瀬戸内海は本州・四国・九州に囲まれ,紀淡・鳴門・関門・豊予の4つの海峡を通して,外洋とつながっている.領海法では,さらに紀伊水道も含めて瀬戸内海と定義している.この地域は,豊かな海の幸と穏やかな気候に恵まれて,古くから人が居住し,文化的・経済的活動が活発に繰り広げられてきた.また,多島海・白砂青松で形容されるその美しい景観を構成する島嶼と海域およびその展望地は,国立公園法が施行された3年後の1934年に瀬戸内海国立公園として,雲仙国立公園(現 : 雲仙天草国立公園)・霧島国立公園(現 : 霧島屋久国立公園)とともにわが国最初の国立公園に指定された.しかし,一方で,高度経済成長期(1954~1974年)における活発な重化学工業生産活動の結果,水質の汚染,赤潮の大量発生,それによる漁業被害などが深刻化し,1973年に瀬戸内海環境保全特別措置法が制定された.この法律は,対象域を豊後水道にまで広げて,水質環境のみならず,海浜など自然景観の保全をも目的としている.このように瀬戸内海は,2つの法律で自然環境の保全が求められている.では,第四紀学は瀬戸内海の自然環境の保全に対してどのような貢献ができるのか.そのような問いかけに対する答えとして,「第四紀学の視点で瀬戸内海の自然と環境,およびそれらと人類とのかかわりの変遷を解明し,この地域の学術的価値も高める」ということを提案したい.このことは,将来の自然環境の活用や環境保全のあり方を考える上で必ず役立つであろう.
このような趣旨に基づき,2007年9月2日に神戸大学においてシンポジウム「瀬戸内海の変遷—自然,環境,人」が開催された.地質学,地理学,地球物理学,古生物学,植物学,考古学,海洋環境行政と広範な視点から,瀬戸内海域における自然の変遷,環境,人間活動を概観して現状の理解を深め,この地域の今後の研究の方向性を探求した.内容はおもに(1)瀬戸内海の形成史・テクトニクス,(2)古環境変遷・海面変化と先史遺跡群の動向,(3)人為起源の環境問題,からなる.全部で11の講演があり,以下に各講演の概略を紹介する.本特集号では,そのうち6講演を論文として掲載した.
松原(2007)は,1980年代末以降の年代測定や微化石の研究に基づく再検討により,中新世とされていた第一瀬戸内累層群(笠間・藤田,1957)の年代が始新世~漸新世に修正されたことを紹介した.同累層群を構成する神戸層群の火山灰からは,約31~37 MaのF-T年代と36~37 MaのK-Ar年代が報告され,哺乳類化石と渦鞭毛藻化石も始新世を示している.岡山県牛窓地域の前島層や,児島湾や倉敷市内の地下の海成層でも,始新世~漸進世の年代が報告されている.さらに貝類化石群集は内海ではなく外洋の影響を受ける海であったことを示していることから,松原(2007)は「第一瀬戸内海」という用語そのものの廃棄を主張した.第一瀬戸内累層群の年代と堆積環境の修正は,準平原問題など中国山地~瀬戸内海域の地形発達史研究に対する重要な問題提起となる.
地震学の分野から,瀬戸内海域の東端に位置する近畿三角帯のネオテクトニクスに関する新しいモデルが提唱された.近年,西南日本下に沈み込んだフィリピン海プレート(フィリピン海スラブ)の形状が震源分布や,地震波トモグラフィーなどから明らかにされてきた.三好・石橋論文は,伊勢湾から琵琶湖にかけてゆるやかに沈み込む尾根状の高まりをもった地震性スラブ(伊勢湾—湖北スラブ)の存在に注目し,このスラブが,沈み込むにつれて沈降域を内陸側に移動させ,その結果として古琵琶湖層群の堆積場を北方へ移動させたと考えた.一方,東進する西南日本リソスフェアが伊勢湾から琵琶湖にかけた地域で伊勢湾—湖北スラブでせき止められ,この付近が一種の衝突帯になったため,近畿三角帯で顕著な東西圧縮場が生じたと考えた.これらのネオテクトニクスに関する解釈は,西南日本における堆積盆の古環境解析にも新たな問題提起をするものである.
(View PDF for the rest of the abstract.)
抄録全体を表示