第四紀研究
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38 巻, 2 号
選択された号の論文の9件中1~9を表示しています
  • 八甲田山南山麓における事例
    石塚 成宏, 河室 公康, 南 浩史
    1999 年 38 巻 2 号 p. 85-92
    発行日: 1999/04/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    八甲田山南山麓の溶岩台地面上に分布する黒色土と褐色森林土の土壌有機物についてδ13C(13C/12C,炭素同位体比)を分析することにより,腐植を供給した植生の推定を試みた.δ13Cの分析結果から,黒色土のδ13C値は-20~-18‰を示し,一方褐色森林土では0~5cm深で-22‰を示したのを除けば,深さ55cmまで-25~-23‰を示した.これらの結果から,この地域での黒色土の腐植は45~53%がススキMiscanthus sinensisなどのC4植物の植物遺体から成り立っていると推定され,これらの植生が約4,000年にわたって連続的に土壌中に有機物を供給していたと考えられた.また,褐色森林土にはおもにC3植物の植物遺体が供給されたことが明らかになった.
  • 長岡 信治, 前田 泰秀, 奥野 充
    1999 年 38 巻 2 号 p. 93-107
    発行日: 1999/04/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    長崎湾および長崎低地の完新世の古地理および海面変化にっいて,空中写真判読,ボーリング資料,14C年代などから考察した.長崎湾および長崎低地の沖積層は,浦上川基底礫層Urg,出島粘土層Djc,松山砂礫層Mtg,人工改変堆積物Ardに区分される.Urgは,埋没谷形成時の河成堆積物で,最終氷期または完新世初期における少なくとも-30m以下の低海水準に対応したものである.Djcは,貝化石を含む粘土やシルトを主体とする内湾性堆積物で,その時代は縄文海進期から現在である.Mtgは,Djcと同時期の河成堆積物である.Ardは,現在の地表面をつくる堆積物で,1570年長崎開港以降の埋立物質や建築資材などからなる.Ardには,1945年の原爆堆積物Abdが含まれる.潮間帯の貝化石の14C年代から,海水準は約8,000yrsBPに-16m付近に,約4,000yrs BPに-0.4m付近に,約1,700~800yrs BPには現在と同じか,やや低い位置にあった.約4,000~400yrs BPまではあまり海岸線の変化はなかったが,1636年出島築造以降は,度重なる人為的埋立により海岸線は前進し,現在に至っている.
  • 杉山 真二
    1999 年 38 巻 2 号 p. 109-123
    発行日: 1999/04/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)などの広域テフラを時間の指標として,植物珪酸体分析の結果から九州南部における最終氷期以降の照葉樹林の発達史について検討を行った.その結果,種子島では約65,000年前以降の最終氷期に,シイ属Castanopsisなどの照葉樹林が継続して存在していたことが確かめられた.その後,約11,000年前には薩摩半島でクスノキ科Lauraceaeが拡大を開始し,約6,300年前までにはシイ属やクスノキ科を主体とした照葉樹林が南九州の沿岸部をはじめ九州の内陸部にまで拡大していたと推定される.ただし,黒ボク土が広く分布する南九州の内陸部などでは,ネザサ節やススキ属などのイネ科主体の草原植生が継続されており,九州南部全域に照葉樹林が拡大したのは約4,200年前以降と推定される.約6,300年前に鬼界カルデラから噴出した幸屋火砕流(K-Ky)が及んだ大隅半島南部や薩摩半島南部では,照葉樹林が絶えてススキ属Miscanthusなどが繁茂する草原植生に移行したことが確かめられた.これらの地域では,少なくとも600年間は照葉樹林が回復しなかったと推定されるが,幸屋火砕流が及ばなかった地域では照葉樹林が絶えるほどの影響を受けなかった可能性が考えられる.
  • 珪藻化石群集からのアプーチ
    嶋田 智恵子, 長谷川 四郎
    1999 年 38 巻 2 号 p. 125-144
    発行日: 1999/04/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    三陸沖より採取された堆積物コア中の珪藻化石群集の主成分分析にもとづき,三陸沖および北西太平洋縁辺域における第四紀後期の古環境変遷を検討した.
    酸素同位体比ステージ3では,珪藻殻数が増加するとともに海氷指標種が卓越する.これは,生産性の高い季節海氷の縁辺域が少なくとも三陸沖まで南進したことを示唆する.つまり親潮は,氷期に海氷のようなオホーツク起源の環境要素の供給を過剰にうけており,現在のような間氷期とは質的に著しく異なっていた可能性がある.
  • 木村 純一, 岡田 昭明, 中山 勝博, 梅田 浩司, 草野 高志, 麻原 慶憲, 館野 満美子, 檀原 徹
    1999 年 38 巻 2 号 p. 145-155
    発行日: 1999/04/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    大山火山起源の7層準の降下軽石堆積物と1層準のブロックアンドアッシュフロー堆積物,および三瓶火山起源の1層準の軽石流堆積物とその直上の降下軽石堆積物について,フィッショントラック年代測定を行った.得られた年代値は一部を除いて,テフラ層序,阿蘇4火山灰(Aso-4)や大山倉吉軽石(DKP)の報告されている年代,ローム堆積速度による編年,および報告された大山火山の溶岩のカリウム-アルゴン(K-Ar)年代や層序と整合的である.大山周辺のローム層は,最も古い330kaを示すcpmより下位のローム層から,姶良Tn火山灰(AT)の上位のローム層まで,およそ35万年間に堆積したことが明らかになった.三瓶火山起源の三瓶木次軽石(SK)噴火にともなう粕渕火砕流(K2)とSKに対比される木次降下軽石(K3)の年代はおよそ100kaであることが明らかになった.したがって,三瓶火山の活動期間はおよそ10万年間である.この編年に基づくと,大山火山はおよそ35~10万年間に少なくとも13回の,最近10万年間では少なくとも7回のプリニー式噴火を行っている.三瓶火山は10万年間に5回のプリニー式噴火を行っている.
  • 林 成多
    1999 年 38 巻 2 号 p. 157-162
    発行日: 1999/04/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    群馬県吾妻町境野の中部更新統から,ネクイハムシなどの昆虫化石が産出した.得られたPlateumaris属の1種について,雄交尾器を含め詳しく検討した結果,キヌツヤミズクサハムシに同定された.本種の化石は,これまで日本各地から報告されているが,近縁種との区別が難しく,同定結果に疑問の残るものが多い.本論文では,得られたキヌツヤミズクサハムシの化石について記載し,本種の化石の同定に関する問題点について議論した.
  • 永迫 俊郎, 奥野 充, 森脇 広, 新井 房夫, 中村 俊夫
    1999 年 38 巻 2 号 p. 163-173
    発行日: 1999/04/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    南九州大隅半島に位置する肝属平野において,砂州堆積物および泥炭層中に挾在するテフラと泥炭層基底のAMS14C年代にもとづき,完新世中期以降の低地の形成史を明らかにした.
    低地表層に1m未満から5m弱の層厚で堆積する泥炭層中には,5枚のテフラ層が認定される.このうち4枚は層位・層相や岩石記載的特徴から,桜島高峠2(Sz-Tk2:4.5ka),霧島御池(Kr-M:4.2ka),開聞岳9c(Km9c:2ka),開聞岳12a(Km12a:A.D.874)に対比される.
    最も内陸側の砂州(大塚砂州)は,砂州堆積物上限に堆積する池田降下軽石(Ik-P)の噴出年代から5.5~5.7kaに離水した.これに伴い潟湖の閉塞が完了し,潟湖は南端の潮流口によってのみ外海とっながっていた.その当時の相対的海面高度は+3~+5mである.それに引き続き,大塚砂州背後の潟湖は,泥炭層が堆積するような湿地環境に変化した.泥炭層基底の14C年代値によると,湿地環境への変化は池田降下軽石堆積直後の5.6kaから5kaにかけて生じた.その後は,泥炭層中のテフラの年代からみて,少なくとも約4,000年間にわたって泥炭の生成が継続した.
  • 1999 年 38 巻 2 号 p. 176a
    発行日: 1999年
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
  • 1999 年 38 巻 2 号 p. 176b
    発行日: 1999年
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
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