本稿は,石川県を事例とし,大正・昭和戦前期の工芸振興に地方試験研究機関が果たした役割を考察したものである。農展・商工展に対し,石川県工業試験場,石川県立工業学校は,機関単独,機関共同に加え,地元工芸界に図案指導を行なうかたちで,多数の出品をなした。また,石川県商品陳列所は,講演・講習会の開催,内外の展覧会への出品の仲介などを通して,地元工芸界を中央の工芸界へと開く窓口的役割を担った。農展・商工展への地方試験研究機関の出品活動は,試験研究の成果に加え,地元工芸界に対する指導の成果を世に問うことでもあった。また,それは農展・商工展に集積した「デザインと技術」に関する先端的情報を収集し,試験研究に反映し,地元業者に還元する機縁をなした。政府にとっては,各地方の工芸振興の状況を把握する機会であった。同時に,農展・商工展の大規模化は,政府による工芸振興策の全国化にほかならず,地方試験研究機関は地方での受け皿としての役割をなした。その実態は,地方試験研究機関における商工技師の実践に象徴されている。
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