症例:57 歳,女性
主訴:頭部の違和感,肥厚した感触
既往歴:脳動脈瘤手術(コイル挿入),左腎臓の良性過誤腫にて左腎摘出を行った。
家族歴:特記事項なし
現病歴:初診の約 4 年前より頭皮の違和感,肥厚した感触が出現し近医を受診した。膠原病や内分泌疾患を疑われ精査したが異常なく,頭部 CT 検査で頭皮が通常の 3 倍ほど肥厚していたため,精査加療目的に当科を紹介され受診した。
初診時現症:側頭部から後頭部にかけて頭皮が柔らかく肥厚して容易に掴め,頭皮が移動しやすい特徴を持っていた。肥厚した部位には明らかな脱毛斑はないものの,周囲と比べてやや粗毛であった(図 1 )。
超音波画像:頭皮から骨膜までの厚さが 11.3 mm と肥厚していた(図 2 )。
MRI 画像:皮膚と脂肪織の肥厚を認めた。最も肥厚している部位で約 14 mm の厚みがあった(図 3 )。
病理組織学的所見:皮下組織の増生,肥厚はあるものの異常細胞はなく,毛囊減少やムチン沈着は認めなかった(図 4 a,b)。
診断:Lipedematous scalp(LS)
症例:92 歳,男性
主症状:左鼠径部の線状黒色結節
既往歴:アルツハイマー型認知症。1 年前より水疱性類天疱瘡を発症し,現在プレドニゾロン 6 mg/日内服中である。
現病歴:上記にて入院中。約 4 カ月前,左鼠径部の線状黒色斑に気づく。次第に隆起してきた。
現症:左鼠径部に,長径がそれぞれ 15 mm と 10 mm,短径が約 1 mm の 2 個の線状黒色結節を認めた(図 1 )。
ダーモスコピー検査(図 2 ):Multiple milia-like cysts を認めた。Arborizing vessels や blue-gray ovoid nests は認めなかった。
病理組織学的所見(図 3 ):1 個を全摘生検し,病理組織学的検査(H-E 染色)を行った。表皮は肥厚し,偽角質囊腫と基底層にメラニン色素の増加を認めた。角化細胞に異型はなかった。真皮にはメラニン色素の滴落と,一部にリンパ球浸潤を認めた。
診断:脂漏性角化症
経過:1 年後も切除病変の再発はなく,未切除病変も増大等の変化はない。便中ヒトヘモグロビン検査は陰性であった。
症例:45 歳の女性
主訴:右乳頭の紅色結節
既往歴:子宮筋腫,胆のう摘出術
現病歴:10 年以上前より右乳頭に小結節が出現し,徐々に隆起してきた。6 カ月前より時折出血するようになり,近医皮膚科を受診し,精査加療目的で当科を紹介受診した。
現症:右乳頭に突出する約 1 cm の表面平滑,弾性硬の紅色結節がみられた(図 1 )。ダーモスコピーで,樹枝状の毛細血管拡張と結節の中心に数 mm のびらんがみられた(図 2 )。
病理組織学的所見(図 3 ):真皮内に密な腺管構造がみられ,乳管上皮細胞と筋上皮細胞で構成され 2 層性を示していた。一部に断頭分泌像を伴い,構成する腫瘍細胞は軽度の大小不同がみられたが,高度な核異型はなく核分裂像も目立たなかった。
免疫組織化学的所見:腺管の外側を構成する腫瘍細胞の核は p63 陽性であった。
診断および治療:病理組織学的所見から乳頭部腺腫(adenoma of the nipple)と診断した。本人の希望により局所麻酔下に腫瘍を切除し単純縫縮した。
症例:39 歳,女性。約 3 カ月前より出現した左下腿の厚い痂皮に覆われた潰瘍を主訴に当科を受診した。左下腿伸側の 41×32 mm の潰瘍辺縁の紅斑の生検では,毛包内および表皮内に膿瘍形成を認めたため,pyoderma vegetans,深在性真菌症や皮膚疣状結核などを疑った。PAS 染色や Grocott 染色で表皮内および毛包上皮に多数の真菌要素を認めたため,深在性真菌症と考え,内服外用治療を行うも,5 カ月後には,潰瘍は著明な角化を伴い 15×14 cm まで拡大した。再度詳細な問診を行ったところ,初診の約 13 年前から偏頭痛に対して市販の臭素(Br)含有鎮痛剤の頓用内服が確認され,中止とともに,潰瘍は速やかに上皮化した。初診時の血液検査結果で血中塩素(Cl)値の上昇を認めていたが,薬剤中止の半年後に正常化したことより市販鎮痛剤による bromoderma と診断した。Br 含有薬剤は抗てんかん治療薬として使用頻度が増加していること,又,頭痛薬など市販薬として容易に入手可能であることから bromoderma は今後増加すると思われる。しかし,臨床的には膿皮症や深在性真菌症などとの鑑別に苦慮するため,頓用内服薬を含めた詳細な問診と共に血中 Cl 値の変動確認が診断に有用と思われた。
33 歳の男性。X-8 年に他院で発熱,咽頭痛,皮疹,口腔内アフタが出現し,皮膚生検を含む精査が行われたが確定診断に至らなかった。以後 8 年間,口腔内アフタの再発が数回あったが,受診せず無治療で軽快した。X 年 5 月,39℃ の発熱,咽頭痛を主訴に当院内科を受診した。口腔内アフタ,関節痛,四肢に散在する虫刺症様紅斑がみられ当科を紹介された。血液検査では,CRP 12.5 mg/dl と高度の炎症所見があり,病理組織学的に真皮から皮下の血管付属器および間質性にリンパ球,好中球を主体とする炎症細胞浸潤がみられ,好中球性皮膚症を疑った。精査の結果,HLA-B51 陽性で,胃に散在する微小潰瘍がみられ不全型 Behçet 病と診断した。本邦で報告された皮膚症状を伴う不全型 Behçet 病 46 例を検討した結果,初発症状から診断確定までの期間は平均 2.92 年(中央値 0.78 年)で,1 年以上(最長 26 年)の長期を要する症例が半数近くみられ,不全型 Behçet 病の診断には詳細な既往歴聴取が重要であると考えた。
49 歳,女性。数カ月前より口腔粘膜症状が出現し,徐々に体幹に紅斑や水疱が出現した。抗デスモグレイン(Dsg)1 抗体と抗 Dsg3 抗体がともに高値であり,粘膜皮膚型尋常性天疱瘡と診断した。プレドニゾロン内服が開始されるも頭部の脱毛および頭部,顔面の紅斑やびらんが目立つようになり,大量免疫グロブリン療法を行った。一旦は寛解したものの顔面のびらんを中心とした再発がみられ,二重膜濾過血漿交換を行い症状が落ち着いた。頭部の脱毛を伴う尋常性天疱瘡の報告は少ないが,抜毛テストを行うことで確認できる場合も含めると比較的頻度は高い。成長期毛が外毛根鞘を伴って軽微な外力により抜毛される normal anagen effluvium を呈することや治療により脱毛斑を残さず発毛すること,病理組織学的には最外層を除く漏斗部から毛球上部までの外毛根鞘に棘融解を認めるなどの特徴がある。脱毛斑を残さず発毛することは毛包幹細胞が温存されることが大きな要因であり,毛隆起領域では免疫学的寛容や Dsg2 による細胞接着機能の代償が働くことで棘融解が抑制されている可能性がある。
45 歳,男性。初診 1 カ月ほど前より味覚障害,食欲低下を認めていた。頭部の脱毛が出現し,徐々に脱毛範囲が拡大するため,近医を受診し,当科紹介となった。初診時頭部のびまん性脱毛,爪甲の変形,手掌・手指に淡い褐色調の皮膚色素沈着,舌は軽度腫脹がみられ,味蕾が消失していた。また,味覚障害,食欲低下を認めていたため,上部・下部消化管内視鏡検査を施行したところ,胃・十二指腸および大腸全域にかけて広範囲に発赤調の小ポリープが著明に多発していた。以上より Cronkhite-Canada 症候群(CCS)と診断した。消化器内科と併診し,内服ステロイド治療が開始(PSL 30 mg/日)となった。PSL と PPI(ラベプラゾール)内服を開始して 2 週間後には味覚が改善し食欲が増進した。数週遅れて爪甲の脱落,髭の再生,手掌の色素沈着の消失がみられた。ステロイドを漸減し内服終了し,2 カ月後の上部・下部消化管内視鏡検査では一部小隆起の残存部位あるものの改善を認めた。爪甲は全て生え変わり,脱毛などの症状の再燃なく経過している。CCS は世界的に希少な疾患であるが,本邦での報告例は比較的多く,びまん性脱毛,爪甲の変形,手掌や手指の皮膚色素沈着などの症状をみた場合には鑑別診断として念頭に置く必要がある。
49 歳,男性。3 年前より左鼠径部の皮下腫瘤が出現,増大傾向となり近医を受診し,精査目的に当院を紹介受診した。初診時左鼠径部に弾性軟の長径約 4 cm の皮下腫瘍を認めた。CT では病変は均一な低吸収域を示していた。臨床的に脂肪腫を考え全摘生検を施行した。手術時,左鼠径部皮下に紅褐色の分葉状の腫瘤を認めた。病理組織所見にて,腫瘍は成熟した脂肪細胞様細胞,好酸性顆粒状の小円形細胞,中央に核を有する泡沫状細胞質の細胞である mulberry cell の 3 種類の細胞より構成されており,冬眠腫と診断した。冬眠腫の好発部位は肩甲骨間領域,頚部,腋窩,縦郭,腹壁,大腿であり,稀な部位からの発生であった。
39 歳,男性。初診の 24 カ月前より左鼻翼外側に皮内結節を自覚していた。初診 6 カ月前より徐々に増大したため紹介元を受診し,精査加療を目的に当科を紹介され受診した。初診時,左鼻翼外側に皮膚色で 15×7 mm の弾性硬の皮内結節を認めた。ダーモスコピー検査では,樹枝状に枝分かれする毛細血管拡張は認めたが,色素性病変は認めなかった。病理組織学的所見では,真皮内に基底細胞様細胞が柵状配列を呈し胞巣を形成しており,腫瘍胞巣と周囲結合織との間に裂隙を認めた。メラニン顆粒やメラノファージはなく,無色素性基底細胞癌と診断した。Melan-A 染色では腫瘍内にメラノサイトが確認されたが,Fontana-Masson 染色では腫瘍内に黒色メラニンはみられなかった。
74 歳,男性。既往に胃癌・食道癌があり,13 年前,右腎盂癌に対して右腎尿管膀胱全摘術および左尿管皮膚瘻増設術を施行し 13 年間カテーテルを留置されていた。2 カ月前から尿管皮膚瘻部の疼痛を認め,紅色結節が出現したため生検を施行された。組織は扁平上皮癌の所見で当科を受診した。PET/CT では結節部に集積を認め結節部から 10 mm 離して切除し,左腎尿管全摘除術を施行した。自験例は病変部以外の尿管,腎に異型細胞は認めず,皮膚尿管移行部の扁平上皮化生を認めたため,尿管皮膚瘻から発生した扁平上皮癌と考えた。全悪性腫瘍のうち 4 重複癌の報告は稀であり,自験例は長期間のカテーテル留置による扁平上皮化生が発生母地となり,加齢・嗜好歴が扁平上皮癌の発症に関与していたと考えられた。
Endothelin-1(EDN1)は正常表皮の基底細胞に限局的に強く発現され,基底細胞癌でもその発現が認められることが報告されている。しかし基底細胞癌を二次的に発生しやすい脂腺母斑での EDN1 発現はこれまで検討されていない。我々は脂腺母斑 10 例,基底細胞癌を発生した脂腺母斑 4 例,脂腺母斑周囲の正常皮膚 9 例,およびランダム生検にて採取した正常皮膚 10 例のパラフィン包埋標本を用いて,EDN1 の発現を免疫組織学的に検討した。EDN1 は正常表皮や上部毛囊脂腺系の基底細胞,エクリン汗腺の導管部と分泌部に強い発現を認めた。下部毛囊では,内毛根鞘細胞,毛幹,毛母,毛乳頭は EDN1 陰性であった反面,外毛根鞘細胞は全体的に EDN1 陽性を示した。脂腺母斑表皮でも基底細胞は EDN1 強陽性であった。正常皮膚に比べ,脂腺母斑では肥厚した有棘細胞層内とりわけ毛囊分化を示しつつある部位には EDN1 陽性有棘細胞が有意に増数集簇していた。基底細胞癌が発生した脂腺母斑の基底細胞癌は EDN1 陽性であった。また基底細胞癌から離れた脂腺母斑部に比べ,基底細胞癌近傍の脂腺母斑部では EDN1 陽性有棘細胞が有意に増数していた。これらの結果から EDN1 陽性の毛囊分化を示しつつある部位が基底細胞癌の発生母地になるのではないかと推察した。加えて正常毛囊の EDN1 分布から類推すると,脂腺母斑表皮内の EDN1 陽性有棘細胞は外毛根鞘細胞への分化を示している細胞ではないかと考えた。
2010 年 1 月から 2019 年 1 月までに当科では 4 例の進行期乳房外パジェット病に対してドセタキセル(DOC)による化学療法を行った。全例が男性であり,初診時年齢は 50 歳から 70 歳(平均 63 歳),原発部位は陰茎・陰囊であった。いずれも拡大切除を行ったが,所属鼠径リンパ節に転移があり,さらに対側の鼠径リンパ節もしくは骨盤内リンパ節の転移が判明したため根治切除不能と判断した。DOC 単独療法を開始し,全例で PR(部分奏効)となった。経過中に PD(進行)となった 3 例に対し,DOC に加えて S-1 内服の併用療法を行い,2 例が PR となってそれぞれ 6 カ月,16 カ月経過後の現在も治療継続中である。残りの 1 例は SD(安定)であったが,PD となるまでの 7 カ月間は浮腫や疼痛,皮膚症状などの臨床症状の新規出現はなかった。副作用としては,全例に grade3~4 の白血球減少が生じたが,治療の中断に至る症例はなかった。S-1 を追加した 3 例に関しても,副作用の増強はなかった。進行期の乳房外パジェット病は,予後が極めて悪いにもかかわらず,現在確立された化学療法はない。DOC 単独療法,もしくは DOC と S-1 併用療法は比較的簡便で外来通院でも実施可能であり,今後ファーストラインの治療法となり得ると考えられる。しかし,未だ報告されている症例数が少なく,また観察期間も限られているため,今後さらなる症例の蓄積の上にレベルの高いエビデンスの構築が必要であると考え今回自験例を報告する。
Dr. Tsen-Fang Tsa(i M.D.)was graduated from Taipei Medical College(now Taipei Medical University)in 1988. After graduation, he started his career first as a pathology resident before he became a dermatology resident one year later in National Taiwan University. After finishing 4-year residency training, he served at Taiwan Provincial Tai-Nan Hospital as a staff for one year and then returned to National Taiwan University Hospital till now. In 1995, he was appointed to Lecturer, and then Assistant Professor, Associate Professor and finally Professor in 2018. In 2019, he became the Head of Department of Dermatology, National Taiwan University Hospital and National Taiwan University College of Medicine. In 1998 and 1999, he had been a dermatopathology fellow in Jefferson University in Pennsylvania with Dr. Bernard Ackerman and a research associate of cosmetic science and bioengineering of the skin in University of California, San Francisco with Dr. Howard Maibach.