愛媛県西南部豊後水道沿岸の,リアス海岸に卓越する急斜面の階段畑地の成立条件を,大分県側のそれと対比しながら,論理的方法を用いて追求した.その成果は次のようである.
(1) 文書資料および論理的考察のいずれからみても,これまで一部に説かれてきた,宇和島伊達藩が分封にともなう石高の減少を,検地をきびしくして土地を割出すことにより,おぎなおうとした結果,斜面を開墾させて階段化をすすめたという説明は,信頼できない.
(2) この地域をふくめて,西南日本の山地では,耕地をあらす野生大形哺乳類,とくにイノシシが減少してから,はじめて林野の広い面積にわたる常畑化が可能となった.その時期は,近世末期である.
(3) 階段畑地の適作物は,この地域では甘藷にかぎられる.したがって階段畑地の増加は,甘藷の導入と安定作物化よりも後である.その時期は幕末である.
(4) 住民による広大な斜面山林の全面開墾の進行は,土地所有関係に規定される.そのような土地所有は主として幕末から明治前期にかけてあらわれた.その原因は,広大な山林を独占し,鰯大網の特権をもって住民を支配した網元・村役人階層の没落による.
(5) 網元階層の没落は,沿岸住民全般の繁栄と表裏している.それは一般住民にもできる小型刺網漁業の発展と,明治中期にはじまった養蚕の盛況にもとつく.漁民の主食確保と桑園化のために,階段畑地の拡張と石垣による土壌侵蝕防止が,重点的に沿岸地域におこなわれた.その時期は,明治中期から大正の初期を中心とする.
(6) 過度の耕地開発は,動物の生態的平衡を破壊した.
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