地理学評論
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30 巻, 5 号
選択された号の論文の6件中1~6を表示しています
  • 藪内 芳彦
    1957 年 30 巻 5 号 p. 349-368
    発行日: 1957/05/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • 大矢 雅彦
    1957 年 30 巻 5 号 p. 369-382
    発行日: 1957/05/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    従来の見解によれば,河川の平均流速は勾配の急なほど,また同一勾配ならば水深の深いほど,流速は速いとされて来た.したがつて勾配が急で水深の深い山地・峡谷では,勾配が緩かで水深の浅い盆地より流速は速いと考えられて来た.しかるに筆者が筑後川の上流山地・盆地・峡谷で流速を測定したところ,平常時も洪水時も,山地・峡谷における流速の方が,盆地における流速より遅かつた.この現象は筑後川のみでなく,さきに調査した猿ケ石川についてもいえることである.この原因を筆者は,平常時は山地・峡谷における河床の抵抗の増大,小洪水時は河床の抵抗の増大,ならびに水中に含まれる砂礫の量の増大,大洪水時は水中に含まれる砂礫の量の増大によるものと考える.
  • 松村 安一
    1957 年 30 巻 5 号 p. 382-396
    発行日: 1957/05/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    (1) 近世における林業地域を把握する手段として,筏師密集地域を中心地域とし,これに近い竜寿寺村の発達過程を検討した.すなわち近世初期に成立した「徳川期村共同体」に共同体規制が働き,百姓株が固定し戸数が制限された.近世後期の人口は,一時減少しても増加の傾向にあり,他方,農業生産手段としての土地も,他村地主が27%近くを占めたことがあつたが, 14%に減りその大部分は切畑であつた.それにしても, 1戸当り熟畑は平均16畝余である上に,粗放的な主穀生産では,自給さへも出来ない状態であつた.そこに兼業への依存—果樹栽培・男子の林業賃労働・女子の養蚕・織物—が不可欠になる理由がある.これを基として階層分化をみると,時に変化はあるにしても, IV・V階層の分解によつて,一方はVIII・IX階層へと上昇するのに対し,他方II・III階層へ転落するものが数を増すが,水呑にまではならない.この不徹底さは,むしろ「村共同体」規制によるものと思われる.
    (2)初め採取林業から出発したのが,寛文当時近村に育成林業の萠芽が見られ,上層部の切畑集中には,このような山林集中の動きが汲みとられる.本村での筏師の成立はおくれるが,それは山林・林野地主から転化したものが大きい上に,永続的であり,II・III階層のものは1代限りが多かつた.しかしいずれも,江戸の木材商業資本に連らなる在郷商人である.林業経営に伴う労働は,下層階層から析出されるが,これらは賃労働化の傾向にありながら,人口は増加の傾きにあつた.
    (3)木材が商品化するに従つて,採取林業から育成林業への発達に対応して,山林の利用形態に変化を生じた.高請地と「居山」は私有林に,共有地の中で分収林設定地・薪炭林・留山は記名共有林に,採草地は記名共有林から一部村有林に移つた.分収林は公私有林野に設定せられ,分収率も5対5が多かつた.これらが明治に入ると,私有林は土地集中も容易になり,惣有地にも私有的性格を打出し,記名共有林に持分権を承認したが,その1部は村有地に編入された.今日の所有・利用に差の出たのは,近世以来発達してきた村の生産的社会的構造を基に発達してきたもので,近代的様相を制約するものである.
  • 稲見 悦治
    1957 年 30 巻 5 号 p. 396-412
    発行日: 1957/05/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    今次大戦中におけるわが国の住宅の被害は,一応発表された資料から見ても,関東大地震による被害の数倍にも及んだし,その結果,全体の20%余の住宅が失われた.戦争による戦災都市の住宅の被害を都市別に見ると,強制疎開の場合も,戦災の場合も,量的には大都市の被害が顕著で,被害率ではむしろ地方都市の方が目立つた.戦災都市の終戦当時の住宅事情について見ると,大戦末期に大量の疎開者を迎えた直後に罹災した地方混成都市は,特に住宅事情が悪化.し,敗戦で人々の離散が目立つた鉱工業,港湾,旧軍港都市の住宅事情は,それほど悪化しなかつた.戦災都市の戦後の住宅の復興は,敗戦の影響が少なく,土着人が多かつた上,建築資材,食糧に恵まれた地方混成都市や商業都市から始まり,戦後のインフレ景気につずく朝鮮事変勃発による特殊景気が到来すると,大都市の住宅復興も軌道に乗り始めた.しかし長期間に亘る占領政策の悪影響が深刻であつた地方重工業都市,港湾,旧軍港都市の住宅復興は容易でなかつた.戦後5ケ年間に竢工した住宅数は,罹災住宅数の35~36%であり,未届住宅を加算しても,罹災住宅数の半ばにも達しなかつた.また戦前住宅に対して,60%ほどの住宅が復元したのに過ぎなかつた.しかも戦後住宅の規模は,罹災住宅に比較にならぬほど小規模のものであつたし,人々は終戦後5年目に戦災前人口の90%まで復元してしまつた.したがつて戦災都市の居住人員1人当りの畳数は,戦後8ケ年後になつても3.24畳という狭少さで,戦前の3.7畳あるいは非戦災都市の3.69畳とは比較にならず,戦前なみの住宅事情への復元も前途多難であることを物語つている.
  • 村上 一幸
    1957 年 30 巻 5 号 p. 412-417
    発行日: 1957/05/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    The rice-field area in the western section of the city of Kumamoto, was buried under a layer. of mud 30 cm thick on the average, by the overflow of the River Shirakawa in the afternoon of June, 26, 1953.
    Owing to ill drainage, this area had been under water for one week or more, maximum depth being calculated to 300cm. The author investigated the cracks in those sheets of mud.
    The terrain of the area had been as i t was when wheat, the alternate crop of rice, was harvested, with 80cm intervals between 40 to 42cm furrow (Fig. 2). The inclinations found on the surface of the mud were, from over furrow to the groove, 2 to 10 degrees.
    The cracks were various in form. They could be assorted into five patterns (Fig. 3). Pattern E was seen where rice had been planted and harvested. The widths of cracks are here put into four grades (Figs. 4 and 5) in each pattern. Cracks of the four of patterns (A-D) were to be found around each of numerous centers.
    In perpendicular sections, clayey ingredients are plenty at the top. Drying being quicker atop, cracks are found to have started at the surface as the mud began to contract and cohere; the gaps are widest at the top.
    The greater part of the mud over the area is judged to have settled in the first several hours of the inundation, the rest being added in the following week when the area was under water. It was observed that cracks of the first and second grades of width had first took place, while the mud was considerably wet, starting at the top, grades 3rd and 4th following them as drying went on.
  • 1957 年 30 巻 5 号 p. 418-446_2
    発行日: 1957/05/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
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