地理学評論
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38 巻, 4 号
選択された号の論文の5件中1~5を表示しています
  • 服部 信彦
    1965 年38 巻4 号 p. 223-240
    発行日: 1965/04/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    南九州すなわち鹿児島県の大部分と宮崎県の南部にかけて,その上部層の名によって「シラス」台地とよばれる広い台地がある.この台地においては住民は水の不足によって悩まされて来た。それは多分「白砂」を意味し,火山灰砂層である「シラス」は非常に透水性が大きく,その表面に降った雨はたちまち台地の下層に滲透するからである.このため住民は水を得るのに深い井戸から水を汲むか,または谷壁の湧水を用いるほかはない.水を得ることは住民にとって非常な労苦であった.
    しかし最近において革命ともいえる変化が生じた。それは水道が台地一帯につくられるようになったからである.このため住民は以前には想像できない程容易に水を得ることができるようになった.そのような短期間に水道ができた理由は第一にそれらが甚だ安くつくられるようになったからである.水道建設技術が急速に進歩したのである.第二は政府が財政支出によって経費の補助をしたからである.最後に市町村の尽力が大きい。
    「シラス」台地は南九州の重要な特色をなす。従ってそれと住民との関係は地理学の興味ある対象である.しかしわれわれが忘れてならないのは自然は決定的要因ではなく,ただ一つの要因たるにすぎぬということである.即ち技術的,経済的,政治的要因も重要である.筆者はこの事実,ひいては南九州の特色を研究した.
  • 小川 賢之輔
    1965 年38 巻4 号 p. 241-259
    発行日: 1965/04/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    本論文は,駿河湾北部に存在する,田子の浦砂丘を研究することにより,該砂丘類似の地形2)の成因・形成過程及び形成の時期等を解明しようとするものである.筆者は,該研究を進めるにあたり,地形学的方法・地質学的方法及び,考古学的方法等を採用して,下記考察を試みた.
    1)海岸に発達する,砂丘地形の観察・地質構造の解明及び,堆積物の岩質等により,物質の供給源と運搬営力とを考察した. 2) 該砂丘類似の地形形成過程に関しては,主として,砂丘の一般地形・地質構造・構成する地層の層相及び,物質の粒度・運搬営力・氷河期及び,地殼変動に於ける海面の昇降・風波の営力等の関連に於て,堆積機構・形成過程等を考察した. 3) 該砂丘類似の地形形成の時期に関しては,洪積世以後の海面の昇降・生物化石・Key bedの追跡・砂丘に埋没している文化遺跡の調査・歴史上の事実等により,砂丘形成時期の考察を試みた.
    以上の考察により,一応下記の通り堆論した.即ち, 1) 海岸に発達する,砂丘類似の地形のあるものの成因は,まず,主として,付近河川によって,内陸より運搬された物質・海食により崩壊した物質等が,主として,沿岸流によって,浅海底に運搬され,狭長に堆積して,海面下に沿岸州を形成した. 2) 浅海底に形成された沿岸州は,やがて,海退に伴って海面上に姿を現わし,砂丘の基底をなす砂州を形成した. 3) 砂州が形成されるや,風波の営力による飛砂が堆積し,砂州を覆って,砂丘が発達した.従って,現在各地に存在する,該砂丘類似の地形のあるものは,既に,以上の形成過程に於て,今日観察される地形を決定される。4) 該砂丘類似の地形の,あるものの形成時期は, 2期に分けられる.即ち,前期は,海面下で,沿岸州の成長しつつある時期であり,後期は,海退に伴って,海面上で,砂丘の形成されつつある時期である.
  • 松沢 光雄
    1965 年38 巻4 号 p. 260-269
    発行日: 1965/04/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    新宿繁華街は,国電線路の東側に発達している.西側にも,線路添の道路と線略の間に飲食店街1)があるが,本研究では,線路の東側だけを対象にした。新宿における線路の東側と西側との関係については,別な機会に論ずることにする.
    新宿繁華街に関係のある研究には,副都心研究会の研究,今朝洞重美氏の研究2),杉村暢二氏の研究3),服部〓二郎氏の研究4)等がある.本研究は,これらの研究との重複を避け,実地調査の結果を整理し,それをもとに繁華街の構造を考察した.
    一っの繁華街を他の繁華街と比較検討したり,繁華街と他の地域の関係を観るのでなく,新宿繁華街の内部の状態を観察して,その実態を把握し,都市生活において,繁華街が,いかなる役割を果しているかを知る手がかりをつくろうとしたものである.
    本研究で新宿繁華街を選択した理由は,新宿繁華街では。北部に広い住宅地域をもっていて,繁華街浸蝕5)が極めてスムーズに進行し,繁華街としては,比較的自然な形をもっているものと思われるためである.
  • 田嶋 久
    1965 年38 巻4 号 p. 270-276
    発行日: 1965/04/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    ペルー漁業は第二次世界大戦時に欧米向罐詰用魚の漁獲によって発展の契機を見せ,飼料魚粉用アンチョべ一タの漁獲に転換することによって,漁獲量は急増した.アンチョベータ漁業の発達は,小規模の漁業経営体を多量に作りだし,漁業労働者層を形成した.魚粉加工工揚は,世界的にみて小規模であり,主としてペルー民族資本によると考えられるが,近年外国資本の進出も目立つ.魚粉は大部分が欧米諸国に輸出されるため,ペルーの輸出物の構成にも変化が起っているが,依然として原料輸出的性格は変らない.
  • 1965 年38 巻4 号 p. 277-283_1
    発行日: 1965/04/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
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