マレー半島の突端に位置するSingapore島は, 1965年8月, Malaysiaから分離,独立した東南アジアで最小の,しかも最も新しい国である.
このSingaporeの地理的位置は,長いイギリスの東洋支配を通じて,その最も重要な拠点として機能し続けたし,今日でも,この国のはたすアジア-ヨーロッパの結節点としての意義は,決しておとろえていない.
18世紀以来,東南アジア植民地においては,植民者と原住民との幾多のギヤップをうめるために,従来の移住者に加えて,多くの華僑,印僑が導入されたが,この新しい植民者達は,第二次大戦後,民族主義の著しい台頭の中で,ヨーロッパ人の去った後を受け継いで,政治的舞台に出ることはまれであったが,経済的支配者として,君臨して来た.そして今,新たな民族主義の波をかぶりつつある.しかし,そうした中で,彼等は, Singaporeの地に,彼等自身の国を出現させた.
面積580km
2, 人口187万人(1965年)は,淡路島と同じ面積というより,面積・人口ともに,大阪府の1/3弱と言う方が,解りよいかも知れない.
全島に,程度の差こそあれ都市化がゆきわたり,高い生活水準を誇るこの島は,他の東南アジア諸国におけるが如き,低次産業の停滞性をどううち破るかという問題ではなく,高い従来の繁栄を如何に維持してゆくかというのが,今日の最も重要な問題である.
従来,この島国,いや都市の繁栄を支えて来たのは,一に中継貿易であるが,東南アジアの経済的民族主義の高揚とPlantation産物の価格の低迷が,港町Singaporeの地位を著しく不安定なものにして来た.そして,今又,この国の経済に重大な影響力をもつイギリス駐留軍の全面引きあげが伝えられている.かように,外的条件の変化に加えて,内における急激な人口の増加,住宅,道路など都市問題の深刻化が, Singaporeをして,工業化へ意欲的にとり組ませることになったと考える.
工業化は,東南アジア諸国を通じて,どこまでも聞える共通のスローガンである.しかし,それによって立つ基盤は,国によって異なるし,その方法や過程も異なる.以下に, Singaporeの工業化の特質を地理学の立場から検討する.
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