TP&Dフォーラムという研究集会があります。整理技術・情報管理の世界,より具体的には図書館分類法,Indexing論,情報検索,情報管理,目録法といった領域を対象とする研究集会です。情報科学技術協会(当協会)は長年この研究集会を後援してきました。さらに,2022年度より連携を強化し,ここで発表された内容や,そこで行われた議論についてまとめた記事を,当雑誌へ掲載しております。
本号では最初に佐藤久美子氏に2022年のフォーラム概要をまとめて頂きました。その後,具体的な発表内容の記事が続きます。
関根禎嘉氏には,テレビ番組メタデータモデルの構築について,発表内容及びフォーラム内で行われた議論を踏まえて,論文としてまとめて頂きました。コンテンツ,放送イベント,エージェントを大枠とするこのメタデータモデルは,単純に映像作品ではなく“番組”を管理する上で特有の概念を含有しています。またRDFを用いていることもあり,他のデータとつなげることで,メタデータをより活用できる可能性を感じます。
永田知之氏には,日本の書籍目録に占める漢籍の位置について,発表内容及びフォーラム内で行われた議論を踏まえて,論文としてまとめて頂きました。漢籍といえば四部分類ですが,日本ではどのように導入されていったのでしょうか。本研究では,過去の目録での採否とその特徴を調査しております。
さて,これら論文執筆のためにTP&Dフォーラム内でどのような議論が行われたのか,李東真氏および木村麻衣子氏にそれぞれ,討議報告の形でまとめて頂きました。研究内容について他の研究者はどのような評価をしたのか,どのような質疑が行われたのか,会場の関心はどこにあったのか,など論文には書かれることのない情報が多く記されております。そういった研究活動の裏側に注目しながら読んでも得るものが多くあります。
インフォプロの業務は,様々な学問的背景,研究領域を有しています。その中でも,TP&Dフォーラムが対象としてきた領域は,インフォプロの専門性を支えるコア領域の一つです。本特集が,整理技術・情報管理の重要性を再確認し,将来について考えるきっかけとなれば幸いです。
(会誌担当編集委員:今満亨崇(主査),青野正太,長谷川幸代,森口歩)
テレビ放送番組のアーカイブ利用のためのメタデータモデル構築を行う。「番組」は放送されるコンテンツを指す基礎的な用語でありながら,その範囲について明確な定義が存在しない。本研究では放送ライブラリー公開番組データベースを例にして,「番組」の階層構造や放送番組を特徴づける各実体を定義し,メタデータモデルを汎用的な記述言語であるRDFを用いて構築する。構築したメタデータモデルは,放送番組を構成する要素をContents,Agent,Eventの3つのドメインに分類した。その上で,必要に応じて独自語彙を用いてクラスおよびプロパティを設定した。
古代以来,日本では漢籍が多く収蔵されていたが,伝統的な四部分類に基づく書目は中世ではごく稀であった。これは,当時の書目の多くが仏典を対象とする聖教目録だったことを主因とする。19世紀に入ると,漢籍(非仏典)に四部分類を用いる書目の編纂が顕著となる。漢籍の増加,寺院の外での漢学の隆盛,『四庫全書総目』等による中国からの分類法の流入がその原因だろう。大正期以降は漢籍に特化し,四部分類を施す目録が珍しくなくなる。これは日本文化からの漢学など中国文化の析出が漢籍を他の書籍から独立させたことを一因とする。総じて言えば,書目での漢籍の扱いは中国文化が日本で占める位置の反映であり続けたと思しい。
近年ChatGPTを代表とする,AIツールの様々な業務への適用が注目を浴びている。本稿では,競合調査においてAIツールと特許情報解析ツールを上手に組み合わせて活用することにより,高価な情報サービスを利用することなしに,効率的に充実した競合調査を実現する方法を提案する。競合調査は,知財戦略の立案や,企業の競争優位性の確保にとって重要である。従来,特定の大企業のみが実行可能であった大規模な情報収集,情報調査といったものが,AIツールや特許情報解析ツールを組み合わせて活用することにより,中小企業,スタートアップ等でも実行可能になりつつあると考える。
坂口安吾の作品について,先行研究によると1945年ごろを境に一人称が「僕」から「私」に転じ,ふたたび「僕」に戻ることも混用もなかったという。しかし,この先行研究は「僕」と「私」の頻度を数えたものではなく,直感による論考に留まる。そこで,本稿では,坂口安吾のエッセイを対象に,KH coder(計量テキスト分析のためのフリーソフトウェア)を用いて,「僕」と「私」の頻度を数え,一人称の変化について検証した。その結果,1945年以前に「私」のみを使用した作品があり,1945年以後に「僕」と「私」の混用があるとみられるものがあった。先行研究の指摘は必ずしも妥当するものではなく,「僕」と「私」の使い分けについてさらなる検討が必要である。