最近,ラマン分光法が装置やスペクトル解析で大きく発展し,従来の化学,物理学,工学分野だけでなく,生命科学,医学,薬学,農学,食品科学などの幅広い分野で用いられるようになった。ラマン分光法の優れている点は,非破壊,無侵襲分析が可能であるばかりでなく,分子の構造や物性,反応に関する知見も与えることである。本総説では最初に,ラマン分光法の原理や特徴について概説し,そのあと脂質のラマンスペクトルについて説明する。さらにラマン分光法を用いた食品科学,健康科学,医学分野における脂質分析の現状と可能性について述べる。
近赤外分光法は,800-2500 nm領域付近のスペクトルを利用した分析方法で,非破壊・非侵襲で,あるがまま丸ごとの物質測定がハイスループットに可能であることから,1970年代以降食品分野を中心に発展してきた。脂質分析に対しても,ケモメトリクスとの組み合わせによる高精度な濃度定量法が提案され,魅力的な装置が世に送り出されている。さらに,脂質酸化や状態異常は生体内では悪性疾患の要因になることから,ごく近年では近赤外イメージングと組み合わせた脂質濃度分布の可視化等の応用が検討されている。本稿では,近赤外分光法の基礎と脂質を対象とした装置開発や定量法に加えて,近赤外イメージングの利用など,近赤外分光分野における脂質研究の動向をレビューする。
質量分析においてエレクトロスプレーイオン化(ESI)法は,汎用性の高いイオン化法の一つである。ESIの特徴の一つとして,イオン源において様々な付加体を形成しやすい点があり,一般的に[M +H]+,[M+NH4]+,[M+CH3COO]-などが分析に用いられる。一方で,試料などを由来とする金属イオンも容易に目的化合物に配位し,[M+Na]+や[M+K]+などの金属イオン付加体を形成する。こうした金属イオンの配位はcation-π電子相互作用によるものと考えられ,配位箇所はH+やNH4 +などと異なる。加えて,金属イオンの配位によってもたらされる原子間距離や水素結合の変化もH+やNH4 +などによる変化とは異なり,それゆえ金属イオンに特徴的なフラグメンテーションが引き起こされる。興味深いことに金属イオンの種類によってもフラグメンテーションは異なり,本原理を用いたユニークな構造解析法がいくつか報告されている。本総説では先ず化合物と金属イオンの付加原理について述べ,次に金属イオン付加体を活用した脂質の構造解析例について紹介する。
昨今,質量分析を用いたノンターゲットリピドミクスの技術革新により,1検体あたり1000を超える脂質分子を一度に捉えることが可能な時代となった。これは,分析化学の発展だけでなく,情報科学(質量分析インフォマティクス)研究の発展によるところが大きいと考えられる。このような脂質解析は基礎研究だけでなく,臨床検体の解析によるバイオマーカー探索や食品科学における機能性解析といった幅広い分野において適用可能な技術である。そこで本項では,ノンターゲットリピドミクスワークフローのうち,特にデータ解析に焦点を当て,これから脂質メタボローム解析を始めようとする読者への手助けとなるような情報を掲載する。具体的には,(1)質量分析より得られた計測データから脂質プロファイル情報を得るためのデータ処理,(2)ノンターゲット解析結果の標準化および定量値の解釈について,そして(3)得られた脂質情報から生物学的解釈を行うためのオントロジー解析やパスウェイ解析について記載する。