1) 尾西機業地域は3度の産業革命を経験して形成された.それは寛政から天保期,明治初年,明治末から大正初期で,本文は前2者を中心に取扱つた. 2) この産業革命によつて地布時代からの自給的農村手工業地域のなかに問屋制家内工業,マニュフアクチァー,近代工業が漸次成立していつた. 3) 出機制は織屋が農家を下におき,内機は雇傭者を使用し支配的地位に立ち資本と労働を分化させ,社会的分業のもとに地域を形成していつた. 4) 自機,出機,内機は混合形態をとりつつ地域の拡散と集積を行い,このまま第3の産業革命(明治末-大正初期)に入つた. 5) 綿布は不断着として実用的であるので,幕藩の政策と相まつて寛政以後は綿作地が拡がり,桑園が後退した.北限は宮田,東野,布沢,小牧を結ぶ線であり,南限は海部の米作地,西限は疏菜地に喰込んでいる. 6) 機業の発達に伴つて地域的分化が現れ岩倉を中心とする綿作地,起を中心とする機業地,一宮を中心とする綿作機業の混合地域が成立した.局地的経済流通は遠隔地経済流通と変化し,他藩商人と在郷商人との物資の交流が生じ,農民的経済流通機構が領主的経済機構と対立した. 7) 明治初期における外国からの綿糸,綿,染料の輸入は在来の産業構造を変質し,近代工業の基盤が徐々であるが築かれて来た. 8) 尾西機業地域の形成条件を考察した.
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