地質学雑誌
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117 巻, 8 号
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論説
  • 別所 孝範, 中屋 志津男
    2011 年 117 巻 8 号 p. 423-438
    発行日: 2011/08/15
    公開日: 2011/12/10
    ジャーナル フリー
    始新統音無川層群羽六層の砂岩について検討した.モード組成は下部から上部にかけて珪長質火山岩片に富む石質ワッケから石英に富む長石質アレナイトと変化することが明らかになった.重鉱物組成は下部では普通角閃石を含むが,上部では緑レン石,褐レン石,チタナイトを多く含む.ザクロ石はパイロープ成分の多いアルマンディン(中圧型)が減少し,スペッサルティン成分の多いアルマンディン(低圧型)が増加,最上部ではグロッシュラーが出現する.以上の変化から後背地では当初,珪長質火山岩や火砕岩が広く被覆していたが,削剥が進み下位の花崗岩,低圧変成岩や石灰質変成岩が露出するアンルーフィングが起きたと推定される.この時期は地域により異なるが,西南日本四万十帯の共通したイベントであった.ザクロ石組成や紫色円磨ジルコンの存在から,後背地には中圧型変成岩や先カンブリア系のグラニュライト相変成岩や堆積岩も分布していたと推定される.
  • 佐藤 大介, 松本 一郎, 亀井 淳志
    2011 年 117 巻 8 号 p. 439-450
    発行日: 2011/08/15
    公開日: 2011/12/10
    ジャーナル フリー
    島根県松江市周辺には中新世~更新世の断続的な火成活動が認められる.本研究では,この地域で活動した和久羅山と嵩山を構成する火山岩について岩石記載および全岩化学分析を行った.この火山岩はこれまで和久羅山安山岩と呼称されてきたが,全てがデイサイトに分類されることから和久羅山デイサイトと再定義した.鉱物比および化学的特徴から和久羅山デイサイトはタイプⅠ,タイプⅡ,タイプⅢの溶岩に区分でき,層序的にこの順で噴出したと推定される.そして,和久羅山デイサイトはアダカイトの特徴を示し,スラブメルトの寄与が示唆される.このデイサイトの活動は約5 Maとされていることから,この頃にはフィリピン海プレートの先端が日本海拡大に伴う熱いアセノスフェアの上昇部に到達して部分融解を起こしていた可能性がある.和久羅山デイサイトは西南日本の背弧側におけるアダカイト火山群の萌芽的活動として位置づけられる.
  • 2008年2月~2009年12月の観測結果
    鹿島 雄介, 南須原 美恵, 中村 隆志, 山内 常生, 大槻 憲四郎
    2011 年 117 巻 8 号 p. 451-467
    発行日: 2011/08/15
    公開日: 2011/12/10
    ジャーナル フリー
    宮城県沖大地震に関連した前兆を検出するため,深層地下水変動観測システムを構築した.本論文で取り扱った2008年と2009年の観測では,2008年5月8日の茨城県沖地震(MJ7.0; MJは気象庁マグニチュード),同年6月14日の岩手・宮城内陸地震(MJ7.2), 7月19日の福島県沖地震(MJ6.9),および7月24日の岩手県北部沿岸地震(MJ6.8)に関連した水位・水温変動が捉えられた.潮汐に対する観測システムの応答を調べ,3本の孔井の中の2本について,水位換算体積歪を2.27×10-9/mm,および0.5×10-9/mmと見積もった.水位換算体積歪と理論的な静的体積歪変化から求められた地下水変動の期待値と観測値がよく一致し,地下水変動の要因が静的歪変化であると示唆された.我々の観測システムが地震直後の地下水変動を検知できる下限は,MJ=2.4logr+1.0 (rは震源距離震で,単位はkm)で近似できる.このような式は静的歪変化の距離減衰だけでなく,地震動の距離減衰からも導かれる.
  • 山本 啓司, 下次 圭太, 土居 真輔, ハフィーズ ウル レーマン
    2011 年 117 巻 8 号 p. 468-471
    発行日: 2011/08/15
    公開日: 2011/12/10
    ジャーナル フリー
    薩摩半島中央部の八瀬尾地域(四万十帯北帯)には蛇紋岩類が分布することが知られている.従来「貫入岩体」と見なされていた蛇紋岩類は,産状によって蛇紋岩体,蛇紋岩孤立岩塊および蛇紋岩主体の崩壊堆積物に区別できる.蛇紋岩体は,ほぼ水平もしくは浅い皿状の構造的境界面を介して西傾斜の砂岩層・砂岩泥岩互層(四万十累層群佐伯亜層群)の上に載っていて,岩体基底部の変形構造は上位側の東方への相対的変位を示唆する.これらの観察結果から蛇紋岩体は西側から移動してきて佐伯亜層群の上に定置したクリッペであると解釈できる.九州西南部の地体構造と蛇紋岩類の分布状況から推定すると,蛇紋岩クリッペの後背地は秩父帯の黒瀬川帯とされる領域にあると考えられる.
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