地理学評論
Online ISSN : 2185-1719
Print ISSN : 0016-7444
ISSN-L : 0016-7444
41 巻, 8 号
選択された号の論文の5件中1~5を表示しています
  • 福井 英一郎
    1968 年41 巻8 号 p. 477-490
    発行日: 1968/08/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    20世紀の前半,とくに1920年から1940年ごろにかけて,北半球の各地で気温の上昇が認められたがその後再び下降に転じていることが報ぜられている.日本では前に荒川秀俊によって温暖化の現象が確認されたが1935年までで終っているので,ここではその後の30年間を対象として調べた結果,前期をはるかに越える顕著な上昇が認められた以外に,地球上全般的に見られる最近の気温低下は日本ではずっとおくれて現われ,それも比較的少数の地点に限られ,その量も極めて微弱であることなどが明らかになった.また北半球の同緯度帯における変化との比較を行なったが,これらの気温上昇には都市の膨脹発展にともなう人為的の影響もかなり含まれているので,これについての考察を行ない,都市の規模と昇温率との関係,人口増加と昇温量との関係や都市温度に対する烟塵説についての検討などを行なった.
  • 松原 義継
    1968 年41 巻8 号 p. 491-504
    発行日: 1968/08/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    (1) 株井戸とは,輪中内部の地形的相違にもとつく用水の取得と利用,排水をめぐる上下郷の利害の対立,その矛盾の上につくりだされた掘抜井戸の制度である. (2) 紛争の舞台となった大江排水区は,高地域と低湿地域に2分され,面積もほぼ等しく,対立を助長する諸条件を具えていた. (3) 掘抜井戸に対し,上郷は既得権を主張し,下郷は「人作の水は一滴も引請不〓申様仕度候」の如く根本的に相違していた. (4) 1854みためし年に484本の井戸があったが,6ヵ年の「害益見様の期間」を経た後,双方の示談により1860年に井戸をもった村々が出金し,弐間の樋門を新設することで妥協が成立した.井戸の数は1862年-386本, 1875年-806本,1883年-1,421本に増加した. (5) 株井戸の取締りは幕府も県も示談を基軸としたが,明治に入ってからは「条令」に発展した. (6) 輪中の近代化は外水対策-内水処理-内面干拓-土地改良の4段階を経て進められたが,株井戸閤題を内水問題の範疇として考察するとき,その意義が大きい.
  • 日下 雅義
    1968 年41 巻8 号 p. 505-519
    発行日: 1968/08/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    山城盆地南部では,従来から内水災害が頻発していたが,最近における都市化の進展にともなって,被害の傾向に著しい変化が生じている.
    すなわち,〓内水災害の常習地に大規模な埋立が行なわれた結果,内水災害地区に質的変化がおこった.〓埋立によって排水条件が悪化したため,耕地が沼沢地に転じている.〓上流域の荒廃・改変によって,予期せぬ地区に内水災害が発生するようになった.
    内水災害は氾らん原,後背湿地および旧河道において発生しているが,さらにミクロに分析した結果,それは地形と必ずしも一致せず,むしろ人間による構築物の整備状況如何が,いっそう重要であることがわかった.したがって,内水災害の研究を行なう際には,微地形との関係の分析のみにとどまらず,都市的土地利用の進展状況およびそれに対する国や地方行政機関の施策なども,十分検討しなけれぽならないものと考える.
  • 稲永 幸男
    1968 年41 巻8 号 p. 520-526
    発行日: 1968/08/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • 1968 年41 巻8 号 p. 527-539_2
    発行日: 1968/08/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
feedback
Top