第四紀研究
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37 巻, 3 号
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  • 陸・海・ヒトのテレコネクション
    小野 有五, 大場 忠道, 小泉 格
    1998 年 37 巻 3 号 p. 155-163
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
  • 森脇 喜一, 平川 一臣, 中田 正夫
    1998 年 37 巻 3 号 p. 165-175
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    最終氷期極相期(LGM)における南極氷床の拡大は,古気候復元モデルにしばしば用いられてきたいわゆるマキシマムモデル(Stuiver et al.,1981)よりはるかに小規模で,LGMの海水準低下への貢献もそれほど大きくなかったという知見が集積しつつある(たとえば,Colhoun et al.,1992).東南極の宗谷海岸では,40ka頃の隆起海浜地形・堆積物が完新世のそれらと同レベルに分布し,Isotope Stage3の時期には,海水準が相当に高かった可能性がある.熱帯海域だけでなく,南極ロス海や南インド洋の海底堆積物からも,その考えを支持する結果が得られている.ただし,この時期の14C年代値にはほかの測定法によるクロスチェックが必要である.最終氷期以降のグローバルな古気候復元モデルや海水準変動に関するこれまでの研究は,南極氷床が周辺の大陸棚をすべて覆ったとするLGM南極氷床像に基づいて行われてきたことを知らなければならない.
  • 森脇ほか(1998)論文へのコメントを含めて
    太田 陽子
    1998 年 37 巻 3 号 p. 177-180
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    本稿は,Chappellほか(1995),Ghappell et al.(1996)のパプアニューギニア,ヒュオン半島のサンゴ礁段丘からの成果に基づいて,約70~30kaの海水準復元の方法と結果を紹介したものである.隆起速度の大きい同地域では,ほぼ10ka間隔の相対的高海水準が記録されており,その高度は-50~-90mである.あわせて,森脇ほか(1998)による約40kaの古海水準に関する問題などについてのコメントを試みた.
  • Dansgaard-Oeschgerサイクルとハインリッヒ・イベント
    藤井 理行
    1998 年 37 巻 3 号 p. 181-188
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    グリーンランド氷床のコアの安定酸素同位体組成の解析により,Dansgaard-Ocschgerサイクルと呼ばれる氷期における24ものinterstadials(亜間氷期)が明らかとなった.interstadialsは,数十年間で5~7℃の急激な温暖化とその後500~2,000年の緩やかな寒冷化で特徴づけられる気温変動である.また,Dansgaard-Oeschgerサイクルを束ねたBondサイクルと呼ばれる気温変動は,ローレンタイド氷床から北大西洋への氷山群の流出(ハインリッヒイベント)後に急激な温暖化で始まることが,海底コアとの対比で明らかとなった.本論では,氷期における北大西洋深層水(NADW)の消長による海洋での熱塩循環の変動が,地球規模での気候を支配してきたことを示すとともに,気候システムには2つの安定なモードがあることを指摘する.さらに,現在進行中の温暖化に伴う降水量の増加により,北大西洋海域の塩分濃度が低下し,熱塩循環が止まり,現在とは別の気候モード(寒冷化)が引き起こされる可能性を紹介する.
  • 成瀬 敏郎
    1998 年 37 巻 3 号 p. 189-197
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    敦賀市中池見湿原泥炭層,鹿児島市のシラス台地上の古土壌,喜界島の石灰質風成砂層中の風成塵は,12,14,17-18,21,27,31,35,38,42kyrBPの9時期に堆積した.それらはDansgaard-Oeschger cold eventやHeinrich event (H1~H5)に対比でき,同じ時期の気候変動は黄土高原のレス-古土壌シークエンスにも記録されている.敦賀では,風成塵はH1~H4の時期には,主として冬季北西季節風によって運ばれ,新ドリアス期とH5の時期には主として夏季亜熱帯偏西風ジェット気流によって運ばれた.また,鹿児島,喜界島の風成塵は,夏季亜熱帯偏西風ジェット気流によって運ばれた.本論文では,モンスーンアジアにおいて,最終氷期の気候変動に果たすヒマラヤ・チベット高原の役割が重要であり,雪原に堆積する風成塵がアルベド変化をもたらし,夏季モンスーン消長のトリガーになった可能性を指摘した.
  • 鴈澤 好博, 窪北 耕治, 鈴木 直太, 長内 郁典
    1998 年 37 巻 3 号 p. 199-204
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    熱ルミネセンスの風成塵研究への応用として,(1)風成塵堆積物の認定の方法,(2)TL年代測定への応用について述べた.前者は天然石英の熱ルミネセンスカラーイメージ(TLCI)に青色(花崗岩・変成岩起源)と赤色(火山灰・火山岩起源)が存在することに基づいている.フォトスキャナーによるTLCI-CIAを行ったところ,風成塵堆積物や北海道豊富町の粘土試料はいずれも青領域のTLCIを,火山灰は赤領域のTLCIを示した.また,付加線量法によるTL年代測定を試みた.成果は初歩的段階にあり,今後,細粒粒子を用いる際の実験方法や年間蓄積線量の測定法を確立する必要がある.本論では,青森県東北町の既存のToyaテフラの年代をもとに,中-後期更新世の粘土層のTL強度から年代を推定したところ,47~308kaのTL年代が得られた.熱ルミネセンスは基礎的な研究と併せて,今後第四紀研究の有望な手法になりうる.
  • 吉永 秀一郎
    1998 年 37 巻 3 号 p. 205-210
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    日本では,広域風成塵は主として冬季の北西モンスーンによって飛来する.このため,広域風成塵の堆積速度の変動から,北西モンスーンの強度の変動が復元できる可能性が高い.広域風成塵の堆積の証拠として,粒径組成と鉱物組成が用いられるが,両者だけでは確定的ではない.そのため,近年では石英の酸素同位体比組成,天然熱蛍光(TL),酸素空格子信号強度を併用して,第四系中への広域風成塵の混入が明らかにされている.このような証拠をもとに求められた日本周辺における広域風成塵の堆積速度は,おおむね100~10-1mg cm-2y-1のオーダーであり,寒冷な時期に堆積速度が増加する傾向が認められた.このことは,寒冷な時期に北西モンスーンの強度が増大したことを示唆する.
  • 日本海および南シナ海の海底コアの高解像度記録とグリーンランドGIPS2氷床コアとの比較
    王 律江, 大場 忠道
    1998 年 37 巻 3 号 p. 211-219
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    日本海および南シナ海の海底堆積物の高解像度記録と,グリーンランドGIPS2氷床コアの記録を比較したところ,最終氷期において低-中緯度の東アジアモンスーンと高緯度のグリーンランドとの間に気候上のテレコネクションがあったことが示唆された。
    Dansgaard-Oeschgerサイクルにおいて急激に温暖化した時代は,モンスーンが強化されて南シナ海や東シナ海への降水量が増加した時代と一致する.そうした時代には,南シナ海では海洋表層の塩分が低下し,日本海では淡水流入によって海水の鉛直混合が弱まり,暗色の細互層が堆積している.このようなテレコネクションが起こった原因は,夏季の南西モンスーンあるいは南東モンスーンと偏西風との間の相互作用によって生じたと考えられる.すなわち,グリーンランドのような高緯度が暖められると,偏西風のまっすぐ進もうとする力が弱まり,東アジアではモンスーン循環が南北方向に蛇行する.その結果,夏季に陸上の中-高緯度が暖められて,陸上の低気圧帯と海との間の気圧傾度が増加し,南西モンスーンや南東モンスーンが強められるからである.
  • 塩分収支モデルによる陸橋成立の可能性の検証
    松井 裕之, 多田 隆治, 大場 忠道
    1998 年 37 巻 3 号 p. 221-233
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    最終氷期極相期における日本海低塩分化事件を定量的に説明し,陸橋成立の可能性を議論するために,浮遊性有孔虫殻酸素同位体比から日本海表層水古塩分変化を復元した.そして,復元した古塩分変動を定量的に説明するために,塩分収支モデルを用いて日本海へ流入する海水量の時代変化を計算し,それをもとに海峡水深の時代変化を推定した.その結果,LGMにおける対馬海峡の海峡水深は2~9mと見積もられたが,この値は海峡内の海底地形から直接的に推定された値10~30mよりやや浅い.海底地形に基づく海峡水深推定値と調和的な解を求めるためには,古塩分見積値を誤差範囲内で大きめにした上で,対馬海峡における流速を現在の半分まで弱める必要があり,この場合,LGMの推定海峡水深は~10mと求まった.また,最終氷期極相期における海水流入量は500km3/y以下と推定される.このようなわずかな海水流入量は,津軽海峡での潮汐流による海水交換でも説明できることから,最終氷期極相期に対馬海峡が漂砂により埋積した場合,ごく短期間陸橋が成立した可能性を否定できない.
  • 斎藤 文紀
    1998 年 37 巻 3 号 p. 235-242
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    東シナ海における最終氷期の海水準を明らかにするため,今までに報告されている350を超える放射性炭素年代値と最近の音波探査などの報告を検討した.この結果,50,000~25,000yrs BPについては,黄海や東シナ海において三角州の発達が認められ,当時の海水準は黄海で-80±10m,東シナ海で-90±10mと推定された.また最終氷期最盛期については,海成層と陸成層の分布深度や海底地形などから,最低位海水準は-120±10mと推定された.これらの値は従来報告されている値よりも浅い.
  • 沖縄トラフからの発信
    氏家 宏
    1998 年 37 巻 3 号 p. 243-249
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    沖縄トラフは,琉球島弧の北西側に並走して発達し,さらに北西側に展開する広大な東シナ海大陸棚外縁を縁どっている.現在,そこに黒潮が流入しているが,最終氷期には,推定されている“琉球-台湾陸橋”によって流入を妨げられて,南琉球弧南方沖で大きく東へ転向していたと考えられている.この仮説を琉球弧周辺海域,特に沖縄トラフから得た多数のピストン・コアの安定酸素同位体比測定,タンデム加速器質量分析計による14C年代測定,浮遊性有孔虫群集解析などから確かめた.さらに沖縄トラフのコアでは,浮遊性有孔虫Pulleniatinaグループが最終氷期と同様に,約4,400年前以後約1,000年間,ほぼ欠如に近い産出を示すことから,陸橋区域に黒潮の本格的な流入を妨げるバリヤーが形成され,黒潮本流の転向と南方へのシフティングを促したと推論した.この事件が,これまでにいわれている前期縄文時代後半における寒冷化をもたらしたのかもしれない.
  • 河村 善也
    1998 年 37 巻 3 号 p. 251-257
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    第四紀における日本列島への哺乳類の移動を本州・四国・九州と北海道,琉球列島という3つの生物地理区に分けて考察した.本州・四国・九州地域では,長鼻類化石の生層序学的研究によって,次の3種のゾウが最初に出現した時期が明らかにされている.すなわち,シガゾウの出現は1.2~1.0Ma頃,トウヨウゾウの出現は0.5Ma頃,ナウマンゾウの出現は0.3Ma頃である.これらのゾウの出現は,それらが近隣の大陸地域から移入してきたことを示し,またそのような移入を可能にする陸橋の形成を示唆する.ナウマンゾウの移入期以後,本州・四国・九州地域は大陸や北海道からずっと隔離されてきたと考えられる.北海道では,化石の記録が本州・四国・九州よりはるかに少ない.北海道の後期更新世の哺乳類は,ナウマンゾウ,プリミゲニウスゾウ,ヤベオオツノジカといった3種の大型草食獣で代表される.そのうち,ナウマンゾウとヤベオオツノジカは,本州・四国・九州地域から0.3Ma頃に移入した可能性があり,プリミゲニウスゾウは後期更新世後半にシベリアからサハリン経由で移入したと考えられる.琉球列島では,更新世の化石記録は大部分が後期更新世のものである.琉球列島北部の後期更新世の動物相では固有の要素が卓越しているが,それらはおそらく更新世以前にこの地域に移入したものであろう.琉球列島南部の後期更新世の動物群は,中期あるいは後期更新世に移入した種類と,より早い時期に移入した種類から成り立っている.
  • 馬場 悠男
    1998 年 37 巻 3 号 p. 259-266
    発行日: 1998/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    現代日本人の成立に関しては,明治時代から多くの研究者によって,北方および南方からやってきた複数の起源集団による混血の可能性が示唆され,今日でも広く認められている.すなわち,東アジア全体として,更新世末期(3~1万年前)には南方系と考えられる人々が分布していたが,最近(1万年~5,000年前)は北方系と考えられる人々が急速に拡大した,という理解の上に立って,縄文人は南方系の先住集団であり,弥生人は北方系の渡来集団であって,両者の混血によって現代日本人が成立した,と解釈するものである.このような解釈をまとめたのが埴原和朗の「二重構造モデル」である.その際の,南方および北方からの移動のルートとしては,南西陸橋あるいはその付近の海路が有力であるが,北方のルートの可能性も指摘されている.少なくとも,弥生人の渡来に関しては,九州北部を中心とする地域に集中したことはまちがいない.なお,尾本恵市は,遺伝学的データから,更新世後期にすでに南方系アジア人と北方系アジア人が分化していたと考えている.そうすると,縄文人も北方系の人々に起源を持つことになる.筆者は,化石人類の頭部形態から,縄文人の起源は更新世末期に北東アジア沿岸部に住んでいた人々であると考えている.
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