第四紀研究
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35 巻, 3 号
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  • 大木 靖衛, 徐 輝竜, 渡部 直喜, 鈴木 幸治, 佐藤 修, 河内 一男
    1996 年 35 巻 3 号 p. 153-163
    発行日: 1996/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    1995年4月1日,新潟市東方18km付近で新潟県北部の地震M6.0が発生し,全壊家屋55戸,被害総額93億円の被害が出たが,幸いにも死者はなかった.この地震は深さ10kmの浅い地震であったため,被害が大きくなった.90ヵ所の墓地の石塔転倒から水平最大加速度を求め,震度分布図を描いた.震央地区に北北東-南南西方向を長軸とする5.2×1kmの地域が震度6域となり,この地震を発生させた平野深部にある伏在活断層を示唆していた.震央地区では,地球重力加速度以上の上下動があったことを示唆する建物の急激な移動があった.本地震前後に地下水・温泉の異常が観察された.新潟市付近の新潟平野は地震の空白域として指摘されていたところである.本地震は指摘されている空白域の東縁部で発生した地震であり,新潟平野の大地震に対する対策が重要になっていることを示唆している.
  • 遠藤 秀典, 渡辺 史郎, 牧野 雅彦, 村田 泰章, 渡辺 和明, 卜部 厚志
    1996 年 35 巻 3 号 p. 165-178
    発行日: 1996/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    1995年兵庫県南部地震による被害は,六甲山地と大阪湾に挾まれた平地の中の帯状の地帯で,特に著しい.この被害集中地帯は,低層建物の被害率が急に大きくなる境界に挾まれている.また,この境界が直線的に分布するなどの特徴がある.このような被害分布に関する地下地質構造について,反射法弾性波探査および重力探査を実施し検討した.反射法弾性波探査の結果から,平地に断層が伏在することが明らかになった.また重力探査の結果から,基盤の大きな落差が平地に分布し,その一部が伏在断層となっていると推定できる.この平地の中の基盤の大きな落差の位置は,被害集中地帯の北側の境界と一致する.そして,その一部は,菊池(1995b)による震源域の推定位置とほぼ一致する.被害分布には,地層の不連続面である断層破砕帯などが震動の伝播に大きく影響した可能性がある.一方,伏在断層によって,地質構造が平坦でなく不整形をなし,震動が集中した可能性がある.さらに,海側に厚い堆積層の分布をもたらし,震動が増幅するなど,震動の分布に密接に関係したことが考えられる.これらのことから,基盤の大きな落差を伴う伏在断層の存在が,今回の被害に密接に関係していると推定できる.
  • 三田村 宗樹, 中川 康一, 升本 眞二, 塩野 清治, 吉川 周作, 古山 勝彦, 佐野 正人, 橋本 定樹, 領木 邦浩, 北田 奈緒子 ...
    1996 年 35 巻 3 号 p. 179-188
    発行日: 1996/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    1995年兵庫県南部地震は,阪神地域に甚大な被害を生じさせた.阪神地域は都市化の進んだ場所で,人工的な地形改変が多くの場所で行われている.しかし,現在の地形図上では,その箇所が不明確であるため,過去の地形図との比較から人工改変地形の抽出を行ったうえで被害分布との関連を西宮・大阪地域について検討した.大阪地域では,基盤断層の落下側に被害が集中する傾向があり,基盤構造との関連性が存在することを指摘した.これについては,既存地下地質資料をもとにした地震波線トレースのシミュレーションの結果から,地震波のフォーカシング現象がかかわっているとみている.結論として,日本の大都市の立地する地盤環境は類似し,地震災害に関して堆積盆地内の厚い第四紀層での地震動増幅,伏在断層付近でのフォーカシング,盆地内の表面波の重複反射よる長時間震動継続,表層の人工地盤や緩い未固結層の液状化など共通した特性を有していることを指摘した.
  • 越後平野を例にして
    柴崎 達雄, 小林 巌雄, 小野 昭, 立石 雅昭
    1996 年 35 巻 3 号 p. 189-190
    発行日: 1996/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
  • 小林 巌雄
    1996 年 35 巻 3 号 p. 191-205
    発行日: 1996/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    越後平野の地下に分布する第四系は,他の平野に比べて非常に厚く,その最大層厚は新潟周辺で3,500m以上に達する.これは,越後平野が沈降性堆積盆地という特異な地域的特性にかかわっていることによる.この堆積物は第四紀における日本海側の歴史の一端をきわめて良好に記録しているとみなされる.
    越後平野の堆積盆は南北に長く,その堆積物は大規模な向斜構造を形成し,大きな断層帯あるいは急傾斜帯が平野の両側に沿って存在する.第四系は下位から西山層,灰爪層,未呼称中部更新統,蒲原層群,埋没段丘堆積物,西蒲原層,白根層,黒鳥層に区分される.西山層の上半部は下部更新統であり,Globorotalia inflataの層を伴う漸深海性の泥岩・砂岩からなる.灰爪層も同時代であり,Globorotalia inflataの層を伴う漸深海性の泥岩からなる.未呼称中部更新統はおもに漸深海から浅海相であり,蒲原層群は浅海性種の化石を伴うシルトと砂質礫の交互層からなる浅海ないしデルタ相である.埋没段丘堆積物は更新世後期および完新世の堆積物であり,西蒲原層は河川の礫からなる更新世最末期の堆積物である.白根層は最上部更新統~完新統であり,泥炭層を伴うシルトと砂の互層,海成シルト層などからなる.黒鳥層は完新統で,泥炭層を伴う泥・砂からなる.
    ここでは,越後平野の地下の第四系の層序,古環境などについて記述する.
  • 田中 久夫, 長谷川 正, 木村 澄枝, 岡本 郁栄, 坂井 陽一
    1996 年 35 巻 3 号 p. 207-218
    発行日: 1996/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    新潟砂丘は10列の砂丘列からなり,その形成年代を遺跡をもとに,新砂丘I・新砂丘II・新砂丘IIIに区分できることを新潟古砂丘グループ(1974)は報告した.その後,砂丘地域の開発にともなって,多くの遺跡発掘調査が行われ,それに関連した調査・分析も行われてきた.また,砂丘およびその周辺で発見された遺物・遺跡については,新たな遺跡が発見されるごとに作成される新潟県教育委員会の市町村別遺跡カードおよび遺跡分布図をもとに,遺跡分布図を作成した.それらの結果,大略次の点を明らかにできた.
    1.新砂丘I-1より縄文時代前期初頭の遺物が,新砂丘IIより縄文時代後期の遺物が出土した.その結果,これらの砂丘形成は,新潟古砂丘グループ(1974)が述べたよりも古い時代であることが明らかになった.
    2.緒立,六地山の各遺跡の発掘で,沖積面下に埋没していた砂丘が確認された.それらの砂丘は,新砂丘IIに対比されるもので,これによって砂丘列のつながりが確かめられた.
    3.新砂丘I-4と新砂丘IIの砂丘砂には,自形をした角閃石,シソ輝石が多く含まれており,このことから砂丘砂の供給と沼沢火山の活動との関係が推定できた.
  • 小熊 博史
    1996 年 35 巻 3 号 p. 219-228
    発行日: 1996/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    越後平野周辺の旧石器時代および縄文時代の遺跡について,沖積低地の様相を中心に,当時の地形や環境を考慮しながら,立地とその変遷を検討した.越後平野周辺の丘陵を含む全域的な分布と,さらに海岸部を対象にした分布をまとめることによって,遺跡立地と変遷の状況を具体的に明らかにした.その結果,沖積低地への進出の画期は縄文時代前期に求められ,縄文時代後・晩期には分布域が沖積地側に移行する傾向をとらえることができた.また,沖積低地において,縄文時代前期以前の古い遺跡が空白に近い分布を示すことについて,それらの遺跡が越後平野に厚く堆積する沖積層中に埋没している可能性を指摘した.
  • 山本 肇
    1996 年 35 巻 3 号 p. 229-234
    発行日: 1996/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    越後平野における遺跡の分布から,人々は弥生時代以降,洪水を受けながらも低地に生活領域を拡大していったことがうかがえる.特に古代では,それより以前の古墳時代の拠点的な性格を有していた地域からの流れをくみながら,新しい制度に伴う官衙遺跡として八幡林遺跡,緒立C遺跡,的場遺跡,曽根遺跡などが建設され,各地域での中心的な役割を形成していた.これら官衙遺跡の周辺には鉄生産地や土器生産地などがみられ,周辺の開発にも重要な役割を果たしていたことが考えられる.
    また,越後平野にある中小の河川は舟を利用した内水面の重要な交通路として,河川に沿って延びる自然堤防は陸上の交通路として機能し,各集落をつないでいたものと考えられる.
    しかし,越後平野の中でも遺跡が少なく,空白地帯である白根市周辺では馬場屋敷遺跡のように,洪水などで厚い堆積層に覆われた遺跡が存在する.一方,新潟砂丘上の緒立C遺跡は,遺跡が存続していた後に,地盤沈下により埋没している.これらのことは,低地にも遺跡の存在を推測させるものである.今後,越後平野でも埋没した低位段丘や埋没砂丘の調査が具体化することにより,周辺の各時代の景観の復元も可能であり,より越後平野と人とのかかわりがわかることを期待したい.
  • 大熊 孝
    1996 年 35 巻 3 号 p. 235-246
    発行日: 1996/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    河川技術を思想的段階,普遍的段階,手段的段階の3段階に分類し,その観点から越後平野における治水史を松ヶ崎放水路と大河津分水を中心に概観し,それぞれの技術の発展段階に対応した開発の重要性について述べる.
  • 五十嵐 太郎
    1996 年 35 巻 3 号 p. 247-252
    発行日: 1996/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    亀田郷は越後平野のほぼ中央に位置し,かつては河川の氾濫による水害常習地帯であり,その大部分が湿地帯であったので,「葦沼」と称されていた.したがって,ここでの水田の開拓と稲作作業は,すべて過酷な水との闘いであった.しかし,大河津分水の開削(1927年),阿賀野川の河川改修工事(1933年)などの治水事業により洪水の被害からのがれ,さらに栗ノ木排水機の新設(1948年)と耕地整理の完了(1956年)により,統一的な地上水の排除が可能となり,ようやく近代農業の基礎が築かれた.
    ここでは,まず湿地帯すなわち「葦沼」での水田開発と「葦沼水田」の実態,ついで内外の治水対策,とくに内部治水対策,最後に耕地整理(全郷の統一的地上水排除)とこれに伴う稲作技術の対応について述べる.
  • 百武 松児
    1996 年 35 巻 3 号 p. 253-258
    発行日: 1996/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    1955(昭和30)年頃に始まる新潟地域の著しい地盤沈下は,新潟市の臨港地域を中心に,浸水などの被害をもたらした.この対策と原因究明のため,「新潟地区地盤沈下対策調査委員会」,「科学技術資源調査会の新潟地盤沈下特別委員会」が設置され,検討された.その結果,「地盤沈下の原因は種々考えられるが,天然ガス採取に伴う地下水の急激なる過大の汲み上げが主原因である」と結論され,その対策が講じられた.この間,多くの関係者から出された地盤沈下の原因にかかわる議論を紹介し,また天然ガス採取法の開発とその現状についてふれた.
  • 青木 滋
    1996 年 35 巻 3 号 p. 259-270
    発行日: 1996/07/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    越後平野は,大河川と低地の発達のため,水害と湿田になやまされた.現在は,先人の努力により,両者はほぼ解決され,広大な美田が広がっている.越後平野の地下地質の検討から,越後平野の地盤は二つのタイプに大別され,大地震時の防災を含めて,地盤環境の特性を考慮した土地利用や開発がのぞまれる.
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