七島マリアナ弧の成立の學読は多くない。筆者は太卒洋底に露出する珪苦鵜1に循環流ありと考へ,これにより読明を試みた。循環系統は圭として輪廓に支配される。千島から東北日本に滑つて時針と逆の方向の北太季洋珪苦幣流があり,關東附近から洋心に向ひ南に伸びる。比律賓海珪苦帶流は比律賓から嘉鰹琉球に滑ひ時針の方向に流れる。爾流が接近して遠く南へ伸びるところに七島マリアナ弧を生じた。この部の収斂性が洋底に殘された珪礬帶片を集めて,これまで甚だ奇異とされた花崗岩,結晶片岩等の陸島を生ぜしめた。
兩珪苦帶流は南に於て再び分離する。これとNew Guinea方面の大陸環との間にカロリン海中立部を作る.この中立部と比律賓海珪苦帶流との境界の不連讀線に西カロリン諸島の雁行構造を生じた。中立部の東方は北太平洋珪苦帶流のため例へばマーシャル諸島の如く次第に島列の規則性が明かとなる,この流は南牟球に入り南太至洋珪苦帶流との間に多くの西北西-東南東に走る小島嶼群を作る。こゝに見られる島列の並行は小笠原諸島と硫黄諸島との並行關係と成因的には同じと考へられるが,布哇ミッドウェー島列などをも考へれば或は更に全地球的な歪を示すものかも知れない。ヒマラヤ地中海造山帶の延長部にも相當する。
西南日本の面する太平洋底は力ロリン海中立部と等しく北太平洋,比律賓海兩珪苦流に挾れた中立部である.カロリン海南縁に海溝なきことゝ同様な理由で,西南日本は地殼運動の發現状態に於て東北日本と大差を示す。〓ち七島マリアナ弧の成立のため蔭の性質を帶びるに至り,地殼不蓮讀面の渦動.が弱くなつてゐる。地史的に見ると七島マリアナ弧は第三紀中葉から成長し始めた。この時期はヒマラヤ,アルプスの造山期に大體相當し,この大地殼變動が太平洋にも影響を及ぼして,それまで單純なりし北太干洋周縁の不連讀線に別循環系である比律賓海珪苦帶流を生ぜしめたのであると結論される。
抄録全体を表示