中新世末にアフリカ大陸で誕生したと考えられる人類は,いつ頃からユーラシア大陸へ,そして東方アジア地域へと進出したのか.この問題を考察する上で,東方アジア最古級の人類化石であるインドネシアのジャワ原人資料はその要として注目されてきた.特に世界文化遺産に登録されたサンギラン遺跡はジャワ原人化石の中心的産地で,最も古いジャワ原人がどこまで遡るかについても鍵を握る遺跡であるが,編年の枠組みは長い間統一されていなかった.本稿では,まずサンギラン遺跡の概要を記した上で,年代観の変遷史・論争史を概観する.次に,当遺跡の編年の再構築と年代論争の終結に向けての筆者らの近年における研究成果を紹介し,ここ二十年来の通説─ジャワ原人の最古のものは150万年前を超えるという年代観─を見直す必要があることを述べる.
1mDEMと1万分1湖沼図を用いてアトサヌプリ火山群周辺の地形判読・地形解析を行い,屈斜路湖岸および湖水面下の湖成地形面と,アトサヌプリ火山群の火山性断層群の詳細な分布を調べ,地形発達史を検討した.屈斜路湖の湖面標高は,約15 cal kaまで現湖面の上位約40 m以上に位置した後,約7.6 cal kaにかけて断続的に約60 m低下した.その後,摩周f火砕流とリシリ岩屑なだれによる河道閉塞により現在の湖面標高まで上昇した.約15 cal ka以降には,アトサヌプリ火山群のドーム状隆起が活発化し,屈斜路湖東岸の湖成段丘面を最大約50 mも垂直変位させ,その平均隆起速度は約3.7~6.5 m/kyrに達した.同時期には,ドーム状隆起の領域で火山性断層群が形成され,その中心部にはNE-SWまたはE-W走向の長軸方位を示す幅1 kmのグラーベンが形成された.最低位の段丘面は屈斜路湖東岸の一部のみに認められ,ドーム状隆起は長期的に見ると近年も継続中と考えられる.