地理学評論
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37 巻, 8 号
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  • 板倉 勝高, 井出 策夫, 竹内 淳彦, 北村 嘉行
    1964 年 37 巻 8 号 p. 403-424
    発行日: 1964/08/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    本研究は日本の工業を地域的に把握するために,最大の集中地域である京浜工業地帯の地域構造を明らかにしようとしたものである.そのために,まず工業地帯の領域を合理的に設定したうえで, 30人以上全工場の業種別分布図を基礎にして地帯内の工場分布を分折するとともに,工場間の地域的結合関係,すなわち生産構造を明らかにした.
    京浜の工業において占める重化学工業の割合は厳密にみると極めて低く,工業地帯を特色づけるものではない.したがって,重化学を主体としている臨海地域のもつ意義は小さい.
    京浜の工業を特色づけるものは自動車,テレビ,カメラなど耐久消費財を中心とする組立工業と,日用消費財を中心とする雑貨工業とであって城南と城東とを核心とした生産組織をそれぞれ形造っている.核心地域における工場は両部門とも,技術的にも特殊化され,また,同一製品の生産量が少ない製品を小単位ずつ,多くの種類にわたって生産している,すなわち「多種,小単位,特殊」生産を特色としており,それらが相互に強い結合関係を有しながら集中しているものであり,これを中心的大都市工業の特質と考えることができる.工業地域の拡大も,核心地域内における生産関係の変化によるものであり,したがって,京浜工業地帯の地域構造も,この核心地域によって規定されている.
  • 白井 義彦
    1964 年 37 巻 8 号 p. 425-449
    発行日: 1964/08/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    早くからエクメーネ化した日本の農地は所有地の細分性と分散性が著しい.しかし,その改善策はようやく農地改革後に農地集団化事業として本格的に着手されるようになった.本論は日本の社会経済的機構の制約下に実施されている農地集団化が,その具体化する過程やそれが実現した効果なりが地域的多様性を表わしているので,日本における土地改良の研究を進めていく仕事のひとつとして,地理学的な関心の下にこの問題をとりあつかったものである.
    (1) まず農地の分散度合の地域的分布をみると,水田と集村が卓越し,一部にに藩政時代の割替制度がみられた北陸と東海地方において分散的であり,これより外周へむけて次第に集団化の傾向が認められる.それと逆相関に経営団地面積は,北海道において最大で,内地では東北地方が大きい.かかる農地の分散要因には,自然的農業経営的社会経済的な要因があげられる.
    (2) 農地分散の解決は,栽地整理法のみでは地主の差額地代の取得という意味で推進されたので不十分であった.農地改革を経て,土地改良法下に農業の機械化と経営の合理化にともない本格的に農地集団化が進められ, 1950~1960年に地区数, 9, 123ヶ所,実施完了面積1,686,551町,全耕地面積の31%に達した.これは西南目本の畑地・水田・果樹園と裏日本の水稲単作地帯に著しく,経営規模が大きく機械化のおくれた東北地方と都市化・工業化が著しい東海・近畿地方に進度がおくれるという,かなり事業発展の遅速がある.
    (3) 地域の環境条件との関連で,とくに問題となつた農地集団化のタイプは次の3つの場合である.括弧内は事例調査地である. (a) 土地利用の高度化のため作物地帯別の農地集団化を行なって土地利用が更新された場合(長野県飯田市川路地区), (b) 水利慣行を是正し,農地集団化を進めた結果,水稲労働生産量が節減された場合(香川県木田郡三木町丸岡地区), (c) 農地の集団化に伴って集落の二次的分散を行ない農業の機械化の普及と酪農の振興をみた場合(福島県安積郡三穂田地区)などのタイプがある.
    農地集団化は農地の開発をアルファとすればオメガにあたる。しかし一度集団化された農地も,時がたてば再編成を余儀なくされる.地域性を考慮した長期計画的な農地集団化が必要である.
  • 東部中国地方の場合
    富岡 儀八
    1964 年 37 巻 8 号 p. 450-468
    発行日: 1964/08/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    中国地方の内陸交通路は,古来広く利用されてきた.なかんずく,陰陽横断路は,両地域の地域差や近距離性から,その利用度はいっそう高かった.ところが鉄道交通時代を迎えて,その利用が一時減退したが,現代の中国地方開発の進捗に伴ない,地域開発の基幹ともなるべき横断路が再び時代の脚光を浴びてきた.この時代背景に横断路の歴吏地理的認識が,当然要望されることであろう.
    本稿は近世末に時点をおき,まず,参勤交代路,鉄・銅の上納道,および塩商路を主体とした一般経済道の両面から内陸交通路を復原した.さらに高瀬舟,牛・馬背などの交通手段別分布,および各々の地理的性格を考察した.ついで東部中国地方における内陸都市を,内陸地域の政治・経済的中核地であることを指標として選出した.その結果,生野・山崎・津山・勝山・新見・若桜の各城下町が得られた.そして各内陸都市を交通形態および陰陽横断路との相互関係において類型化した.かくしてえた主要陰陽横断路と内陸都市立地との関係を,都市の機能および構造においてその関連性を把握し,さらに内陸都市の地理的特殊性の摘出を試みた。
    研究結果を要約すると次のようになる。
    (1) 高瀬舟湖航限界線は100mの等高線にほぼ一致する.ただし旭川・高梁川・江川などの先行性河流は,その限界を遙かに越えている。傾斜度ではほぼ1/400勾配が限界である. (2) 溯航限界点と内陸都市経済中心地とが一致する. (3) 中国山地の地形に適合した馬背移送が,牛背移送に優先する. (4) 都市立地と内陸交通路との関連において,内陸都市を類型化すると次のようになる. (A) 陸路都市(生野・若桜)と (B) 水陸路結節都市(山崎・津山・勝山・新見)に分類される.さらに陰陽横断起点に当るものをOとすると, AO型は生野・若桜, BO 型は勝山, B型は山崎・津山・新見となる. (5) 陰陽横断路と内陸都市立地との関係を,都市機能および構造上から関連性を把握すると, (1) AO型の山陰都市生野は,幕府直轄領の銀山町という特殊性から,政策的に非交通都市化され,代行交通集落森垣村の発達を促した.森垣村は銀山町経済と山陽経済との結合地に経済中心地を形成した. (2) BO型の山陽都市勝山は,山陰からの横断終着点と山陽舟運の湖航限界点との結合地に経済中心地を形成し,対山陰交通が経済中心地形成の主体をなす. (3) B型の山陽都市新見は,横断終着点とは関係なく,都市経済と高梁川湖航限界点との結合地に経済中心地を形成し,単純内陸都市的性格を強く保持している。津山はさらにこの傾向が強い。 (6) 要するに,内陸都市の経済中心地は,山陰・陽の所属地域には関係なく,優勢経済圏に支配されて形成され,都市経済の指向性を表示している。 (7) 南北塩の経済圏問題は,東西瀬戸内塩のそれにおき換えられ,これは興味ある問題であるが,既報1)2)のためその論述はここでは省略する.
  • 1964 年 37 巻 8 号 p. 469-473_2
    発行日: 1964/08/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
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