第四紀研究
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43 巻 , 4 号
選択された号の論文の6件中1~6を表示しています
  • 内山 美恵子, 三田村 宗樹, 松田 順一郎, 熊井 久雄
    2004 年 43 巻 4 号 p. 251-252
    発行日: 2004/08/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
  • 三田村 宗樹, 橋本 真由子
    2004 年 43 巻 4 号 p. 253-264
    発行日: 2004/08/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    大阪平野における最終氷期の堆積物とされる天満層の分布について,地盤データベースを用いて再検討を行った.その結果,平野地下の埋没谷を充填する礫層の存在が明らかになった.この埋没谷は,低位段丘堆積層・中位段丘堆積層相当の地層を下刻して,淀川・猪名川・第二寝屋川(旧大和川)などに沿って,その地下に存在する.埋没谷を充填する礫層は,明らかに低位・中位段丘堆積層相当層とその分布を異にしている.従来得られている14C年代値を考慮すると,この礫層は最終氷期最寒冷期以降で1万年前までの堆積物とみなされ,難波累層の基底礫層として位置づけられる.さらに,この礫層を難波累層に含めて,難波累層の基底面分布から2万年前ごろの古地形の再現を試みた結果,上町断層東側の傾動ブロックの横構造地形を切って,先行河川として古大和川・古淀川が発達していたことが判明した.
  • 村上 晶子, 井上 淳
    2004 年 43 巻 4 号 p. 265-274
    発行日: 2004/08/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    球状炭化粒子は,化石燃料の高温燃焼によって生成され,産業革命以降の堆積物中にしばしば含まれることが知られている.このため,地域的な化石燃料燃焼の変遷や産業活動に伴う大気汚染などの環境変化を解明する指標として,堆積物中の球状炭化粒子の研究が進められている.本研究では,堆積物に記録された球状炭化粒子の変遷とその発生源を解明する目的で,新たに掘削した約100年間にわたる大阪城内堀堆積物と溜池堆積物のコアについて,球状炭化粒子分析を行った.大阪城内堀堆積物と大阪市長池堆積物の球状炭化粒子量の変化は,堆積物の上位で多くなる共通の傾向が認められた.さらに,球状炭化粒子は1950年頃から増加し,1960年頃に最も多くなったと推察された.また,上位の堆積物中には,石油燃焼によって生成されたと考えられる特徴的な形態の球状炭化粒子が認められた.こうした一連の球状炭化粒子の傾向は,大阪城外堀堆積物にも認められている.これらの球状炭化粒子の多くは,周囲の状況や球状炭化粒子の飛散距離を考慮すると,大阪湾岸地域の工業地帯から供給されたものと考えられる.そして,一連の球状炭化粒子量や形態の変化は,大阪湾岸地域における火力発電所などの化石燃料燃焼の変遷を反映していると考えられる.
  • 稲野 伸哉, 山崎 秀夫, 吉川 周作
    2004 年 43 巻 4 号 p. 275-286
    発行日: 2004/08/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    本研究では,大阪城の外堀と内堀において柱状堆積物を採取し,131個の試料中の重金属元素(Pb,Cu,Zn,Ni,Cr)濃度の分析を行い,大阪城周辺における重金属汚染の歴史の解明を試みた.大阪城堀堆積物中の重金属元素濃度は,江戸時代に相当する堆積物下部で低く,1900年頃から徐々に高くなる.重金属濃度は1960年代に最大となり,現在にかけて減少傾向にある.このような変化は,明治維新以降の産業の近代化,戦後の経済復興,そして公害や環境汚染に対する法規制によると考えられる.また,大阪城外堀堆積物は,明治初期から終戦まで大阪城に隣接していた大阪砲兵工廠の影響を大きく受けていたと考えられる.
  • 小野 映介, 海津 正倫, 鬼頭 剛
    2004 年 43 巻 4 号 p. 287-295
    発行日: 2004/08/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    完新世後期の濃尾平野における土砂堆積域の変遷について,低地の地形・地質と遺跡の分布や遺物の検出状況をもとに検討した.濃尾平野では縄文時代中期後葉(4,300yrs BP)以降,木曾川扇状地東部を中心に遺跡が分布するようになり,縄文時代後期末(3,000yrs BP)と弥生時代前期末(2,200yrs BP)の2度の画期を経て,西側と南側の地域にその分布域を段階的に拡大させた.各遺跡では,地表面下2m以浅の黒色有機物層やシルトを主体とした細粒堆積物層から遺物が出土しており,遺跡が立地して以降,洪水による堆積物の供給を受けにくい環境が継続したことが推定された.これらから,濃尾平野では完新世後期に木曾川の主流および土砂の堆積域が低地東部から西部へと移行するとともに,堆積環境の安定域が西部や南部へ拡大したことが考えられる.このような変遷過程は,養老断層を境に沈降する西下がりの傾動運動と対応しており,その影響を受けたものと推定される.また,縄文時代晩期(3,000yrs BP)以降における木曾川の顕著な西流傾向と海側の地域における土砂の集中的な堆積は,「弥生の小海退」に相当する海岸線の海側への急速な前進のおもな要因となったと考えられる.
  • 石綿 しげ子
    2004 年 43 巻 4 号 p. 297-310
    発行日: 2004/08/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    最近の年代測定資料を含む理学分析資料と土質試験資料を用いて,東京湾北部沿岸の七号地層と有楽町層の堆積環境について検討した.古東京谷,古神田川谷,浦安谷の3つの埋没谷を対象にして,沖積層の層相,土質特性,珪藻化石群種,堆積年代などを整理し,相互の関わりから堆積環境を明らかにし,七号地層と有楽町層の地層区分の検討を行った.
    七号地層の基底礫層直上には,約15,000~12,000年前に堆積した三角州性堆積物が厚く分布する.七号地層と有楽町層の境界は約12,000~11,000年前にあり,この前後の時期を挾んで堆積速度や層相変化には堆積場の急変がみられ,海面の一時的な停滞あるいは低下が示唆される.有楽町層は,層相変化,土質特性,堆積年代などの相関性から,下部は縄文海進の上昇期に,上部は縄文海進高海面期以後に対応した区分が可能である.
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