地理学評論
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37 巻, 10 号
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  • 福井 英一郎
    1964 年 37 巻 10 号 p. 531-547
    発行日: 1964/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    東アジアー帯に発達する夏の雨季は従来,太平洋からの南東季節風によって説明されて来た.しかし北海道を除いた日本のほとんど全部の地方では盛夏を中心としてかえって雨量は減少し,梅雨季と台風季に挾まれた軽徴な乾燥季が形成され,決してこの問題が単純でないことを示している. Flohn1)はこのことに関連して“月別の平均降水量や頻度によって見ると,日本では夏の初めと終りに雨季が現われ,途中7月中旬ごろから始まる乾燥季によってこの雨季は前後に2分されることが知られる.既にJ. J. Reinは1876年にこの日本の夏の天候の三重構造について記述しているにもかかわらず,夏の全期間を通じた雨季というような小説的表現が広く認容され,これを南東季節風と結びつけて,夏季の凡ての現象が太平洋からの湿潤気団の侵入によって支配されると考えられて来た.”と述べている.このように8月を中心とする日本の小乾燥季は気候学上からも非常に重要な問題であるが,この時季があたかも1年中での最も高温な時季とも一致するために,水利用の問題とも関連して地理的にも産業経済の諸方面からも重要且つ興味ある事実を提供している.本論においては最初にまずその現象自体を明らかにした上で原因および影響などに論及したい.
  • 松本 繁樹
    1964 年 37 巻 10 号 p. 548-559
    発行日: 1964/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    筆者は安倍川下流部 (0~17km) の最近の河床変動について,まず河床低下の実態を, (a) 平均河床高変動量と (b) 土砂変動量からとらえ,ついでその原因を, (a) 貯砂ダム建設の影響と (b) 砂利採取との関係の両面から考察したが,それらを要約すると次のようになる。
    1) 安倍川下流部の1929~1964年3月間の平均河床高変動をみると, 14km地点を除けば全ての地点で河床低下が認められ,その低下量は安西区 (5~11km), 河口区 (0~4km) に著しいのに対して,牛妻区 (12~17km) では未だ微小である.河床低下の現われ始める時期は,河口に近い程早いが,一般には1954年頃からであり,本格化するのは1957~58年頃である.そこで1954年以前の河床変動と以後のそれとを比較してみると,前者では河口区を除き全体的にわずかな上昇を示していたのに対し,後者では全ての地点での低下が認められ,その低下量は最大2m近くに達している.後者を年間当りの低下量に直すと,最大20cm (6km地点),最小0.5cm (17km), 0~17km問平均は9cmとなる.
    2) 次に土砂変動量から河床変動をみると, 1939~1952年間は,前回の測量時に比べていずれも総土砂変動量が (+) (堆積)となっていたが, 1954年以降は1957年を除きいずれも著しい洗掘となっている. 1954年以降について方更にこれを詳しくみると,洗掘の卓越区間が時と共に上流に移動して行く傾向を認めうるが,これは砂利採取地の上流への移行を鋭敏に反映したものと考えられる.
    3) 安倍川上流部に建設された建設省関係の4つの貯砂ダムの埋砂量についての資料から, 34km地点(大河内ダム)における1951年3月~1959年8月間の年平均貯砂量を計算すると,約25万m3となる.この値はこの地点での安倍川の年平均流送土砂量の20%強に相当するものである.しかし,下流部の河床低下に対するこれら貯砂ダムの影響は,少くとも,砂利採取によるそれよりも間接的・二義的であると考えられる.
    4) これに対して,砂利採取の河床低下に対する影響は,その同位置性および採取量が先の貯砂ダムにおける年平均貯砂量の数倍に匹敵するので,はるかに直接的・決定的である. 1952~1959年の資料に若干の考察を加えてみると,砂利採取量と土砂変動量(洗掘量)との間に非常に高い相関関係があり(特に1~6km間),また砂利採取量のみから算定される河床低下量と実測による低下量との間にも,高い相関(特に2~6km間)のあることが判った.
    実際この期間のうち,砂利の採取量が川自身による堆積量の枠内におさまったのは(ただし10kmより下流において), 8~10km区間にすぎず,他の堆積区間では,その堆積量の1.3~10.9倍の砂利採取が行なわれ,さらに川自身がすでに洗掘傾向を有している区間では,洗掘に一層の拍車をかけ,その洗掘量の70%以上が砂利採取によるものである.
    以上のように,この期間においてすら砂利の過掘は明らかであるが,さらに最近の2~3年はこの傾向が一層強まっている.すなわち1963年では,砂利採取許可量が100万m3, 堆定採取量では200万m3を越えたが,こういった乱掘が今後も続けば,河床低下の影響は各方面に波及し,深刻な社会問題を招くことになろう.
  • 河村 武
    1964 年 37 巻 10 号 p. 560-565
    発行日: 1964/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    熊谷市の気温分布の解析を行なった前報1)では夜間の都市内外の気温差に及ぼす気象的要因の影響から,都市温度生成の要因として地上構成物質の熱的性質の重要性が予測された.本報はその続報として,無風時の熊谷市の気温分布2)について, Bruntの地表面温度の夜間冷却の式の係数の分布と比較するなどの方法によって,都市温度の成因の考察を行なつた.その結果,たしかに都市の地上構成物質の熱的性質の差は都市の気温分布と関係が深いが,それ以外に地上形態(地上の凹凸)の差異が影響していることが明らかとなった.
  • 1964 年 37 巻 10 号 p. 566-573_2
    発行日: 1964/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
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