世界の経営研究の国際標準化の流れの中,日本の経営学は独自路線を維持しつつも変化の兆しも見え始めている.このような状況の下,日本の経営研究にとって目指すべき質の高い論文の要件とは何だろうか.本稿はこの論点を,日本的文脈に根差した知見と,国際標準を満たした水準の2つの側面から検討する.第一に,何よりもまず国際標準をクリアする必要がある点,第二に,その国際標準を満たした後は,むしろ日本的文脈に根差した知見は国際的な文脈で極めて有力な武器になりうる点を論じている.国際標準を満たしたうえで,日本独自のユニークな視点をフルに活かして世界に貢献しうる論文を,国際化時代における質の高い論文と考えたい.
本稿は,質の高い論文についての論考である.本稿では,質の高い論文の要素として「無駄や無理のない」ことと「意味のある」ことをあげている.質の高さには,意味のあることがより重要な要素ではあるが,それがきちんと読者に伝わり,示されるという点で,無駄や無理のないことも重要な要素である.質の高い研究をするだけにとどまらず,それをいかに質の高い論文に仕上げるかということも研究者の重要なイシューである.
研究論文の質という問題について英国の研究評価事業を「反面教師」的な事例として検討していく.研究の質を論文の掲載誌の格付けと同一視するような風潮は,世界大学ランキングへの関心の高まりや研究業績に基づく各種補助金の傾斜配分政策などにともなって,日本でも近年傾向としてあらわれている.本稿ではこのような「論文掲載至上主義」的な傾向が,学術研究の劣化をもたらすだけでなく次代の研究者を育成するシステムの基盤をも掘り崩してしまう可能性について指摘する.
経営学における高質な研究の特徴について考察する.例として,イノベーション研究の初期の代表的成果であるマイヤーズ=マーキス研究(米MIT)とProject SAPPHO(英サセックス大学)を取り上げる.これらは一流学術雑誌論文でもベストセラー書でもないが,一領域を切り開く嚆矢的論文であった.また,多数のケースをコード化して統計分析を行う「中数研究」でもあり,データ収集自体の価値が高いことが1つの特徴であった.
研究の評価軸は,科学的価値か社会的インパクトか,小さくても厳密な貢献かラディカルな貢献か,流行りに乗るか差別化を強調するか,というように多様であり,かつトレードオフの関係にある.いずれを選択するかに正解はなく,各々の研究者に選択権が付与されている.その選択は,自分が面白いと思うかどうかでなされるべきであり,ゆえに自分の研究は面白い,面白い研究かどうか判断する目を自分は持っているという自信を持つことが大事である.
本稿は,小樽商科大学での2019年度組織学会年次大会においての報告の内容をできうる限りそのまま伝えるものであり,『組織科学』への投稿予定者に,読者にとって魅力ある論文とは何かについて1つの考え方を伝えることを目的としている.その内容は,以下の命題に集約される.それらは⑴論文作法で素人とばれる,⑵学問は皆で石を積む作業,⑶読み通せれば掲載される,⑷読者の視点で書く,⑸現実とモデルに橋をかける,⑹一般化と反省の弁証法,の6つである.
企業家研究における質の高い研究論文とは,時代性や社会性を考慮したホリスティックな視点から経営現象を捉え,新しい理論的知見を得て,研究コミュニティと問題意識の高い実務家双方への強い訴求力と大きな波及効果を持つ論文である.質の高い研究論文は,様々な実践の場で応用可能な普遍性を内包する結果を導き出し,経営理論と実務の間に循環的関係を生み出す契機となる.分析の頑健性の追求だけではなく,特定事象の分析における事例研究の有効性に鑑み,学際的知見と時系列的な推移を重視した研究が求められる.
成員の認識を組織の分析にどう取り込むかという問いを,組織研究の主題の1つとして挙げることができる.解釈主義的アプローチに分類される組織論者達が,この問いに取り組んできた.本稿では,旧来このアプローチに分類されることの多かった社会学のエスノメソドロジーの位置付けを再考し,また透析治療場面の経験的分析を通じて,エスノメソドロジーが解釈主義とは別の仕方で,組織認識研究に貢献をもたらすことを明らかにする.