第四紀研究
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32 巻, 1 号
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  • 藤本 潔
    1993 年 32 巻 1 号 p. 1-12
    発行日: 1993/02/27
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    能登半島七尾西湾に面する日用川谷底平野において, FeS2含有量分析および14C年代測定を行い, 完新世後期の相対的な海水準変動を明らかにした. 一方, 海成層堆積速度の不規則性, 穿孔貝跡, および完新世海成段丘の存在とそれらの形成時期から, 500~1,600yrs BP, 1,600~2,200yrs BP, 3,300~4,000yrs BPに地震隆起と考えられる3度の間欠的な地盤隆起が起こった可能性が指摘され, その隆起量は1回当り0.2~0.9m程度と見積られた. 本研究で復元された相対的な海水準変動から見積られた地盤隆起の影響を除去すると, 3,500yrs BP頃が完新世の最高海水準期となる海水準変動曲線が復元された.
  • 田口 敬子
    1993 年 32 巻 1 号 p. 13-29
    発行日: 1993/02/27
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    伊豆半島の沿岸地域における完新世の相対的海水準変化と地殻変動を明らかにする目的で, 4地域において沖積低地の掘削調査を行い, 沖積層の層相と珪藻および貝化石の群集解析, 14C年代測定, および離水海岸地形の調査を行った.
    伊東での海成層の上限高度は, 河川の侵食を受けているが海抜0mで, その上位の泥炭の年代は4,000yrs BPであった. 下田では海成層の上限高度は海抜1.4mで, その年代は2,400yrs BP であった. また白浜から小稲にかけての離水海岸地形の調査では, 離水地形の高度が2つのゾーンに分かれ, 完新世の最高水準期以降2回の不連続な隆起があったことを示す.
    これらの資料より, 本地域の完新世の海成層上限の年代は, 後氷期の海進が約5,000~7,000yrsBPである他の地域と比較して若く, 約2,000~3,000yrs BPまで沈降が継続し, その後間欠的な隆起が起こったものと考えられる.
  • 清永 丈太
    1993 年 32 巻 1 号 p. 31-40
    発行日: 1993/02/27
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    相模平野西部の歌川低地から得られた約5,800yrs BP以降の泥炭質堆積物の花粉分析から, 本低地周辺の森林植生変遷史を次のように推定した. 約5,800~約5,100yrs BP: コナラ属コナラ亜属, エノキ属-ムクノキ属を主体とする夏緑樹林が卓越した. 約5,100~約3,600yrs BP: コナラ亜属, クリを主体とする夏緑樹林が卓越した. また, コナラ属アカガシ亜属を主体とする照葉樹林とスギ林が次第に拡大した. 約3,600~約1,200yrs BP: アカガシ亜属を主体とする照葉樹林とスギ林が卓越した. 約1,200yrs BP~現在: マツ属を主体とする森林が卓越した. このような森林植生変遷史は, 基本的には相模平野一帯に共通するが, 相模平野南東部の柏尾川低地付近ではマテバシイ属-シイ属がアカガシ亜属とともに照葉樹林構成要素となった時期があるのに対し, 本地域の照葉樹林はアカガシ亜属主体であり続けたという地域性も確認された. 関東平野のいくつかの地点で確認されている約5,000~3,500yrs BPにおけるクリの優勢, 約2,000yrs BP以降のいくつかの段階に及ぶ人間の植生干渉が, 本地域でも確認された.
  • 上本 進二, 大河内 勉, 寒川 旭, 山崎 晴雄, 佃 栄吉, 松島 義章
    1993 年 32 巻 1 号 p. 41-45
    発行日: 1993/02/27
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    鎌倉市長谷小路周辺遺跡において, 14世紀前半 (鎌倉時代後期~南北朝時代初期) に由比ヶ浜砂丘地に築かれた半地下式の建物の跡から, 13世紀から14世紀前半頃 (鎌倉時代初期~南北朝時代初期) 形成されたと考えられる噴砂の跡を検出した. 噴砂は砂層に含まれていた土器を巻き込んで約1m上昇して, 当時の地表に噴出している. また, 噴砂の流出と並行して16cmの落差を伴う地割れも形成されている. この噴砂は『吾妻鏡』や『北条九代記』に見られる地震記録から, 1257年 (正嘉元年) あるいは1293年 (永仁元年) の地震によって形成されたと思われる. とくに1257年の地震では, 鎌倉の各地で噴砂が発生した記録が『吾妻鏡』にあるので, 1257年の地震による噴砂と考えるのが適当であろう.
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