な分業と類似点がみられた。しかし, 同時に, この協力関係は, 戦前期日本の企業内身分制に強く規定されていた点で, 独特な歴史的性格を帯びたものであった。
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