目的 2011年 3 月11日に発生した東日本大震災において岩手県宮古保健所が担った急性期以降の医療救護活動の調整過程を検証し,今後の災害医療対策の推進に資する。
方法 宮古保健所管内の宮古市と山田町での医療救護活動をⅠ期(発災~3 月下旬),Ⅱ期(~4 月中旬),Ⅲ期(~5 月末:宮古市,~7 月上旬:山田町)に区分し,この期間における保健所の調整過程と結果について記述し,分析した。
結果 宮古保健所は 3 月中旬から医療支援チームおよび地元自治体等による調整会議を設置・運営し,宮古市では 5 月末まで,山田町では 6 月末まで継続した。被災地の医療需要の変化や地元医療機関の再開を踏まえ,現地での医療支援チームの活動など医療救護体制の調整に努めた。
医療支援チーム総受診者数(1 日)は,宮古市ではⅠ期で約250人のピークを示したのち,Ⅲ期まで緩やかに減少した。これに対し山田町ではⅠ期で約700人のピークを示したのち,Ⅱ期で100人まで急激に減少し,Ⅲ期では緩やかに減少した。この推移の違いは,宮古市ではⅠ期で29施設(全体の93.5%)の稼動医療機関を避難者が早期から受診したこと,山田町ではⅠ期で 1 施設(20%),Ⅱ期で 3 施設(60%)と少ない医療機関の再開にあわせて医療支援チームが救急トリアージなどを機能分担する体制を導入し,受診者の地元医療機関への移行を進めたことが要因と考える。
避難者における医療支援チーム受診者の割合は,宮古市ではⅠ期からⅢ期を通じほぼ 5%を下回り,山田町ではⅠ期の19%からⅡ期で 5%を下回り,Ⅲ期は 2~3%となった。また,Ⅲ期で宮古市では健康管理支援などの医療必要度の受診者が80%以上を占め,宮古市と山田町の 1 日あたり救急搬送人員(人口 1 万対)も発災以前と同水準となっていた。このことは,遅くともⅢ期の早い段階での避難者の医療需要の低下,安定化を示唆した。
以上から,災害の急性期以降の医療救護活動の調整においては,地元医療機関と医療支援チームとの機能分担の導入と医療需要のモニタリング結果に係る情報をマネジメントすることで,より適切なタイミングで医療救護体制から地元主体の医療提供体制に移行させる判断を支援することができると考える。
結論 東日本大震災において宮古保健所が担った医療救護活動の調整過程を検証し,急性期以降の医療救護活動の調整における留意点と情報マネジメントの仕組みを整備する重要性を示した。
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